「城不動坂古墳(しろふどうざかこふん)」
っ資料室(仮):「百舌鳥・古市古墳群」
近鉄南大阪線「古市」駅の南東、踏切の脇、住宅街の端っこに埋もれている。
踏切のすぐ近くに細い坂道があり、「城不動坂古墳」へと回り込みながら繋がっている。
…看板も何もない。
道路を挟んで反対側の茂りも(分断された)同古墳の一部とする向きもあるようだが…正直解らん←
何がスゴイってこの細い坂道…googleストリートビューに載ってるって事だなww
ちなみにこの踏切、やたらと交通量が多いので特に写真を撮る際は御注意を。
場所が近い事、築かれた時期がほぼ同じである事などから葬られているのは安閑天皇と関わりがかなり深い人物では?とされている。
本丸に「安閑天皇陵」を流用したとされる「高屋城(たかやじょう)」築城の際(1400年頃)にかなり破壊されて原形をとどめていない。横穴式の石室を備えた前方後円墳だったとされる。
さらに2008~2009年頃、宅地開発の際に石室部分の保存・買収を試みたが断念、現在の姿に。
本古墳の詳細が判明したのは事後だったという…何とも「持ってない」古墳である…。
っ資料室(仮):「百舌鳥・古市古墳群」
近鉄南大阪線「古市」駅の南東、踏切の脇、住宅街の端っこに埋もれている。
踏切のすぐ近くに細い坂道があり、「城不動坂古墳」へと回り込みながら繋がっている。
…看板も何もない。
道路を挟んで反対側の茂りも(分断された)同古墳の一部とする向きもあるようだが…正直解らん←
何がスゴイってこの細い坂道…googleストリートビューに載ってるって事だなww
ちなみにこの踏切、やたらと交通量が多いので特に写真を撮る際は御注意を。
場所が近い事、築かれた時期がほぼ同じである事などから葬られているのは安閑天皇と関わりがかなり深い人物では?とされている。
本丸に「安閑天皇陵」を流用したとされる「高屋城(たかやじょう)」築城の際(1400年頃)にかなり破壊されて原形をとどめていない。横穴式の石室を備えた前方後円墳だったとされる。
↑元画像はWikipediaより。©国土交通省↑
さらに2008~2009年頃、宅地開発の際に石室部分の保存・買収を試みたが断念、現在の姿に。
本古墳の詳細が判明したのは事後だったという…何とも「持ってない」古墳である…。