焦らず 慌てず 諦めず 行けるとこまでNO2

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秋の気配・・。

2011-10-24 19:15:28 | 日記
今日は秋色2枚です。

 裏の畑でポチが無く ♪ ではなくて、柿が熟れてきました。

秋といえば柿です。

「柿食えば 鐘が鳴るなり 法隆寺」  「芋食えば おならでるなり 平安神宮」 と昔から言われるように柿と芋は秋の風物です。(あれ?芋の乱入?)

皆さんご存じですか? 甘柿の中にある黒いつぶつぶ。 あれが甘さの原因と思っている方多いでしょ。 実はそうなんですが、

あれが甘い訳ではなく、あれは渋(タンニン)が固まって、渋みを外へ出さないようになっている状態なのだそうです。

だからかじっても渋くない=美味しい甘柿、となるとか・・。

確かに、渋い柿は果肉が真っ白。 渋が果肉全体に行き渡っている状態とでも言いましょうか。

一口かじろうものなら、口の中が渋でモニュアーとなります。 我ながら、懐かしい感覚です。

うちの近所に出没するモンキー軍団は、渋柿でもかまわずに食べていますが、渋くないのでしょうかね。

ここで謎かけ一題!

秋の果物、柿とかけまして 学級経営と解きます。 そのこころは、タンニン(担任)がポイント(点)になる。

お後がよろしいようで~。


次はこれ

 羊雲。(高積雲の通称。羊の群れのように見えるところから)

今日の夕方、雨雲と重なって夕焼けを待っています。 ところがカメラマンが夕焼けを待てなかった(夕飯のおかず作りが・・)

ので、夕焼けに染まる赤い羊雲は撮影できませんでした。 

秋の高い空になって、「天高く・・・・」の季節です。 気持ちがいいですね。

今日は友達とゴルフに行きました。 雨も降らず風もなく(けっこう暑かったですが・・)ゴルフ日和でした。

新しいドライバーにも慣れ、OBは少なかったです。 3番ウッドのティショットの時にダフリ気味になってアウトしただけ・・。

今日は1.5ラウンド回って最後のハーフは無料の日。 スコアは39・44・46と私としては上出来でした。

この心地よい疲れ感・・。 また行きてぇ。 

なんで羊雲がゴルフの話に・・?  まぁいいか。  また、どこかで小さい秋を見つけてきます。

ではまた・・。(次はゴルフ、いつかな?)

傷回復情報

2011-10-22 22:42:52 | 日記
 本日はお出かけがなかったので、おとなしく室内の、ほんのプライベートな(いつもプライベートですが・・)話題を・・・。

 指切りげんまんから1週間経ちました。

そんなに大して痛むこともなく、生活にも支障は(無いことはないけど)・・・と言うことで、1週間ぶりに傷テープを変えることにしました。
 さすがにテープも1週間貼りっぱなしだと、汚れてくるし臭くなってきます(失礼・・)。

そこで、風呂上がりにおそるおそるテープをはがしてみました。

傷口には湿潤療法のテープを貼り、その上からクッションとカバーのための普通の傷テープを3枚貼っておきました。
貼っている時間が長くなって、接着剤もかなりしつこくくっつき、爪の部分はなかなか剥がれませんでした。
 グッとめくったときに、傷口がパッカリ・・、何てことになったらどうしょう・・とか、悲惨な状況を想定しながら、そんな間抜けなことにならないように慎重に慎重に・・・。

慎重な対応の結果、無事テープを除去することが出来ました。

その傷跡が・・・。(気持ち悪い方は、見てみないふりをして下さい)






切ったときは、痛いのと怖いので、傷口をしっかり見ていなかったですが・・、けっこう切れていました。

でもキチンとくっついているように見える(見えるだけかも、刺激を与えたらピロッと剥がれたりして・・)。

くわばら、くわばら  そんな恐ろしいことは絶対出来ません。

このまま順調に回復へ向かいたいです。


前回この指の写真を見て「フレミング 左手の法則」とコメントを下さった物理が得意な方がおられましたが・・。

今回は、ちょっと指の方向がずれています。

 なぜなら、この指は回復の方向を向いているからです。

開腹した指が回復の方向に・・。  自分の自然治癒力に自信を持ちました。
   
   これで何度切っても大丈夫!! (イナバの物置!!)



健康日記  

膝周りの筋力トレーニングをやっています。 と言っても自分で考えたメニューですから、効果は期待できません。

まだ実験段階です。 時間があればウォーキングもやります。 目安は50分程度、約4㎞くらい。

右足踵のしびれが少し強まったような、広まったような・・、あまり嬉しくない状況です。

左手も何となくしびれがあって、神経系がボロボロになりかかりかな?  大きな変化はありません。


朝起きて しびれが消える 夢を見る そんな都合の いい話はなし

このくらい しびれや痛みが あるもよし 死んでいたらば 痛むことなし   (生きてるだけで・・)

傷ついて 1週間で 傷ついて(くっついて) まだまだ若いと 自讃するジサン

指の傷 撮すつもりが 部屋も見え 片付けてから と願う妻あり  
                  (うちはもう電気カーペット引いてます。電気は入れてないけど) 

ではでは

林道散策 Ⅴ

2011-10-21 18:46:31 | 日記
またまた、好天に誘われて林道散策 Ⅴ。 今日は今津町、箱立山スキー場とビラデスト今津(キャンプ、その他野外活動施設)へ参上しました。
びわ湖の大きさを少しでも感じて下さい。

 まずは、酒波(さなみ)地区から登るビラデスト。 約6キロ程度。 出足のなんとか池(名前を失念)小さな池でしたが空がくっきり!!

 池に設置された端も、水面にしっかり映っています。 窪地で風が少ないのが、どうやら原因のようですが、明らかではありません。勝手な池んです。

 ずーっと登っていくと、滋賀県のほぼ北端、マキノ町(カタカナのナメで有名です。カタカナ繋がりでニセコ町とは友好関係にあります)から桜並木で有名な海津の大崎と葛籠尾崎あたりが見えます。

 またまたパノラマで・・。 この地域で長く仕事をしていたので、思い入れが強い場所です。

 葛籠尾崎から竹生島。 このあたりはびわ湖で一番深いといわれているところ。 昔の落ち武者が沈んで、冷たい湖底で腐らずにさまよっているとか・・・。 キャー、怖い~。

 南の方を見ると、高島市南部が見渡せました。 ちょっとかすみ状になって、私の住む高島までは見えませんが・・。 あのかすんでいる辺りがマイタウンです。(タウンちゃう、ビレッジやろ!)

 はい、ビラデスト今津の入り口。 スッと入っても協力金300円を取られるようです。 私は入り口で当然 Uターンしました。



 この辺りも竹生島を軸に撮影しました。 秋の空になっていますね。

 この辺り、猿・カモシカ・熊・・鹿もデール、なんちゃって・・。 (これ書きたかったから、この写真を撮ってきました)

 トンボもたくさん・・。 お目々は空の青になっていませんが・・。きっと枯れ葉ばかり見てたのかな?

ここから箱立山へ向かいます。

 箱立てそばが最近は有名になって、スキーシーズンになると麓で鴫野というそば屋さんがオープンします。今津運動公園のレストランにも鴫野があります。

 これちょっと好きな構図! 自画自賛です。 空の青とそばの白が・・。(ブルースカイとホワイトジャパニーズヌードルのコントラストが・・)

 林道を上がっていくと、頑張っている人たち発見!! 高島高校のスキー部諸君です。 幟の練習、スキー場まで5キロくらいあるのかな? ひたすら押して登っていました。 たぶん下りは危険だからやらないと思います。 先生はワゴン車で先回りして待機されていました。 そろそろシーズンですからね。 頑張れスキー少年!(女の子も一人いたな)

 これが今津町です。 高島市の真ん中ちょい北辺り。 特急も止まる地域です。

 このグランド辺りが今津運動公園。(そばの鴫野のあるレストランがあります)

 奥の方が武奈ヶ岳、手前は蛇谷が峰かな、ちょっと正確な名称は分かりません。湖西地域では一番高い部類の山です。 天気がいいと日本海も見えます。(ちなみにうちの家からは、もっと遠い月と太陽が見えるぞ もっと遠い星も見える すごいでしょ)

 スキー場の裏泡のゲレンデに出ました。 ピステ(ゲレンデをならす機械)が置いています。 スウェーデン製とかで、すごく高いらしい。急斜面でもぐんぐん登りますから・・。 リフトも休憩中。 そろそろ準備期間に入ってきますね。 僕は膝を痛めたので、ワクワクしなくなりました。 60台70台でも、のんびりとスキーをするのが夢だったのになぁ・・、残念です(涙)。

 スキー場から処女湖(人工湖)へ向かおうとしましたが・・・。

 全面崖崩れで通行不可。 悲しい。

 帰り道、自衛隊今津駐屯地の演習場を取りました。 国防に影響するから、スパイ行為かな? このポコンとした山の付近で1発数万円とかの大砲をドッカンドッカン撃っています。 うちの家にも大きな音は届きます。大砲の弾は届きませんが・・。

ということで、今回は今津周辺の林道を見てきました。
なかなか琵琶湖の見晴らしがいいところなので、ビラデストはお勧めです。 箱立山はちょっと林道が不整地が多いので車では難儀かな?

 健康日誌 天気晴朗なれども 足痛し。 この身の将来 このウォーキングにあり。 一日40分を目指して頑張るのみ。
ウエイトも続いています。 頑張って膝を強化するぞ!!(いつから? 強化ら・・)
 しびれは少し強まっている気もします。 右膝は90度くらいしか曲がりません。  頑張らねば・・。

 

林道散策 Ⅳ

2011-10-20 08:48:48 | 日記
あまりの好天に、つい誘われて午後から2輪(ツーリング)へ・・!
夏に出かけた林道を逆方向に走ってみました。 (ゴメン、また誘えずに・・)
 秋色を見つけるには少し早かったですが、空の青は最高でした。

まずはこれを

 ポカポカ陽気にススキが揺れる。 後ろは武奈ヶ岳。

 とにかく青い! 赤くなった葉の色とのコントラスト・・。 ここだけ、思いっきり秋模様。

 林道途中から振り返る、畑(はた)の集落。 日本棚田百選に選ばれていることは前回も紹介しました。
 横溝正史の映画に出そうなカットだと思いませんか? かなりの傾斜地に田や畑、当然家屋も造られています。

 こちらは手前の黒谷の集落。 段々田んぼが綺麗に見えます。 赤とんぼが一杯飛んでいました。 ほ場整備はされていますが、段差のある階段状は変わっていません。 真下の家は鹿ヶ瀬(ししがせ)の集落です。 名前からしてそれらしい。 と言ってもうちも横山ですから・・。

 こういう岩山に作った道です。 崩れやすいので、危険箇所には下のような網が設置されています。  それでも少し怖い。
 向こうの方に、小さくマキノの工業団地の建物(たぶん)が見えています。(ここから約20数㎞先)

 こんな感じで金網が張られています。 下の部分には崩れた岩が貯まって、メタボな人のお腹状態になっているところもあります。

 そういえば、林道に入る獣害防止フェンスに、「松茸山の入山を禁ず。勝手に入った人には入山料を請求する」と書かれていました。確かに松茸がでそうな雰囲気の場所です。 でも天下の公道、松茸が目的ではないので堂々と入山(松茸山には入山してません)。でも匂いもしなかったです(ヘルメットしているから当然か。そんな匂いまでする山聞いたことないし・・)。


 愛車、ホワイトサイクロンです。  絶好調で~す。

 見て下さい、このあくまで青い空を・・!

 こういう松の枯れ木が目立ちます。 これでは松茸も採れなくなる。 でもやっぱり、すごい空の青!
 ところで、松茸の人工栽培が出来たらすごいらしい。ノーベル賞ものとかいう話を聞いたことがある。(外国人って松茸を食べる?) ノーベル賞は眉唾だが、お金は儲かること請け合い!
 一昔、うちの集落でも(横山も昔はちょっと名の売れた松茸の産地でした。 いまでも松茸山をお持ちの方は、大きなシェパードを飼って、山に番犬で使っています)山の手入れをして松茸の育成を図ったことがありました。 山は綺麗になりましたが、残念ながら松茸は・・・。 
 シーズンになると、持ち主は各地所に縄を張って、「入るな!」の意思表示をしました(逆に、ここに松茸あるよ!って言ってるみたいな気もするけど・・)。 取りに来たやつは無視すると思いますが・・。シェパードの持ち主曰わく「いまでも泥棒に来る。勝手に生えてくるものを取って何が悪い」的な開き直りをするとか・・。 
 子どもの頃、親と一緒に松茸取りに行った記憶があります。たいしてなかったですが。それでも昔は土間のむしろの上に松茸が並べてある記憶が・・。 うちの母親曰わく、縄の外に足があれば体を伸ばして届く範囲はセーフ!とか・・。 勝手な判断だなと子供心に感じたことを忘れません。 でも、実際暗黙の了解だったみたいです。

 木立の切れ目から琵琶湖が見えます。 近江八幡と沖の島あたりでしょうか。 視界はそんなに広くありません。 残念ながら・・。
 でもワインディングロードをゆらりと走る楽しさは感じられます。 スピードは禁物!

だいぶ降りてきて、琵琶湖側、鵜川の上あたりから





 喜んで、ちょっとパノラマしてみました。 湖西線の上あたりから、なかなかの景色です。 ここは国道161から数十秒であがれます。カメラマンがよく鉄道を狙っているポイントです。

さぁ、そろそろ終わりです。

 この山を今日は右の黒い山の中腹あたりから、左の端までグルッと回ってきたことになります。
今日の収穫 天気よし、景色よし、秋色はまだ薄い、写真50枚、松茸収穫ゼロ! でした。

最後に今日のリンドウ散策!!


 と、これが言いたかったので、ここまで引っ張ってきました。 林道途中に密かに咲いていたリンドウ。
 リンドウ リンドゥ リンドリンドリンド~ォ リンドウリンドゥ リンドリンドリンド~ゥ(あれ違うかな?リンダか!)

今日も一日楽しい時間が作れました。

 松茸を 待つだけむなし 土瓶蒸し 香りこそあれ 栄養価なし    (栄養より香りを求める事も有りでしょう)
 青空と まろやかな風 ツーリング いつもの景色 見違える道    (と言うか、景色を見ている余裕がない時もある)
 山高く 眺める景色 求めつつ ○○と煙は の言葉浮かべて     (出来れば鳥になって・・)
 何もない 一日があり 気も晴れて 翌日からの 前進こそあれ    (ゆとりって何かな、充実って何かな?)
 
ではまた・・。 


内田 樹 先生

2011-10-19 09:41:42 | 日記
秋らしいいい天気が続きます。 こんな日はバイクにまたがって出かけたいけど・・・。
 何かで話をするときに私は、内田 樹という人の文を引用することがあります。 内田先生はいろいろな場面で自分の文章をドンドン活用してもらってけっこう、と言っておられます。
大きな研究発表会でも、息子の結婚式でも・・・、何かの時に直前内田先生の文章を読んでいいフレーズを見つけてきました(そういう意味では良い出会いがあったと言えるでしょう)。

 今日は、その内田先生の一文を紹介します。

<2011年09月 アーカイブ
2011.09.02
学ぶ力
「学ぶ力」という文章を書きました。中学二年生用の国語の教科書のために書き下ろしたものです。本が届いて、読んでみたら、なかなか「なるほど」と思うことが書いてあったので(自分で言うなよな)、ここに再録することにします。
中学二年生になったつもりで読んでね。

「学ぶ力」

 日本の子どもたちの学力が低下していると言われることがあります。そんなことを言われるといい気分がしないでしょう。わたしが、中学生だとしても、新聞記事やテレビのニュースでそのようなことを聞かされたら、おもしろくありません。しかし、この機会に、少しだけ気を鎮めて、「学力が低下した」とはどういうことなのか、考えてみましょう。
 そもそも、低下したとされている「学力」とは、何を指しているのでしょうか。「学力って、試験の点数のことでしょう」と答える人がたぶんほとんどだと思います。ほんとうにそうでしょうか。「学力」というのは  「試験の点数」のことなのでしょうか。わたしはそうは思いません。
 試験の点数は数値です。数値ならば、他の人と比べたり、個人の経年変化をみるうえでは参考になります。でも、学力とはそのような数値だけでとらえるものではありません。「学力」という言葉をよく見てください。訓読みをしたら「学ぶ力」になります。わたしは学力を「学ぶことができる力」、「学べる力」としてとらえるべきだと考えています。数値として示して、他人と比較したり、順位をつけたりするものではない。わたしはそう思います。
 例えば、ここに「消化力」が強い人がいるとしましょう。ご飯をお腹いっぱいに詰め込んでも、食休みもしないで、すぐに次の活動に取りかかれる人は間違いなく「消化力が強い」といえます。「消化力が強 いです」と人にも自慢できます。しかし、それを点数化して他人と比べたりしようとはしないはずです。  「睡眠力」や、「自然治癒力」というものも、同様のものだと思います。どんなときでもベッドに潜り込んだら、数秒で熟睡状態に入れる人は睡眠力が高いといえるでしょう。この力は健康維持のためにもストレスを軽減するうえでも、きわだって有用ですが、睡眠力を他人と比較して自慢したり、順位をつけたりすることはふつうしません。怪我をしてもすぐに傷口がふさがってしまう自然治癒力も生きるうえでは、おそらく学力以上に重要な力でしょうが、その力も他人と比較するものではありません。わたしは「学力」もそういう能力と同じものではないかと思うのです。
 「学ぶ力」は他人と比べるものではなく、個人的なものだと思います。「学ぶ」ということに対して、どれくらい集中し、夢中になれるか、その強度や深度を評するためにこそ「学力」という言葉を用いるべきではないでしょうか。そして、それは消化力や睡眠力と同じように、「昨日の自分と比べたとき」の変化が問題なのだと思います。昨日よりも消化がいいかどうか、一週間前よりも寝つきがよいかどうか、一年前よりも傷の治りが早いかどうか。その時間的変化を点検したときにはじめて、自分の身に「何か」が起きていることがわかります。もし「力」が伸びているなら、それは今の生き方が正しいということですし、「力」が落ちていれば、それは今の生き方のどこかに問題があるということです。
 人間が生きてゆくためにほんとうに必要な「力」についての情報は、他人と比較したときの優劣ではなく、「昨日の自分」と比べたときの「力」の変化についての情報なのです。そのことをあまりに多くの人が忘れているようなので、ここに声を大にして言っておきたいと思います。自分の「力」の微細な変化まで感知されている限り、わたしたちは自分の生き方の適不適を判定し、修正を加えることができます。
「学ぶ力」もそのような時間の中での変化のうちにおいてのみ意味をもつ指標だと私は思います。その上で「学ぶ力」とはどういう条件で「伸びる」ものなのか、それを具体的にみてみましょう。
「学ぶ力が伸びる」ための第一の条件は、自分には「まだまだ学ばなければならないことがたくさんある」という「学び足りなさ」の自覚があること。無知の自覚といってもよい。これが第一です。
「私はもう知るべきことはみな知っているので、これ以上学ぶことはない」と思っている人には「学ぶ力」がありません。こう人が、本来の意味での「学力がない人」だとわたしは思います。ものごとに興味や関心を示さず、人の話に耳を傾けないような人は、どんなに社会的な地位が高くても、有名な人であっても「学力のない人」です。
 第二の条件は、教えてくれる「師(先生)」を自ら見つけようとすること。
 学ぶべきことがあるのはわかっているのだけれど、だれに教わったらいいのかわからない、という人は残念ながら「学力がない」人です。いくら意欲があっても、これができないと学びは始まりません。
 ここでいう「師」とは、別に学校の先生である必要はありません。書物を読んで、「あ、この人を師匠と呼ぼう」と思って、会ったことのない人を「師」に見立てることも可能です(だから、会っても言葉が通じない外国の人だって、亡くなった人だって、「師」にしていいのです)。街行く人の中に、ふとそのたたずまいに「何か光るもの」があると思われた人を、瞬間的に「師」に見立てて、その人から学ぶということでももちろん構いません。生きて暮らしていれば、至る所に師あり、ということになります。ただし、そのためには日頃からいつもアンテナの感度を上げて、「師を求めるセンサー」を機能させていることが必要です。
 第三の条件、それは「教えてくれる人を『その気』にさせること」です。
 こちらには学ぶ気がある。師には「教えるべき何か」があるとします。条件が二つ揃いました。しかし、それだけでは学びは起動しません。もう一つ、師が「教える気」になる必要があります。
 昔から、師弟関係を描いた物語には、必ず「入門」をめぐるエピソードがあります。何か(武芸の奥義など)を学びたいと思っていた者が、達人に弟子入りしようとするのですが、「だめだ」とすげなく断られる。それでもあきらめずについていって、様々な試練の末に、それでもどうしても教わりたいという気持ちが本気であるということが伝わると、「しかたがない。弟子にしてやろう」ということになる。そのような話は数多くあります。
 では、どのようにしたら人は「大切なことを教えてもいい」という気になるのでしょう。
 例えば「先生、これだけ払うから、その分教えてください」といって札束を積み上げるような者は、ふつう弟子にしてもらえません。師を利益誘導したり、おだてたりしてもだめです。だいたい、金銭で態度が変わったり、ちやほやされると舞い上がったりするような人間は「師」として尊敬する気にこちらの方がなれません。
 師を教える気にさせるのは、「お願いします」という弟子のまっすぐな気持ち、師を見上げる真剣なまなざしだけです。これはあらゆる「弟子入り物語」に共通するパターンです。このとき、弟子の側の才能や経験などは、問題になりません。なまじ経験があって、「わたしはこのようなことを、こういうふうな方法で習いたい」というような注文を師に向かってつけるようなことをしたら、これもやはり弟子にはしてもらえません。それよりは、真っ白な状態がいい。まだ何も書いてないところに、白い紙に黒々と墨のあとを残すように、どんなこともどんどん吸収するような、学ぶ側の「無垢さ」、師の教えることはなんでも吸収しますという「開放性」、それが「師をその気にさせる」ための力であり、弟子の構えです。たとえ、書物の中の実際に会うことができない師に対しても、この関係は同様です。同じ本を読んでいても、教えてもらえる人と、もらえない人がいるのです。
 「学ぶ(ことができる)力」に必要なのは、この三つです。繰り返します。
 第一に、「自分は学ばなければならない」という己の無知についての痛切な自覚があること。
 第二に、「あ、この人が私の師だ」と直感できること。
 第三に、その「師」を教える気にさせるひろびろとした開放性。
 この三つの条件をひとことで言い表すと、「わたしは学びたいのです。先生、どうか教えてください」というセンテンスになります。数値で表せる成績や点数などの問題ではなく、たったこれだけの言葉。これがわたしの考える「学力」です。このセンテンスを素直に、はっきりと口に出せる人は、もうその段階で「学力のある人」です。
 逆に、どれほど知識があろうと、技術があろうと、このひとことを口にできない人は「学力がない人」です。それは英語ができないとか、数式を知らないとか、そういうことではありません。「学びたいのです。先生、教えてください。」という簡単な言葉を口にしようとしない。その言葉を口にすると、とても「損をした」ような気分になるので、できることなら、一生そんな台詞は言わずに済ませたい。だれかにものを頼むなんて「借り」ができるみたいで嫌だ。そういうふうに思う自分を「プライドが高い」とか「気骨がある」と思っている。それが「学力低下」という事態の本質だろうとわたしは思っています。
 自分の「学ぶ力」をどう伸ばすか、その答えはもうお示ししました。みなさんの健闘を祈ります。</font>



という内容です。 細かく詰まって読みにくかったですね。 思いっきりパックっています。(内田先生ありがとう)
「内田 樹(たつると読みます)の研究室」というブログもあります。覗いてみて下さい。神戸女学院大学の先生ですが、女子大だと潜り込んで講義を聴く訳にも行かないので、残念です。

 「健康日記」 いいお天気に誘われて、表のたんぼ道(片道200m、草が生えてちょっとデコボコ)をノルディックウォーキング(ストックをついてクロスカントリ-スキーのように歩きます。上半身も使えて、運動量が2~3割アップするとか・・。膝の調子が良くない僕みたいな人にはストックが杖変わりになって丁度いいようです。
 でも昨日は30分くらいで右膝の中心部からキューッとした痛みを感じて、早めに切り上げました。大丈夫かな?
前から言われていることですが、膝周りの筋肉を鍛えることが重要ということなので、今日から少し取り組んでみることにしました。マジックテープで巻き付ける砂袋があるので、それを足首に巻いて仰向けになり膝の曲げ伸ばし、逆にうつぶせで曲げ伸ばし、あとは膝を回すように足首を円運動。少し続けて様子を見たいと思っています。


 大事なこと! 痛いときには無理しない、これ分かっているけど、なかなか守れません。アホです。
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