『日本100名城巡り 21「江戸城」』 (その1) https://blog.goo.ne.jp/taichou-san2014/e/ff85ea4a7fd1f96f278466f26e39b947
『日本100名城』の一城「江戸城」のスタンプを押印してもらうために訪れた「大手門」ですが、緊急事態宣言発令中のため、閉門されていました。スタンプが置いてある「北の丸公園」内にある「北の丸休憩所」に行くのには、来た道を戻り、大回りして行かなければいけません。困りました。
そこで、近くにある「和田倉噴水公園」内にある「和田倉休憩所」にもスタンプがあることを思い出しました。
「大手門」を後にして、「桔梗濠(ききょうほり)」沿いに、南に進みます。「桔梗濠」は、慶長19年(1614)に造られた「桔梗門(内桜田門)」近くにある江戸城の内濠(内堀)です。
濠を優雅に泳ぐ白鳥(コブハクチョウ)。
仲良く休むオシドリ。
「巽櫓(たつみやぐら)」が見えてきました。「巽櫓」は、江戸城本丸から見て東南(辰巳)の濠の角にあることから名づけられました。
奥には、「桔梗門」(赤矢印)と、「富士見櫓」(オレンジ色矢印)の姿が。江戸時代には、この櫓から、品川の海や、富士山が見えたといわれています。
コロナ禍でなければ、外国人観光客や団体観光客で賑わっていたであろう「皇居前広場」も閑散としていて、ただ広さのみが際立って見えます。
「内堀通り」を渡って反対側へ。車の通行量も少なく、全く車が見えない瞬間もありました。
「和田倉噴水公園」に到着したのは、文京区本郷にある自宅を徒歩で出発してから、約1時間後でした。「和田倉噴水公園」は、昭和36年(1961)に上皇陛下の御結婚を記念して創建された大噴水を、平成5年(1993)6月の今上天皇の御結婚を機に、「継続と新たな発展」をテーマに再整備し、平成7年6月に完成したものです。
後に見えるビルは、左が「パレスホテル東京」、右が「日本生命丸の内ガーデンタワー」。噴水が止まっていて、人も見当たりません。
公園の奥には、枡形の石垣だけが残っている「和田倉門跡」が。
「和田倉休憩所」は、閉鎖されていました。どうりで、噴水が止まり、人も見当たらないのですね。途方に暮れ、中を覗き込んでいると、制服姿の皇宮警察の方が近づいてきました。事情を説明すると、どこかに携帯で電話をして聞いてくれました。
現在、『日本100名城』のスタンプを押印出来るのは、「北の丸公園管理事務所」と、「楠公(なんこう)休憩所」に隣接する「皇居外苑管理事務所」の二箇所と教えて頂きました。親切な警察官にお礼を言い、「楠公休憩所」を目指して、再び歩き始めます。
「行幸通り(ぎょうこうどおり)」の奥には、「東京駅丸の内駅舎」(赤矢印)が見えます。
「内堀通り」の先には、「二重橋」と「伏見櫓」の姿が。
通りを南(霞が関方面)に進みます。
「楠公像(楠木正成銅像)」周辺は整備工事中で、近寄ることが出来ませんでした。
やはり、「楠公休憩所」は、閉鎖中でした。
写真を撮るのを忘れてしまいましたが、隣接する「環境省皇居外苑管理事務所」の中で、『日本100名城』スタンプ帳の上に、念願の「江戸城」のスタンプを、係員の方に押印して頂きました。自宅を出発して、約1時間半後のことです。
『日本100名城』スタンプラリーのスタンプは、色は城により四色を使い分けていますが、「江戸城」は黒で、デザインは、「二重橋」と「伏見櫓」です。
この後、「新東京ビル」内で食事をし、都バスで帰宅のため、「東京駅丸の内北口バス乗り場」に向かいます。
改修工事が完了した東京駅丸の内駅前広場に鎮座する「井上勝(まさる)の銅像」です。明治43年(1910)に亡くなった井上勝は、鉄道発展に寄与し、日本の鉄道の父と呼ばれています。それで、この場所に建てられたのですね。
この日は、「和気清麻呂(わけ の きよまろ)像」、「楠公像」と合わせ、銅像を三体見ました。東京大学構内の銅像巡り をした様に、そのうち、皇居周辺の銅像巡りをしようかと思います。
「「東京駅丸の内北口バス乗り場」バス6番乗り場」に到着。
東京駅丸の内北口発、荒川土手行きの都バスがやって来ました。こうして、『日本100名城巡り 21「江戸城」』が終わりました。