思えば18年前彼がスワローズに入団したとき、自分にも転機が訪れていました。井の中の蛙大海を知らずではいけないと思い、居心地は良かった会社から異業種への転職をしました。
スワローズは野村監督のもと3年目にリーグ優勝をつかみとることになります。そして93年のリーグ優勝決定試合、私は神宮球場にいましたがその日はその大海で夢がやぶれた日でもありました。(1993年10月15日)
95年、たまたま買った前売りチケットの日にスワローズは優勝を果たしました。
97年、この年また私には過酷な現実を思い知らされている私にスワローズは勇気をくれました、彼がいるスワローズは負けなかった。
2001年、この年はマジック1になってからなかなか勝てないスワローズに本当に心配させられました。でも、神宮での日本シリーズでの3試合、全部を観戦に行くことができて、今度は日本一の優勝決定試合に居合わせることができました。
古田選手が入団する前からもスワローズのファンではありますが、いつのまにか古田選手がキャッチャーマスクをかぶってクリーンアップを打っているのが日常の風景になっていました。
球界再編の大きなうねりの中で古田選手は本当にファンのことを考えてくれました。
Fプロジェクトにしてもそうです。我々が常日頃からお願いをし続けていた、阪神ファンがライトスタンドにきてまで揉め事を起こすことについて、可能な限りそれを排除する努力をしてくれました。
古田選手が入団してから、ただ打った!!走った!!守った!!だけではない、考える野球を見ることができるようになりました。勇気ももらいましたし、影響も受けました、それは野村ID野球でもありました。
きのうの神宮球場は90年代に売られていた応援グッズを持っているファンを多数見かけました。おそらく同じようにスワローズを見つめ続けたかたたちが詰め掛けたのだと思います。
書くことは尽きませんが本当に
古田PM、18年間ありがとう 私はあなたがまた戻ってきてくれることを信じています。また会いましょう
ps:おととい引退試合を終えたばかりというのにこの日のためにまた登板してくださった佐々岡投手、おつきあいいただいた広島カープのナインのみなさん、それよりも何よりもいっしょになって27番ボードを掲げてくださった広島ファンのみなさん本当にありがとうございました。