1歳~2歳。記憶がある天才ではない。まるでない。
生まれたところは長良川の支流、板取川沿いにある。合流点を少々上流へ行ったところにある。
「局裏」と言えばその家の場所がわかる時代であった。「門前」とか「一本松下」とか住所の代わりにあたりまえのように使った時代であった。局とは郵便局のことである。家は郵便局の裏手にあった。家の3メートルほどの道をはさんだ西側には白い壁の蔵を持つ店があった。カキ氷を売っていたことを思い出す。それを売っていたことしか覚えていない。
「おかくさん」というおばさんが、暗いところにおいてある氷式の冷蔵庫から氷の塊を持ち出してきて、「鞘ぬか」まみれになったそれをサッと水で洗い流して、氷かきの台の上にひょいと乗せたかとおもうと素早く「カシャカシャカシャ」と手際よくかく。二枚のイチョウの葉を重ね、端と端が留め金でとめてあるような銅製のもの、大きな貝がぱっくりと口を開けたようなものの中へ氷をかいて、ほどよいところで氷をかくのをやめ、その貝のようなものの真ん中に「竹串」をいれ「きゅっきゅっ」と締めて「はいよ」とばかり手渡してくれる。小学生の頃この故郷へ帰るたびに「おかくさん」のところへ通った。そのころの記憶だ。(写真はメロウ伝承館より。冷蔵庫の周りが銅で覆ってあるものもあるが、おかくさんのところのものはこれだった。明治時代からそこにあるような代物だった。)
明日のための備忘録:
ラヂオ・・・英会話教室(聞いたことはあるが名前をど忘れしている)。ラヂオ体操、尋ね人、話の泉(これは長寿番組だったなあ。堀内敬三、サトウハチロー、徳川夢声、渡辺紳一郎・・・後日書こう)22年には「鐘の鳴る丘」が始まった。緑の丘の~・・・これも後日。歌:港が見える丘、星の流れに、啼くな小鳩よ・・・音楽シリーズでも書いてみるか。
タバコ:光、新生・・・父親に買いにやらされたことがあるので両方とも覚えているなあ。これも写真も探してみようか・・・人生論ノートが出版されたのはこの年なのか。手にするまでに20年近くかかっているなあ。