82歳からの旅

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2012年11月20日 20時45分53秒 | 歴史
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私の郷土ー海峡の町門司

2012年11月20日 18時58分15秒 | 歴史
           11月20日火曜日    
 ~見どころは一ぱい~ 門司は海陸交通の要所として日本史に名を刻む、多くの出来事の舞台となってきました。

      古く平家の滅亡は,古代から中世へ・攘夷の戦いは中世から近代日本へと大きく変革しました。奈良時代に遣唐使を唐の国に遣わす時、最後の送迎場所が対岸の彦島で弟子町と地名が残っています。彦島は門司から見れば、対岸ですぐそばにあります。 
 
  源氏と平氏の最後の戦「壇ノ浦の合戦」跡も、関門海峡一帯です。主戦場は関門橋あたりから、満寿・干寿の島あたりです。その折安徳天皇の住まいの跡は、「御所神社」のある場所です。其処に郷土の氏神「御所神社」が建てられ、秋には祭りで賑わいます。 

  合戦の時に、源 義経が八艘跳びした話や,二位尼に抱かれて安徳帝が入水した処は、関門橋の傍で和布刈り対岸の御裳川あたりと言われています。 

 少し後の豊臣 秀吉が韓国出兵で、名護屋城に居た時、秀吉の母の急病の知らせで帰阪しました。その際に暗礁に乗り上げ、船は半ば沈み危うく助かりました。其の座礁した浅瀬も、JR小森江駅の前の沖あたりです。

 日清・日露に戦勝後は、大陸貿易の基地として、門司港は重要視されました。更に韓国併合・満州国の建国後は、大陸での対外戦に備えて、兵糧や兵器弾薬等の貯蔵庫が建てられました。

 田ノ浦には米五万石を貯蔵出来る倉庫が建てられ、全国から集めた米を倉庫に送る鉄道が敷かれました。門司港~田野浦間の輸送の売上高は、トップだったと伝えられてbいます。

 門司港駅の前には、凱旋門が建てられて「門司港から大陸へ・大陸から門司に帰還した兵士は」その門をくぐったのです。


 この様に多くの歴史に彩られた関門の町門司は、今官民一体となって過去の歴史や伝統を生かし、「新しい観光の町レトロ門司」の再生を着々と進めている処です。

 参考文献 門司市史第二篇他 田 武義 















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