つわぶきの庭

~明日の元気のために~
 写真と拙詠で綴ります
 (脳トレになればと・・・)
   

 ★・こんぴらさんの旭社・・ ≪荘厳な彫刻≫

2014年07月08日 | 短歌
★・この重厚な堀りもの、 先人の技の凄さ・・

★・降り出した雨に、このお社の撮影は、これ1枚のみ・・ 「Hさん・UP許可OK」


~~この旭社は、総欅二層入母屋造銅瓦葺、今からおよそ二百年前天保八年に完成。
      40年の歳月をかけて建造されたとある、先人達のその執念には驚く。脱帽!

       美しい彫刻を施している。 神仏分離以前の松尾寺の金堂であり
          そのあまりの豪華さに、江戸時代参拝した森の石松は
             本堂と誤りここへの参拝のみで帰ってしまったと伝わる・・。~

      ★・明治初期の神仏分離までは、金毘羅大権現の金堂として、
         お参りされていた、今でも間違える人が多いという!?

             
           は~い・・ワタクシもここで完結と思った石松組のひとりです!
                          《リサーチなしだった、不覚》


               《旭社は、628段目にある 「重要文化財」。
                   そして、ご本宮は785段目とあり
                     残すところ57段をクリアすれば
                         御本宮だった。残念! ↓は御本宮

★・金毘羅御本宮・・ 《事情を知った支店長さんの転送写真》・・
                  旭社で引き返したワタクシども、返す返す残念無念。

★・古くから「讃岐のこんぴらさん」と親しまれてる御本宮・・ 

~~総檜造り約900年前に作られた、現在の建物は100年前に改築されたもの。
  石段合計785段。お疲れ様。ここまで上がれば、「幸福の黄色いお守り」
         ウコンを染料として染め付の、金色のお守りが授かります・・。^

    ・金毘羅大権現の霊験は、金光院別当や塩飽水軍たちの力によって全国に広められた。
         「お伊勢参り」が一般化する19世紀の初め頃。

             東国より「伊勢参り」ついでに金毘羅大権現へと足を伸ばし
                参拝者が急増、 四国はもとより中国・九州からも・・。


            《以降、日本全国の大衆が、願いごとを叶えて下さる神、
                  庶民的な神様として親しみ、今日に至っている》


★・金毘羅宮・総本部・・



★・金毘羅宮・大門・・  シャチが棟に上がっています・・
      ~讃岐の国初代藩主「松平頼重公」の奉納。1649年(慶安2年創建)



~~★彡・【小雨降る

           さぬきの国の 大前に

                        来し方想ふ 旅の山場よ】~


                      

★・旭社のお守所 

  ~~参道の長い石段は有名で、本宮まで785段、奥社までの合計は1368段にも及びます。
         参道から奥社までの石段沿いには大門、五人百姓、国の重要文化財「書院」
             広い境内には重要文化財も多い 異色?としては巨大なスクリュー↓

★・船のプロペラ・・

★・こんぴらさんも当社も、うまく回っていきますようにと・・
    、大型船のスクリュー奉納は「今治造船」。
        こんぴらさんの奉納物の中で、最大級のもの。
           直径六メートル、重さは一九・二トンあり、
             五翼のものとしては当時、世界で最大級の本物。
                歳月は流れ周囲の風景にも溶け込んでいた・・~

★・こんぴらさんの神馬

★・神馬2頭・・神様のお乗りになる馬をここ桜馬場にて飼育している・・

~~ こんぴらさんの石段四百二十九段目、. 銅の鳥居を潜り抜けると広場が・・
      広場の中央には大. きなクスノキその奥に「御厩(みう. まや)」
         御厩からひょっこり、カメラ目線・・ありがとう、
               午歳のワタクシ光栄に存じます・・~


★・宝物館と森の石松・・

~~清水次郎長は、日頃信仰する讃岐の金毘羅さんに祈願した後、首尾よく
      仇討ちを果たし、長兵衛の怨を晴らす。そのお礼参りの代参に
         森の石松を金毘羅さんに差し向けて
            相手を斬ったその刀を奉納したという。
 
      現在の「金刀比羅宮宝物館」に、次郎長が石松に奉納させた刀が今も在る。


★・この石段を上りあと57段あがれば本宮だったのに
          左折してしまったのだ・・表示があれば、あとの祭り・・



★・石段が眼下に続き、遥かに讃岐平野? が・・
            雨にけぶり良く見えませ~ん・・《ガイドなし》


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