82歳からの旅

私の記録

秋の関門クルージングに参加して考えた事

2013年10月22日 12時47分46秒 | 随筆
        10月22日 火曜日   
 秋の関門海峡クルージングに参加して、先ず驚いた事は参加者の多かったことです。何と言っても、参加者に子供の多い事でした。
 
 この頃人の集まる処ではテレビで見ても、街角で見ても老人の多いことです。バスに乗っても、観劇に行っても同じです。

 今のこの老人の多い社会の中で、子供達が生きている事です。人間社会の構成は、老人を支えられる成人達と、子供がバランス良く組み合わさって社会が成り立つ様に少しでも近づける努力をすることです。

 元気の良い「大きな夢と希望に満ちあふれた」子供達、この子供達に「すばらしい夢や希望の持てる未来を」残してあげる事!!!!

 今の社会は老人が多くてその為に、成人や子供達に多くの借金を残す社会、これがいいはずはありません。一刻も早くこのことを、改善すべきです。これに背を向ける人は、人間の心を持ってない人間の顔をした悪魔だと言いたいのです。こんな社会の儘で、子供達に引き継ぐ事は出来ません・・・・・・・・・ 
 
 別の面では 子供が乱暴や悪戯をしていたら、社会経験の豊かなお年寄りが優しくたしなめてやる。老人が困っていたら、元気な成人が助けてあげる。その様子を子供が見て学ぶ、そんな社会が望ましいのです。教育が気づかない自然のうちに、当たり前になされていくのです。

 人間の生活の基本は家庭にあり、次に家庭を取り巻く地域社会があるのです。その周りに町や市があって・・・・・・・・・その中で生活しているのです。

 それが核家族や単身赴任等で、家庭が崩壊しているのです。そのような社会構造を、改める事も大切です。

 三世代同居の家庭では家庭の中に、世代の違いによって多くの矛盾があります。が家庭の根本は、家庭が憩いの場である事です。働いてお金を稼ぐ人、その人のおかげで一家の生活が出来るのです。働く人に感謝の気持ちを持ち、満たされない事にはお互いに理解して耐えて生きて行く事が大切です。

 多くの矛盾を孕む家庭の中で、それぞれが我慢をして耐えていく心をしっかりと育てる事が大切です。
世の中が進歩して便利になったために、今迄培ってきた大切なものを多く失ってきているのです。

 三世代同居の矛盾の中で、お互いが理解し・我慢して耐えて生きていくのです。この事に早く気づいて欲しいのです。                        
 
 世の中の変化は逆戻しは出来ない、ではそれをどうするかを見つけない処にも、今の社会の問題があるのです。
 
   ・・・・・・・・・ 未完・・・・・・           
      
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痴呆の弟の分迄生きる事が、弟の介護にと?!!

2013年10月21日 20時45分31秒 | 随筆
        10月21日 月曜日   
 私の弟が痴呆になり、施設に入所して早2年も過ぎた。その間兄の私が不慣れながら、保護者になってその世話をしている。
 

 何分にも80歳を過ぎて、腰椎で十分な世話も出来ません。然し何とか頑張って、弟の世話をしています。弟をグループホームにうつして、そちらに任せていますが「衣服の補充や健康の異変など」もあります。連絡のたびに其の対応は、しないわけにはいきません。
 

 自分の事でも家では、妻の世話になっているのが現状です。そこで割り切って、「弟の分まで私が幸せに生きる。」そのように考えて生きる努力をする。その間に弟の、保護者としての勤めを何とかする。


 私はグループホームを、訪問するたびに弟に「何か欲しいものはないかね?好きな食べ物はないかね?。」
「困ったことはないかね?等々。」尋ねますが

 そのたびに、「別に無いよ。」と言いますそれが不憫でたまりません。それでどうしても「私が弟の分まで幸せにいきたいのです。」神様許してくださいね、お願い致します。
 

 弟の世話は十分には出来ませんが、「たった一回きりの人生・そして弟との出会い。」出来る限りの面倒を見て悔いのない今生を力一杯生きたいと思う。 至らぬ兄を御免なさい・痴呆でなにも解らない私の大切な弟よ     /font>
      
            
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心に栄養を

2013年10月19日 20時36分18秒 | 随筆
             10月19日 土曜日   
 昭和20年頃の、第二次世界大戦後の中学生の時代は野球少年でした。世の中は殺伐としていて、小倉の繁華街には闇市がありました。そこに行けばほしいものは何でも売っていました。
 
 その当時戦争後の中学校に、夏の甲子園野球が復活しました。その頃の娯楽と言えば、野球のほかには、映画を見ること位でした。又映画を見るのは月に一回位でした。
 
 世の中全体が貧しく、田舎で中学校へも行く人はごくわずかでした。8キロばかり離れたところにある、中学校には、自宅から歩いて通っていました。自転車が買えないし、有ってもタイヤがない「タイやにするごむがなかった」そんな時代でした。
 
 中学・高校生時代の私は、50戸ばかりの集落の子供を集めて、野球のチームを作りました。小学生4年生から高校生までのチームでした。学校帰りには村の小学校のグランドで、毎日の様に遅くまで練習をしました。

 土曜日や日曜日には、近くの村のチームと試合をするのが楽しみでした。又スポーツ店が企画して、3~4カ村のチームに呼びかけて、大会をしていました。

 農繁期の忙しい時に、大会があるときは父母には野球のことは知らせずに、子供たちに集合時間に・集まる場所を申し合わせて、こっそりと出て行きました。

 今考えると選手になった子の家には、大変迷惑を掛けていました。良く何も言わずに、出してくれた事と思います。良く幼い子供を集めて遊んだ子供時代でした。

 よく遊び~良く遊んだ子供時代でした.毎日が身も心も満たされて、疲れていたと思います。心と体はさぞかし強く逞しく育った事と思います。

 へ・へ・へ・へへ・・・・・・・・・80過ぎの不良じいさんの回顧録です へ・へ・へ・へへ・・・・・・・・・

 

 
 
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自分のブログのパスワードを忘れる,困った後期高齢者の「お詫び」の言葉

2013年10月18日 12時44分29秒 | 随筆
           どこえ   10月18日 金曜日 
 今朝書いたブログがもう見つからない。何処枝行ったのだろうか? 仕方がないとても悔しいが 思い直して書こう・・・・・・
 
 以前に忙しくて4~5日ブログを休みました。さてブログを書こうと「82歳からの旅」のブログを開こうと
してパスワードをメモしたものでログイン
しようとしましたがログインしないのです。

 パソコンが「私に反発して言うことを聞かないのです。」それから色々と試みて見ましたが,どうしても私の言うことを聞いてはくれません。「私は困り果ててしまいました。」悪戦奮闘しましたが甲斐もなく誰にもいえませんが内緒ですよ「半ばやけ気味でした。」もうほうとけ・・・・・・とそんな気持ちでした。

 昨日何気なしに携帯電話のメールの欄に受付のメールがあります。と有ったのでそれを見てこれなら出来るかもしれないと・・・・・・それからFAXが夜届きました。それを見てやっと解決しました。

 私が痴呆になってパスワードを、記憶間違いしていたのです。なーんだそれで今迄もやもや
していた、頭の上の重しがとれてすかっとしました。

  私はなんと後期老齢者で痴呆になって,自分のブログのパスワードも忘れていたのです。 

 貴方のブログを見ようとした人々にも「お詫びをちゃんと言いなさい。」 あー恥ずかしい<.だから年寄りは引っ込んでおれば良いのです。貴方はもう「人前に出てはいけませんよ」と神様が親切に教えて下さったのです。

 「老いては子に従え」と言うでしょう。解ったかね? ハイ「解りました」?・・・・・・こんな後期高齢者の
ブログを読んで下さる皆さんに,心からお詫びを申し上げます。相済みませんでした・御免なさい・・・・・・

 これから又「ぼちぼちブログを書きますので」私が後期高齢者の痴呆にならないように見守って下さいね?
どうか宜しくお願い致します。

               
     平成25年10月18日      老いぼれのひどい後期高齢者より 

 
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結婚式・披露宴に参加して

2013年04月23日 10時04分40秒 | 随筆
           4月23日火曜日   
 姪の子の結婚式等3回も参加して、この頃の若者の結婚式の在り
方について考えさせられた。其のことを2~3書いて見よう。
             
 結婚式に参加して、共通していた事は結婚する当人の意志で計画
がされていました。結婚は両性の合意に基づく、新憲法の精神に沿
っているので良い事だと思いました。
 然し、式の在り方には、神前結婚式・教会結婚式・人前結婚式等
々、是も当人が決める事?。両家の共通理解が必要ですよ…。

         その1
 旧来の結婚式は、結婚することで2人の家族が結ばれる事を大切
にしていました。ところがこの頃の結婚式は、子供任せに成ってい
ると思われる事が見られます。
 結婚する両人で結婚式場の業者と、打ち合わせて案内状を発送し
ているようです。
 案内状が届いたので、会場に行くのは等々?と尋ねると、母親は
「どうなっているか娘に聞いて後で電話をします。」と、こんなこ
とで結婚式や披露宴は、上手くいくのかと心配です。仲人もおらず
に、業者任せの結婚式と披露宴のようです。
 どうにかとどこおりなく、済んでよかったですが、両家族は果た
して?快くおめでたかったのかと…何もなければ良いが…
 
          その2
 人前結婚式・こちらも子供の案内状で、結婚する二人が中心に計
画を立てて、案内状を発送していました。然し父親と結婚する新郎
が事前に良く話しあっていた事が分かりました。然し業者が十分に
なれていない為に、披露宴ではロスの時間が多かったようです。
 
          その3
 披露宴で若者の参加が、多かった事です。其の為に披露宴は盛り
上がり、賑やかでした。参加した若者はとても、楽しそうでした。
 参加した若者も、今度は私の・俺の番だとニコニコ顔でした。         
     
          その4
 問題として 結婚する両人が中心になって、計画することは良い
事ですが、両親との内容の連絡と、両家の連絡を充分にすることを
忘れないことです。そうして二人の門出を、両家と参加者全員で祝
福致しましょう。
 ご結婚おめでとう御座います。これからの二人の前途に幸せが一
杯有ります事をお祈りいたします。

 これから長い付き合いをするのですから、行き違いのない様に内
様の細かなところまで理解し合っておく事がたいせつです。
 
 



















  
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