隊長のブログ

元商社マン。趣味:ヒップホップダンス、ジャズダンス、日舞(新舞踊)、旅行、映画、スポーツ観戦。阪神タイガースのファン。

「日本100名城巡り」 登城一覧

2024年12月09日 | 日本100名城巡り

日本100名城」とは、日本城郭協会が全国各地の名城探訪の手がかりとして、 2006年に定めた日本の名城100選のことです。

 

 

 

 

100の名城は、観光地としての知名度、文化財や歴史上の重要性、復元の正確性などをもとに、城郭愛好家や専門家などの審査により選定されました。


隊長が、100名城の内、登城したことがあるのは、2024年12月現在、下記30城です。


数字は、日本城郭協会が北から各城に振った「日本100名城」リストの番号。ハイパーリンクがない名城は、訪れた記憶はありますが、写真などの記録がない城です。複数回訪れた城は、最新の訪問日を記載しています。

 

また、リンクの下の画像は、登城の記念「日本100名城」スタンプです。

 


==「日本100名城」登城記==

2.  五稜郭 (北海道) 2017年6月21日  

4.  弘前城 (青森県) 2017年6月20日  

6.  盛岡城 (岩手県) 2020年3月9日  

7.  多賀城 (宮城県) 2021年6月11日  

 

8.  仙台城 (宮城県) 2021年6月12日

 

9.  久保田城 (秋田県) 2020年3月8日  

 

12.  会津若松城 (福島県)  2023年9月15日

 

 

13.  白河小峰城 (福島県)

14.  水戸城 (茨木県) 2018年3月5日  

19.  川越城 (埼玉県) 2022年4月13日  

20.  佐倉城 (千葉県) 2023年12月13日

 

 

21.  江戸城 (東京都) 2021年3月1日


 

23.  小田原城 (神奈川県) 2018年6月16日  

26.  松代城 (長野県)  2022年6月9日

 

 

29.  松本城 (長野県)  2022年6月9日

 

 

 

30.  高遠城 (長野県) 2015年4月14日

 

33.  高岡城 (富山県) 2024年11月1日 

 

 

35. 金沢城 (石川県)  2024年10月31日

 

 

41.  駿府城 (静岡県)  2019年10月10日  

 

 

42.  掛川城 (静岡県) 2019年10月10日

 

 

 

44.  名古屋城 (愛知県) 2018年7月31日  

47.  伊賀上野城 (三重県) 2016年10月10日  

50.  彦根城 (滋賀県) 2017年11月27日  

54.  大阪城 (大阪府) 2019年3月31日 

 

 

64.  松江城(島根県)2022年7月28日

 


 

73.  広島城 (広島県) 2017年9月7日  

77.  高松城 (香川県)

85.  福岡城 (福岡県) 2016年9月25

92.  熊本城(熊本県) 2022年11月24日

 

 

 

100. 首里城 (沖縄県)

 

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『日本100名城巡り 20 「佐倉城」』

2023年12月27日 | 日本100名城巡り

日本100名城巡り」、今回ご紹介するのは、千葉県佐倉市にある『佐倉城』です。

 

 


「日本100名城」とは、日本城郭協会が全国各地の名城探訪の手がかりとして、2006年に定めた日本の名城100選のことです


12月13日 (水) の朝8時前、友人J君の車に同乗し、東京都文京区の自宅前を出発。首都高速、東関東自動車道を走り、佐倉インターチェンジで高速を降ります。


しばらくすると、小高い丘が見えてきました。ここが、佐倉城跡です。


佐倉城は、戦国時代中頃の天文年間(1532年から1552年)に千葉氏の一族である鹿島幹胤(かしまもとたね)が、鹿島台に築いたといわれる中世城郭を原型として、江戸時代初期の慶長15年(1610年)に佐倉に封ぜられた土井利勝によって翌慶長16年(1611年)から元和2年(1616年)までの間に築造された平山城です。


佐倉城跡の中に設置されている「佐倉城址(じょうし)公園」内にある「椎木門跡」脇の駐車場に到着したのが、9時10分頃でした。

 

 


南西の方角に歩くと、「堀田正睦公像」が鎮座しています。

 

 


開国の父とよばれた堀田正睦(1810~1864年)公は、佐倉藩に西洋の学問を奨励し、幕末期の老中として、動乱の日本を開国に導いた佐倉藩主として知られています。 銅像の高さは、台座を含めて約270センチメートルあります。


よく晴れたこの日、紅葉が映えます。

 

 


堀田正睦公像の右手奥に進むと、「二の丸御殿跡」がありました。

 


佐倉城の歴代城主は、本丸御殿ではなく、ここ二の丸御殿に住んでいました。のべ413畳の広さであったようです。


二の丸御殿跡の少し先が、「本丸跡」です。

 

 

本丸跡の広さを実感するために、「土塁」の上に上がりました。

 


「土塁」とは、城を外敵から守るために築かれた土手のことです。佐倉城は、石垣のない土づくりの城です。土塁を巧みに配置して城の守りとしていました。本丸の土塁の上には、土塀が存在していたそうです。


広大な本丸跡、現在は、芝生公園になっていて市民の憩いの場所です。

 

 


反対側は、深い「空堀」です。

 

 


「日本100名城」スタンプを押印するため、「佐倉城址公園管理センター」に向かいます。

 

 


公園管理センターの中には、佐倉城天守閣の模型が置いてありました。

 

 

尚、「日本100名城」の内、登城したことがあるのは、これでに29城になりました。詳細は、こちらの一覧をご参照下さい

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『日本100名城巡り 21 「江戸城」』(その2)

2021年03月09日 | 日本100名城巡り

 『日本100名城巡り 21「江戸城」』 (その1) https://blog.goo.ne.jp/taichou-san2014/e/ff85ea4a7fd1f96f278466f26e39b947


『日本100名城』の一城「江戸城」のスタンプを押印してもらうために訪れた「大手門」ですが、緊急事態宣言発令中のため、閉門されていました。スタンプが置いてある「北の丸公園」内にある「北の丸休憩所」に行くのには、来た道を戻り、大回りして行かなければいけません。困りました。


そこで、近くにある「和田倉噴水公園」内にある「和田倉休憩所」にもスタンプがあることを思い出しました。


「大手門」を後にして、「桔梗濠(ききょうほり)」沿いに、南に進みます。「桔梗濠」は、慶長19年(1614)に造られた「桔梗門(内桜田門)」近くにある江戸城の内濠(内堀)です。

 

 


濠を優雅に泳ぐ白鳥(コブハクチョウ)。

 


仲良く休むオシドリ。

 


「巽櫓(たつみやぐら)」が見えてきました。「巽櫓」は、江戸城本丸から見て東南(辰巳)の濠の角にあることから名づけられました。

 


奥には、「桔梗門」(赤矢印)と、「富士見櫓」(オレンジ色矢印)の姿が。江戸時代には、この櫓から、品川の海や、富士山が見えたといわれています。

 


コロナ禍でなければ、外国人観光客や団体観光客で賑わっていたであろう「皇居前広場」も閑散としていて、ただ広さのみが際立って見えます。

 

 


「内堀通り」を渡って反対側へ。車の通行量も少なく、全く車が見えない瞬間もありました。

 


「和田倉噴水公園」に到着したのは、文京区本郷にある自宅を徒歩で出発してから、約1時間後でした。「和田倉噴水公園」は、昭和36年(1961)に上皇陛下の御結婚を記念して創建された大噴水を、平成5年(1993)6月の今上天皇の御結婚を機に、「継続と新たな発展」をテーマに再整備し、平成7年6月に完成したものです。

 


後に見えるビルは、左が「パレスホテル東京」、右が「日本生命丸の内ガーデンタワー」。噴水が止まっていて、人も見当たりません。


公園の奥には、枡形の石垣だけが残っている「和田倉門跡」が。

 


「和田倉休憩所」は、閉鎖されていました。どうりで、噴水が止まり、人も見当たらないのですね。途方に暮れ、中を覗き込んでいると、制服姿の皇宮警察の方が近づいてきました。事情を説明すると、どこかに携帯で電話をして聞いてくれました。

 


現在、『日本100名城』のスタンプを押印出来るのは、「北の丸公園管理事務所」と、「楠公(なんこう)休憩所」に隣接する「皇居外苑管理事務所」の二箇所と教えて頂きました。親切な警察官にお礼を言い、「楠公休憩所」を目指して、再び歩き始めます。


「行幸通り(ぎょうこうどおり)」の奥には、「東京駅丸の内駅舎」(赤矢印)が見えます。

 

 


「内堀通り」の先には、「二重橋」と「伏見櫓」の姿が。

 

 

 

通りを南(霞が関方面)に進みます。

 


「楠公像(楠木正成銅像)」周辺は整備工事中で、近寄ることが出来ませんでした。

 

 

 

やはり、「楠公休憩所」は、閉鎖中でした。

 


写真を撮るのを忘れてしまいましたが、隣接する「環境省皇居外苑管理事務所」の中で、『日本100名城』スタンプ帳の上に、念願の「江戸城」のスタンプを、係員の方に押印して頂きました。自宅を出発して、約1時間半後のことです。


『日本100名城』スタンプラリーのスタンプは、色は城により四色を使い分けていますが、「江戸城」は黒で、デザインは、「二重橋」と「伏見櫓」です。

 


この後、「新東京ビル」内で食事をし、都バスで帰宅のため、「東京駅丸の内北口バス乗り場」に向かいます。


改修工事が完了した東京駅丸の内駅前広場に鎮座する「井上勝(まさる)の銅像」です。明治43年(1910)に亡くなった井上勝は、鉄道発展に寄与し、日本の鉄道の父と呼ばれています。それで、この場所に建てられたのですね。

 


この日は、「和気清麻呂(わけ の きよまろ)像」、「楠公像」と合わせ、銅像を三体見ました。東京大学構内の銅像巡り   をした様に、そのうち、皇居周辺の銅像巡りをしようかと思います。


「「東京駅丸の内北口バス乗り場」バス6番乗り場」に到着。

 

 


東京駅丸の内北口発、荒川土手行きの都バスがやって来ました。こうして、『日本100名城巡り  21「江戸城」』が終わりました。

 

 

 

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『日本100名城巡り 21 「江戸城」』(その1)

2021年03月07日 | 日本100名城巡り


3月1日 (月) に、『日本100名城』の一城「江戸城」のスタンプを押印してもらうため「皇居外苑(江戸城)」に行ってきました。「日本100名城」とは、日本城郭協会が全国各地の名城探訪の手がかりとして 2006年に定めた日本の名城100選のことです。


尚、隊長が、「日本100名城」の内、登城したことがあるのは、24城です。詳細は、こちらをご参照下さい


「皇居外苑」には、2017年12月に訪れている  のですが、この時はまだ日本100名城のスタンプラリーを開始していませんでした。そこで、改めてスタンプ帳への押印のために行きました。


ガイドブックによると、スタンプが置いてあるのは、「楠公休憩所」、「和田倉休憩所」、「北の丸休憩所」、の三ヶ所です。当初の計画では、「大手門」から登城し、「北の丸公園」内にある「北の丸休憩所」で、押印する予定で、文京区本郷にある自宅を出発し、徒歩で「皇居外苑(江戸城)」を目指しました。


「お茶の水橋」を渡り、「明大通り」の坂を下ります。コロナ禍のため、最近は、外出の機会が減り、この辺りを訪れるのも久しぶりです。「お茶の水駅駅舎」を始め、街の様子が大分変っていました。今度、ゆっくりとこの界隈を散策してみたいと思います。


「駿河台下交差点」の梅が、満開でした。

 


さらに通りを南に進み、「日本橋川」に架かる「錦橋(にしきばし)」を渡ります。昭和2年(1927)に架設された歴史ある橋なのですが、上空が首都高速の高架橋に覆われ、無粋な感じがしますね。

 


橋を渡ると、左手に「気象庁庁舎」が見えます。

 


自宅から約40分で、「内堀通り」にぶつかりました。

 


通りを渡った先にあるのが、「大手壕緑地」です。「平川門」と「大手門」の間にある江戸城の内濠(内堀)が大手濠(大手堀)。大手とは追手、つまりは玄関(正門)という意味なので、この大手濠のある側が江戸城の正面ということになります。

 


綺麗に整備され緑地内には、昭和15年(1940)、紀元2600年記念事業として建立された、台座をいれると高さは約4メートルの「和気清麻呂(わけ の きよまろ)像」が立っています。後に聳え立つ建物は、「丸紅新本社ビル」。

 


像の脇の碑文が達筆過ぎて、読めません。

 


西側には、「平川門」(赤矢印)と、右手には毎日新聞本社が入る「パレスサイドビル」が見えます。

 


大正12年(1923)9月の関東大震災によって、一面焼け野原となった都心にあって、奇跡的に生き残った「震災いちょう」です。

 


「江戸城二の丸」方面を望む。

 


「大手濠」に沿って、南に進みます。

 


「大手門」が見えてきました。「大手門」は、江戸時代には、江戸城正門として「本丸大手門」と呼ばれていました。慶長12年(1607年)、築城の名手・藤堂高虎(とうどうたかとら)によって、1年3ヶ月ほどで完成したと伝えられています。

 


2017年12月に登城した時は、「大手門」から退城した http://blog.goo.ne.jp/taichou-san2014/e/6df2a3249cbdf92b6044f3898b58aac3 のですが、この日は緊急事態宣言発令中のため、閉門されていました。「北の丸公園」内にある「北の丸休憩所」に行くのには、来た道を戻り、大回りして行かなければいけません。困った!!

 

 


★ 続きは、『日本100名城巡り  21 「江戸城」』 (その2) で ★

 

 

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