82歳からの旅

私の記録

 ~ 太平洋戦争・ガダルカナルを見て ~ 

2017年02月11日 17時16分58秒 | 歴史

     2月11日 土曜日    

 私の本棚には、太平洋戦争の資料が多い。その中の一つに太平洋

戦争のCDユーキャン作成十巻があります。

 時々それを見て其の戦で、青春の全てをかけた兵士を心を偲んで

います。戦争の良し悪しは別にして、陸軍・海軍の戦略の不一致や

上層部の状況把握のなさに、唯ただ悔しさに涙がだます。 

 海軍が大事な戦略と言っても、陸軍は此方の法がと言い。意見が

一致した時は既に敵は、最強の陣を築いてわが軍の作戦秘密暗号を

キャッチして待っているのです。

 其の為に最前線で戦う兵士は、食料の補給もなく武器弾薬もない

中で前線に戦死しに行く様な状況です。

 今また日本は戦争に、加担しようとしています。若者に愛国心を

に騙されず、敵味方共に、人の命を最重視する心の育成こそ大切で

す。 

            

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 ~ 暇な時間を捻出して生きてきた私の整理を 

2017年01月30日 17時55分49秒 | 歴史

       1月30日月曜日     

 暇な時間に私の生きてきた跡を整理し、子供や孫たちに残して

置きたいと思っています。そこで「私を育てた、故郷の自然と人達」

に纏め細やかな自分史を出版しました。

 そうして今纏めている此の事も、人生にとって大切と思い纏めて

いるのです。

 其の訳は、私の生き方がそうさせたのです。私は小作人に近い

農家に生まれて、父の生きる姿を見て来ました。そうしてまさに父

の生き方をその儘私も生きているのです。

 父は朝は早く起き、夕方は星明りで仕事をしていました。「朝は

朝星、夜は夜星。」の諺のように・・・。

 それでも夜には必ず、机に着き1日の記録を書いていました。

私は其の働くところだけ、父のようにして来たのです。それで

私は何をしても、後の整理をせずに、やりっぱなしなのです。

 86年も生きてきた後の整理が、それは大変なのです。

 なんでもした後必ず、整理をする事が如何に大切かを

子や孫達に教えたいからです。

               

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 ~ 私の生きてきた後を、少しづつ整理して ~

2017年01月25日 18時05分52秒 | 歴史

     1月24日火曜日   

 自分の部屋の整理をしながら、生きてきた後の整

理もするのです。先ず「私を育てた故郷の自然と人達」

の、整理からです。

 私を教え指導した先生に、感謝の気持ちを込めて

お礼をする事。

 お世話になった人々に、感謝の気持ちを伝える事等

です。

 次は出来上がった、本の始末です。これはお世話に

なった人と、ごく親しい人に贈呈するのです。  

次の様な文章を添えて

 今年は私にとって、米寿前の厄年です。これも私の

人生の一駒です、それを乗り越えて生きて行くかくご

です。

 私は昨年生きてきたあとを、子供や孫たちに残して置

きたいと思いました。そこで私が生きてきた後を、赤裸々

に、自分史に書きました。

 人様に差し上げるような、ものではありません。けれど

お世話になった人や、親しい人に差し上げる事にしまし

た。どうぞよろしくご笑納ください。…武義・・・

 本の発送が出来ると、一応自分史の整理は終わります。

これから後編の資料を集め、精選して後原稿書きになります。

                  

 

 

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 ~ 「私を育てた故郷の自然と人達」の出版祝賀会 ~

2017年01月24日 17時19分41秒 | 歴史

     2017年1月24日火曜日   

 

 昨日17時半より私の自分史「私を育てた故郷の自然と人達」の本の出版

祝賀会をした。これは妹の計画で、身内による細やかな会合でした。

 でもややもすると疎遠になりがちな、今日の現状から中々出来にくい事を

成し遂げたのです。

 

 10歳違いの 末の妹の行動力に、老齢の私は従わされたのです。でも集ま

った12人は私が最高齢で、後は甥や姪達で久しぶり親族の賑あいだった。

 自分史の内容の良し悪しは別にして、身内の心の結合に役だったのではない

かと思った。 

 

 此の会をした後で老いぼれた私が、親族にする大事な仕事の一つと思った。

現実に生きる人間社会の、心の結合剤の様な役割?かな???

                

 

 

弟源治を見舞いました。

6人兄弟のうち生存4兄弟が一緒に食事をして楽しいひと時を過ごしました。

 

 弟の高校時代です

 弟が家族といつでも会えるように部屋には写真を貼ってあります。

 

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  ~ あの 「十二月八日」 の 日 ~

2013年12月08日 06時35分13秒 | 歴史
  12月8日日曜日   

    ・・・・・ ~ 今日は何の日 ~ ・・・・・
      直感的に想い出すのです、私たちの世代は

    あの12月8日の日は,金曜日であったのです。後に
   誰かが真珠湾奇襲攻撃を、アメリカを茶化して金曜日
   を来ン曜日と話していました。
    
    今日は来ン曜日なので、真珠湾のアメリカ軍の幹部
   は皆のんびりとしていた。等
   と茶化して…(それで日本が金曜日だったのかアメリ
   カが金曜日かは?記憶は定かではありません)

        あの12月の8かの日
        太平洋の真ん中で 桜のようおーに潔く
        勇士はなーみに ちーったのさ
   
    潜行艇に乗って,軍港真珠湾内に突入して潔く
    玉砕した九人の勇士を称える歌詩の一部です。

    此の歌が流行って子供達は良く歌ったものでした。
    私も頑張って 15歳で少年飛行兵学校に

    あれから70年有余・小生5年生 あっという間です。
    未曾有の大戦  そして広い範囲の戦勝・又戦勝に
    一億日本国民は酔いしれる・・・  

    多くの戦場で 武器弾薬 食料がなく・・・
    ガダルカナル・ニュウギニア・インパールでの攻防戦で
    食料が亡くて・多くの餓死者を

    そして敗北  と大混乱 
    復員に 海外から大人数の帰国で 敗戦後の国内は
    
    舞鶴での復員兵を待つ 岸壁の母
    田端義夫の 帰り船の歌の 大流行 等々
     
    物資の欠乏と 闇市 パンパン娘 等
    なんだか頭がこんがらがって・・・・
    
     でもその中で中学・高校・浪人 そして大學と
    くぐり抜けて生きて来ました
     
    その後 戦勝国を追い越して
    日本は奇跡の復活・再興

    世界の国々は改めて、日本を見直しました。
    










   
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