理学療法士として生きている私の部下は、私の年齢になった時に幸せになっているのでしょうか?
授業のなかで、最近は良く金銭感覚の話をします。「お金持ちになろうとおもって理学療法士を目指しているものはいないね?」という質問をします。
誰一人として、「お金持ちになれると思って理学療法学科に入りました」という学生はいませんが、本当は???? と思ってしまいます。
そのあとに、「できれば、裕福になりたいよね!」、「将来の家族から・・・・欲しい、とか、・・・したい、とか言われた時に実現してあげたいよね」という話を学生にします。そのためには、「良い意味で目立たなくてはいけない」と話します。
目立つとは・・・・自分の理学療法士としての知識・技術が高い と世間が認めることである。「世間が認める」ということは、客観的なものでないといけない。
「この理学療法士は治療が上手ですね」という、嬉しいようであるが、客観性のないもので喜んでいても意味がない。
そこで、私は、理学療法の研究者として、症例報告としてまとめて、自分の理学療法が間違いでないことを確認する作業を常にするべきであると思う。また、様々な研究手法を用いて、患者様の役になる研究をおこなうことである。
これらの成果を勤務する施設が認めることで、役職者になり、施設外の方々が認めることで講演会や学会での講師の話をいただくわけである。
私はお金が欲しくて、このようなことをしているわけではありませんが、「頑張って、認められれば、給与にも反映される」ことになるわけです。
この構図をわかってくれてますかね??? 人としての性格が良いことは大切ですが・・・
どんな理学療法士になりたいの?? の質問に 「理学療法士としての知識・技術も大切ですが、患者さんの気持ちをいつも理解できる理学療法士になりたいです」という方がやたらに多いが・・・・「患者さんの気持ちを常に理解しながら、理学療法士としての知識・技術を常に高めることができる理学療法士」ではないのか!!!と心の中でつっこんでいます。
では・・では・・・