隊長の地元:東京都文京区内や近隣を散策する「街歩き」シリーズの第88回は、『東京十社巡り:完結編 十社 「富岡八幡宮」』を、お送りします。
6月29日 (土) の午後に、「東京十社」の内の一社「富岡八幡宮」を参拝しました。
「東京十社」とは、明治天皇が明治元年(1868年)11月8日、皇居近郊の十社を、准勅祭(ちょくさい)神社として、幣帛(へいはく)を捧げられ、東京の鎮護と万民の平安を祈願されたお社のことです。これまでに、九社を訪れていて、これで十社全ての参拝を終えることが出来ました。
これまでに参拝した九社に関しては、こちらの参拝記一覧をご参照下さい⇒ https://blog.goo.ne.jp/taichou-san2014/e/00d6cc552f97651c8d155f5c49f17b84
富岡八幡宮が最後になってしまったのは、二年前の忌まわしい事件の記憶が出来るだけ風化する頃を、見計らっていたからです。
最寄り駅の地下鉄東西線「門前仲町駅(以下:門仲)」で下車。1番出口から、「永代通り」を同線「木場駅」方面へ向かいます。以前、「木場駅」近くの会社に勤務していたので、門仲をよく訪れていたのですが、その頃と変わらず営業している店も、変わってしまった店舗もありました。
徒歩約3分で、「正面参道」前に到着。鳥居を潜った左手直ぐに鎮座する「伊能忠敬銅像」は、江戸時代後期の測量家の忠孝が、深川黒江町(現・門前仲町1丁目)に住み、測量旅行出発にあたっては必ず当宮を参拝していたことから縁りの地であるこの八幡宮に、平成13年(2001年)に建てられました。
参道を挟んで反対側には、歴代大関を顕彰するために建立された「大関力士碑」があります。この碑は明治の頃に、9代目市川団十郎と5代目尾上菊五郎により寄進されていた2基の仙台石を活用し、初代大関雪見山から、最近では、琴欧洲勝紀までの114人の歴代大関の四股名と出身地が、刻まれています。
またその傍らには巨人力士碑、巨人力士手形足形碑、 強豪関脇碑、 釈迦ヶ嶽等身碑等一群の顕彰碑が立ち並んでおり、後述する横綱力士碑とあわせて、相撲名所として相撲ファンに親しまれています。
「正面参道」が「東参道」「西参道」と交わる手前の左手には、最近整備された「手水舎」が。
水盤の上には、一対の金色の鳳凰型吐水口がありました。
本殿に至る階段の手前で、左に曲がり「西参道」を進みます。
「西参道」入口に立つ鳥居を撮影して戻ります。
この日は、“夏越の大祓(なごしのおおはらえ)” で、「茅の輪」が置かれていました。大きな茅の輪を三回廻って、穢れを祓い清めました。
富岡八幡宮は寛永4年(1627年)、当時永代島と呼ばれていた現在地に御神託により創建されました。周辺の砂州一帯を埋め立て、社地と氏子の居住地を開き、総じて六万五百八坪の社有地を得たのです。世に「深川の八幡様」と親しまれ、今も昔も変わらぬ信仰を集める「江戸最大の八幡様」です。
江戸時代には、源氏の氏神である八幡大神を殊の外尊崇した徳川将軍家の手厚い保護を受け、明治維新に際しては朝廷が当宮を准勅祭社に御治定になり、勅使を遣わされ幣帛を賜り、新しい御代の弥栄を祈念されました。
また、庶民の信仰は江戸の昔から大きな歴史の変転を経て現代に至まで変わることなく篤く受け継がれ、今も善男善女の参拝は絶えず、特に毎月1日、15日、28日の月次祭は縁日として大変な賑わいを見せています。
御祭神は、応神天皇(誉田別命)外八柱です。
御朱印を頂けるのは、本殿脇の受付で。
初穂料は、500円。朱印と同時に、当宮のパンフレットと、本殿が写った絵葉書を頂きました。
「富岡八幡宮」の御朱印は、中央に社印と「富岡八幡宮」の墨書き。右上には、「奉拝」の墨書き。右下には「元准勅祭十社之印」が、左下には「宮神輿」が押印されています。
尚、これまでに拝受した御朱印の数は、五十二印です。詳細は、こちらの「御朱印巡り」記事一覧をご参照下さい⇒ http://blog.goo.ne.jp/taichou-san2014/e/e23a591aa7b880a9e451c519dc5e14a5
その後、「本殿」と「婚儀殿」に架かる渡り廊下の下を潜り、「横綱力士碑」へ。この碑は、明治33年(1900年)第12代横綱陣幕久五郎を発起人に、歴代横綱を顕彰するため建立されました。
碑の大きさは、高さ3.5メートル、幅3メートル、重量は20トンに及び、横綱を顕彰するにふさわしい堂々たる姿です。
裏には、初代・明石志賀之助から、45代・若乃花幹士 (初代)までの四股名が刻まれています。
スペースが無くなったので、右側に新たに石碑を建て、表に46代・朝潮太郎 (3代)から、66代・若乃花勝までが。
裏には、67代・武蔵丸光洋から72代・稀勢の里寛までの名が刻まれています。
尚、「隊長のブログ」では、大相撲に関する記事を、これまでに63回アップしています。 詳細は、こちらをご参照下さい⇒ http://blog.goo.ne.jp/taichou-san2014/e/615cf67ca9eddf698c48f249b5c368e3
境内には、計17社におよぶ末社が鎮座していて、昔からの信仰の中心地であったことがうかがわれます。その内の一社「永昌五社稲荷神社」は、五穀豊饒・商売繁盛の神様として、特に地元の肥料商関係者から絶大な信仰を集めています。近隣の稲荷社五社が合祀された神社です。
「七渡神社」は、七渡弁天と親しまれる八幡様の地主神で、八幡宮が創祀される以前から祀られています。当社には、「粟島神社」が合祀されています。
「七渡神社」手前にある「弁天池」。当社は、関東大震災・東京大空襲の災難もくぐりぬけ、このときに弁天池に避難した人は一命を取りとめたといいます。
参拝を終え、「東参道」から境外へ。
直ぐ先にある「八幡橋(はちまんばし)」は、明治11年(1878)、東京府の依頼によって工部省赤羽製作所において鋳造された都内最古の鉄橋で、国の重要文化財です。当初は「弾正橋(だんじょうばし)」と呼ばれ中央区に架けられていましたが、関東大震災後に富岡八幡宮の東隣りに移され、八幡橋と改名されました。
==「街歩き」バックナンバー==
http://blog.goo.ne.jp/taichou-san2014/c/c2c437caab6ac1e2be19246ef261eea9
第1回~75回 省略
第76回 2018/11/21『第40回湯島天神菊まつり』 https://blog.goo.ne.jp/taichou-san2014/e/048a47ad74c22d18bb9fc9145cf50253
第77回 2018/12/9 『バラとステンドグラスの鳩山会館』 https://blog.goo.ne.jp/taichou-san2014/e/70a4ea444aa47cda6f6f4db73fa7a76e
第78回 2018/12/25『東京十社巡り 四社「根津神社」』 https://blog.goo.ne.jp/taichou-san2014/e/ffa3ec056319f0fb09b0f149d8fea2a2
第79回 2019/1/5 『東京十社巡り 五社「日枝神社」』 https://blog.goo.ne.jp/taichou-san2014/e/9b74114c9b5943b8e8f3d67555689b21
第80回 2019/1/8 『東京十社巡り 六社「氷川神社」』 https://blog.goo.ne.jp/taichou-san2014/e/db520c7ad885af1b50581e732c874eeb
第81回 2019/1/14 『小石川七福神巡り:完結編「弁財天(女)」「寿老人」』 https://blog.goo.ne.jp/taichou-san2014/e/715f6b6fc14ae8032293a1e781f9ed0f
第82回 2019/3/14 『御朱印巡り「円乗寺」』 https://blog.goo.ne.jp/taichou-san2014/e/74cebb2e9039458130a86cf90a7196ea
第83回 2019/3/28 『東京十社巡り 七社「白山神社」』 https://blog.goo.ne.jp/taichou-san2014/e/3fa4191dd571ae2f6e972a592dd7329b
第84回 2019/5/4 『御朱印巡り「芝増上寺」』 https://blog.goo.ne.jp/taichou-san2014/e/8390261a791c131e636402e7bb4295c7
第85回 2019/5/6 『東京十社巡り 八社「芝大神宮」』 https://blog.goo.ne.jp/taichou-san2014/e/9f87a68c17d5ab5f4c87ad4e778757be
第86回 2019/5/8 『東京十社巡り 九社「品川神社」』(その1) https://blog.goo.ne.jp/taichou-san2014/e/c48e7a9f0dd59577f1fcd8a506dc07e7
第86回 2019/5/10 『東京十社巡り 九社「品川神社」』(その2) https://blog.goo.ne.jp/taichou-san2014/e/f7efdc26537528b2840bf48904e3d58c
第87回 2019/5/2 0『文京区真砂児童遊園がリニューアル』 https://blog.goo.ne.jp/taichou-san2014/e/dd749a714d337de57958f032a09738fb