郷土の歴史と古城巡り

夏草や兵どもが夢の跡

戦時中の一こま 出征③

2020-03-03 10:47:06 | 一枚の写真(宍粟の原風景)
【閲覧数】898件(2011.5.12~2019.10.31)



戦時中 出征兵士壮行式   宍粟市波賀町 安賀八幡神社にて




歓呼の声に送られて集落を出た出征兵士は、揃って合同の壮行式に臨んだ。


写真・説明「追憶ふるさと宍粟写真集」より



播磨 利神城跡(1)

2020-03-03 09:56:28 | 城跡巡り
【閲覧数】4,159件(2011.12.8~2019.10.31)




り かん
利神城跡(1)   兵庫県佐用郡佐用町平福


 江戸時代には因幡街道筋の宿場町として栄えた平福。その東にそびえる山城は、赤松氏の本城である白旗城(上郡町)の北の守りとして14世紀の半ばに築かれたもので、嘉吉の乱による赤松の衰退による城主の交代、そして赤松の再興、秀吉の中国攻めの攻防を経て、江戸初期に大修理された。廃城になった今もなお天守を取り巻く石垣群は町を見下ろし、城下を行く人たちに古き歴史を感じさせています。

  

▼道の駅平福より




▼利神城俯瞰 イラスト




利神城のこと


 戦国期~江戸初期の城郭で平福城、雲突城とも呼ばれています。利神山(373m)山頂にある山城で、山裾には御殿屋敷がありました。

 貞和5年(1349)、白旗城の北の守りとして加西郡別所の構えにあった赤松一族の別所肥前守敦範が比良福(平福)利神山に砦を築き、口長谷(くちながたに)に館を構えて移りすんだことに始まり、別所肥後守光則の代に、嘉吉の乱(1441)が起こり、一時敗退し、山名氏が入城しました。応仁の乱(1467~77)の赤松氏再興とともに再び別所静冶が入りました。しかし天正6年(1578)、上月城にいた山中鹿助に攻められ落城しました。その後、宇喜多氏の家臣服部勘助に守らせたが、関が原の戦後、播磨国を与えられた姫路城主池田輝政が甥の池田出羽守由之に佐用郡2万3000石を支配させました。池田由之は慶長5年(1600)、利神の旧城の大修理に着手し、5年の歳月をかけ完成させました。山麓に常御殿と呼ばれる居館と武家屋敷を構えました。



▼利神城実測図




 山頂の本丸には3層の天守を置き、これに続く鴉(からす)丸、二ノ丸、三ノ丸、大阪丸、馬場丸など高さ数mの石垣が総延長1km余に及ぶ構えとなりました。落成の検分に来た池田輝政は、釜須坂峠にさしかかるや、北方に雲突く巨大な城郭群に驚き、駒を返し使者を送り即刻破却を厳命したと伝えられています。 



アクセス


▼平福地区案内図





 利神城は、平福駅の背後にある山城で、山麓からよく確認できます。登山コースは南部からのなだらかな尾根を伝って登るコースになります。

 平福の駅の少し前に、案内板があります。畑地の中の道路を南に200m進み、左折し線路下をくぐります。この畑地は武家屋敷のあった場所です。



 



  利神城跡の大きな看板の近くを歩き、尾根上を進みます。崖上から佐用川の川端の風景が一望できます。









 尾根上の山道は変化があり、ときおり大きな岩が突出しています。
 さらに進むと、堀切の石垣が現れ、梯子が置かれています。梯子を上ると、古墳があります。



 





  そこからは勾配がきつくなっていきます。山の斜面には紅葉がたくさん植えられ、幹を曲がらせながらも赤・黄の葉を青空の太陽に色鮮やかに輝かせていました。







  その斜面を回りこみ、急な土手を登ると、城郭の裾野あたりに出ます。山麓から見えていた勇壮な城も、近づいてみると石垣がかなり崩れています。








 天守の石垣はなんとかふんばっています。石垣からはみでた太い根株が、長い歴史を感じます。









▼本丸にある天守の石垣




天守からの眺めは、南北の街道筋真下に見え、壮観です。



▼天守丸                  




▼登山路と町並み

 


▼北に続く町並み           




▼鳥取自動車道が北の眼下に見える  

 

 
▼南方面の山並み            




▼本丸跡に瓦片が多く残っています

 



利神城跡の謎

 遺構の民間調査では、石垣には池田由之時代以外のさまざまな時期のものが含まれること、採集瓦には時期の古いものがあること、池田輝政が築城を援助したとされるなど(奏公書)、通説には疑問点が見つかっています。

 利神城は、その規模といい歴史といい、史跡の指定を受ける価値が十分あると思っています。崩れかけた石垣を食い止め、長く地域の宝として、さらに播磨・兵庫の財産として保存整備し、かつてのように安全な遊歩道の確保を願いたいと思っています。

撮影2011.11



➡利神城跡(2)

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