82歳からの旅

私の記録

 ~ 父母の50回忌の法要を終えて ~

2014年03月09日 21時12分32秒 | 生活

     3月9日日曜日
 父は 私が35歳の時に亡くなった、その父を追う様にして翌年母も亡く
なった。 あれからもう50年の年月が過ぎ去ったのであるのかと思うと・・・?。
 法要は午後の2時からでした、僧侶の二時間余りのお経が終わってから後
は内わの皆さんでの会食です。

 痴呆で歩くことも十分でない弟も、連れて行く事にしました。弟にとって
此の50回忌の法要が、生まれた家との最後になると思って連れて行きまし
た。

 会食後の懇談に私が準備したのは、田家の家系図でを作る事でした。其
れと新しい田家で父母は、「僅かな田地で6人の子供をどの様に育てきた
か?」。を残された家族の人や、弟妹に是非知らせたいと思ったからでした。

 先ず家系図については、苅田町役場で祖父・祖母に父・母の戸籍などを申
請して用意しました。其れを資料にし現在作れる範囲で家系図を作成しまし
た。残念な事は戸籍法が改正されて、祖父以前の戸籍が破棄されてない事でした。

 もう一つは 現在私が作成中の「自分史の中の一部・私が幼い頃の田家
の様子・・・」母の「家での生活/仕事の様子について」と父の「毎日の生活
や仕事の様子」について纏めたのをプリントしてその席で、参加者に紹介し
ました。
 
 其れが「父母の50回忌の法要の時に出来る」私の役目だと思ったからで
す。ぜひとも今調べて知っている内容は、皆さんに知らせたかったのです。

 其れを父母の墓前に供えて、50回忌の供養の一端にしたいのでした。こ
んな次第です。

 たいした財産もなく平凡な教師で過ごした私に、出来る最大の供養と思っ
て準備致しました。
 
 父は幼少の頃丁稚奉公にいき、其処から中学に行っていました。でも其れに
耐えられずに中退したのです。
 父は其の事を大いに反省し、生涯を生きて来たと思います。悔しくて悔して・
取り返しの出来ない、若い時の行動を悔い、・・、子供にだけはとの思いで父母
ともに生涯を「子供の為に、」生きて来たのだと私は推察しています。
是は私の自分史を纏めていて強く気づいたのです。

  父は其の事が人生の根本にあって、其れで私を育てたとの思いが強くす
るのです。

 内容の一部を要約すると、父は37歳で家を新築したこと.自分の家の
山の木を一本一本切り、家の柱・天井のはり等と考えながら・・・・・

伯父(父の兄で17歳年上)と相談し兄の留守中に6畳の間を8畳にする
などと・・・計画を変えたことなどしたりして。

 其れを製材して建てたこと、私の誕生と合わせて分家して住んだこと等。
其の為に母と協力して寸暇を惜しまずに働いたこと等です。そうして生計
を立てていたのです。
 母は其の父に従って働き、父を助けての毎日であったのでしょう。

 私が幼い頃家の柱に、ひもで繋がれて一人遊びをさせられた事、の意味が
良く解りました。8つ違いの姉が私を学校に連れていったこと、等も良く
解りました。また秋も暮れの頃の事でした。小学生の姉は夕ご飯を炊いて
いました、処がご飯のお釜の割れ目から水が漏れています.姉はどうした
ら良いか解らずに、泣きながらご飯を炊いていました。

 暗くなって遅くに父と母が、お腹をすかせて帰って来ました。姉はひとき
わ大きな声で、泣きました私も泣きました。
 
 父と母は叱る訳にもいかずに、・・・・・そんな笑えない思い出もあり
ました。姉や兄も、父母と一緒に頑張って、田家を守り継いで来たのです。

 お父さんお母さん・そして姉さんにお兄ちゃん・本当にありがとう。
有り難う残された私達は生きている限り、お父さんやお母さんの心を受け継
いで、田家を立派にお守り致します.どうぞご安心下さい。 
   
             ・・・以下省略・・・