【閲覧数】2,556(2012.3.16~2019.10.31)
▼三草山城 南からの鳥瞰
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三草山城跡のこと 加東市上三草
三草山城(みくさやまじょう)は、加東市社町の市街地北東8kmの三草山(424m)山頂にあります。周囲には東条湖ランド、播州清水寺、朝光寺があります。頂上からの眺望がすばらしく、ハイキングコースになっています。
古来よりこの地は丹波と播磨の境目の地で、北西麓を通る道(372号線)は、播磨・丹波・京都を結ぶ京街道としてにぎわう要衝の地にありました。
三草山城はまた、古戦場でもあります。 平家物語には三草合戦が記され、嘉永3年(1184)に平家追討のため源義経率いる1万余騎は、丹波小野原に布陣し、上鴨川を通り、約12kmの道を駆けぬけ、夜討ちをかけたため、ふいを突かれた平氏の軍は敗走し、さらに一ノ谷の戦いで大打撃をこうむることになります。
遺構の城跡は、南北朝期に※赤松出羽守則友によって築かれたと伝えられ、石垣・土塁・曲輪跡が残っています。嘉吉の乱(1441)では、三草口で赤松氏と幕府方の山名氏の戦いがあり、赤松軍が敗れています。一方赤松庶流の赤松満政は、嘉吉の乱で赤松追討の幕府大手軍として合戦に参加し、合戦後は東播磨の3郡(明石・美濃・加東郡)の支配を認められましたが、山名持豊に東播3郡を奪われてしまい、それに反感をもった満政はこの三草山城で赤松則尚と共に蜂起し、この城に立て篭り山名氏と戦いましたが敗れ去り、赤松持家(有馬家)を頼って落ち延びるも、受け入れられず逆に討ちとられました。
※赤松家播備作城記には、「三草山城 又朝光城と号す 加東郡福田庄 有馬出羽守則友 有馬出羽守則貞の子也 初めて之を築き居城す‥‥」 とありますが他の文献には現れなく、赤松則友についてははっきりしていません。
アクセス
三草山城跡には、三つの登山コース(三草・鹿野・畑コース)がありますが、距離と時間の短い畑(はた)コースを選択しました。畑コース朝光寺の北部の畑地区の口池に駐車場があります。
▼駐車場の入り口の説明版 (畑コース)
▼登山路と等高線
三草神社の鳥居が畑コースの登山口になっています。ここから頂上まで1.4kmで約40分要します。
▼三草山の畑コースの登山口
▼整備された階段
▼森林管理署の表示板と地図(林管理署)
20分ほど階段を登っていくと、ようやくなだらかな道に入り、その先に明るく展望のよい場所にやって来ました。
▼ベンチ
▼南の展望
さらに進むと、見晴らしのよい尾根筋にはいります。説明版があり、その向こうに目指す三草山の頂上が見え始めます。
▼尾根上の道
▼説明板
先を進むと、地肌が赤く露出した道があり、そこを抜けると、山頂南筋です。
▼赤い土肌が露出
▼山頂の南筋
▼案内板(左・南は鹿野コース、右は山頂)
▼山頂南筋の緩やかな山道
この場所は、鹿野コースと畑コースとの合流地点です。鹿野のコースの方角を見ると、急な崖状になっていました。
▼鹿野コースからの城域に入る崖状の道
ここから頂上まではゆったりとした城域で、右側にはいくつかの段になった削平地があり、頂上(主郭)下の曲輪には大きな切岸があります。
▼頂上手前の曲輪の切岸
▼頂上(主郭)の虎口
頂上の中央は、露出した自然石があります。頂上からの景色は格別で、播磨平野が一望できます。 天気がよいと、瀬戸内や明石海峡大橋・淡路島がよく見えます。
▼頂上 主郭(本丸)
▼山頂からの展望(南) 中央昭和池
▼山頂からの展望(東)
山頂(主郭)の南側に石垣があります。
▼主郭の南の石垣
▼主郭の南側
山頂(主郭)の北側は、崖状になり、小さな曲輪がいくつかあります。南に少し下ったところに、みくさ古道という表示がありました。
▼みくさ古道の表示と下り道
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