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昭和23年 恐怖の記憶は脳に刻まれる

2007年07月21日 | 自分史

Photo「とーる!はよー首につかまりゃー!」

昭和23年6月28日。福井大震災が発生。マグネチュード 7.3 死者4000人近く。

(原稿執筆の前に勃発した平成19年新潟県中越沖地震はM6.8)

母は両腕に私の弟妹を抱え、私を首に背中からつかまらせて家の裏へ非難。すばやい動きだったと思う。家の裏には「竹やぶ」があるからだ。竹は根が深くて丈夫だから、しっかり掴っていれば大丈夫だからだ。岐阜の田舎でもこれほど揺れたわけだ。

「ぞりは?ぞりは?」とおばあさんが言う。「はだしでいいんや!」<母の談>

身寄りのない老人を我が家で面倒を見ていたのだ。無事だったのだろう。地震で死んだとは聞いていない。

「ごー」という音とともにものすごく揺れた。この時はたった3歳である。でもこの恐怖の記憶は未だに消えていない。裏の戸を開けて飛び出していった母親の背中にいたわけだがその感触が残っている。人の恐怖体験はいつまでも残るのかもしれない。人の心のありようまで知らぬ間に決定付けるひとつの要因になるのかもしれない。

そのおばあさんは・・・弟のうどんを取った。おばあさんにもうどんをあげたのに、まだ食べていないとでもいうのか、弟の茶碗を取り上げようとして、弟はわあわあと泣き叫ぶ。この風景も怖い記憶として残っている。畑仕事に母が出かけている間、弟、妹は家の柱に長い紐で縛られていた。お仕置きではなく、遠くへ這っていってしまわないように縛ってあったわけだ。その二人を見ているのが私の役目。なにかしら、この記憶も残っている。

備忘録:サマータイム実施。(母からその様子を聞いた) 帝銀事件

歌:君待てども、東京ブギウギ、ブンガワンソロ、長崎のザボン売り、フランチェスカの鐘、湯の町エレジー、異国の丘、憧れのハワイ航路、カチューシャ・・・なぜだろう?すべての歌が口をついて出てくる。ずっと歌われ続けた歌だからだろうか。憧れのハワイ航路に憧れハワイに行ったのは28歳。

憧れのハワイ航路 へのリンク

http://8.health-life.net/~susa26/natumero/21-25/akogarenohawai.htm

作詞の江口夜詩は岐阜県の養老に記念館があり訪れたことがある。

はがき:2円。