11月29日金曜日
今日は整骨院に行って帰りに、スーパーで買い物をしそして帰宅しました。午後は時間が自由になるので、母がたの従兄弟の病気見舞いに行くことにしました。従兄弟は私より一つ年長で脳梗塞を煩ってから、入退院を繰り返して3年ばかりに成ります。従兄弟は下に妹が一人いるだけです、其の妹も81歳で遠方にいる兄の見舞いには行けません。
私が子供の頃良く母方の家に行き、泊まって一緒に遊びました。其れで私は暇を見ては、見舞いに行くのです。
一時間もかけて車で見舞いに行きましたが、家にはいませんでした。其れで仕方なく妹の家に電話して、妹の家に行きました。見舞いの果物は妹に半分あげました。其処で色々と話している中に、父方の従兄弟の嫁さんが「田家にめいわくを掛けて相済まない」と言っていたとの事を聞きました。
其れで帰りに「従兄弟の嫁さんで93歳になる人が入っている」施設に寄って、聞いて見ることにしました。
施設に見舞いに行って見ると、丁度老人向けの体操をしていました。其れが終わってから「末子・通称
スエちちゃん・又は姉さんと呼ぶ」の部屋に行きました。
其処で聞いている中に、こんな事を言うのです。「私は子供は女の子二人で、私がいなく成ったら「田家が絶えて仕舞う」のです・又「私がいる部屋の荷物は誰が片付けるでしょうか?」 等などと
纏めると「田家のお墓のもりや・先祖の供養・等です」又「田家が絶えて仕舞う事」の心配でした。其れも「私が娘さんに伝えてあげるから」心配しなくて良いのです。……
其処で「そんな事は心配しなくて良いのですよ」「貴方のお子さんがちゃんといるではありませんか」
と言ったのです。それに娘さんの子供は「立派な病院の院長さん」でしょう。……
こんな話をしていると、其れで娘は子供のために忙しくて中々私迄、手が回らないのです。…と自分の子をかばうのです。
其れで私は姉さんそんな事は私が、娘さんに伝えてあげるから大丈夫。又此処の荷物は私が始末してあげるから、大丈夫ですよ。と約束して、見舞いの果物を姉さんに渡しました。姉さんは受け取るのを心苦しそうに、代わりに姉さんの部屋にある「ジュウスやお菓子等あれもこれもと…袋にいれる…」其れを振り切りながら部屋を後にしました次第です。
、「93歳の女性の悩み」そんなことを「考えたらいけませんよ」自分で自分を苦しめる事になりますよ?いくら此処で考えても、答えは出ないでしょう?。
姉さん貴方は「子供や孫やひ孫の可愛い事を思いなさい。」とても可愛いでしょうそうして一日一日をゆったりと過ごすんですよ……言いかね……
帰りに従兄弟の入院している病院に行った、其処では寝たきりの患者に岐阜の寺の言付け「遠いので見舞いには行けませんがしっかり療養して」とそれから「貴方や嫁さんに子供達も皆良い人ばかりなので、貴方は何も心配しなくて良いですよ」と告げました。
従兄弟はうれしさで必死に涙をこらえて、いる様を見て私迄涙が出そうでした。早々に別れを告げて家路に急ぎました……。
今日は一日本当に良いお見舞いでした。しかし後の責任の重さを知らされました。
今日は整骨院に行って帰りに、スーパーで買い物をしそして帰宅しました。午後は時間が自由になるので、母がたの従兄弟の病気見舞いに行くことにしました。従兄弟は私より一つ年長で脳梗塞を煩ってから、入退院を繰り返して3年ばかりに成ります。従兄弟は下に妹が一人いるだけです、其の妹も81歳で遠方にいる兄の見舞いには行けません。
私が子供の頃良く母方の家に行き、泊まって一緒に遊びました。其れで私は暇を見ては、見舞いに行くのです。
一時間もかけて車で見舞いに行きましたが、家にはいませんでした。其れで仕方なく妹の家に電話して、妹の家に行きました。見舞いの果物は妹に半分あげました。其処で色々と話している中に、父方の従兄弟の嫁さんが「田家にめいわくを掛けて相済まない」と言っていたとの事を聞きました。
其れで帰りに「従兄弟の嫁さんで93歳になる人が入っている」施設に寄って、聞いて見ることにしました。
施設に見舞いに行って見ると、丁度老人向けの体操をしていました。其れが終わってから「末子・通称
スエちちゃん・又は姉さんと呼ぶ」の部屋に行きました。
其処で聞いている中に、こんな事を言うのです。「私は子供は女の子二人で、私がいなく成ったら「田家が絶えて仕舞う」のです・又「私がいる部屋の荷物は誰が片付けるでしょうか?」 等などと
纏めると「田家のお墓のもりや・先祖の供養・等です」又「田家が絶えて仕舞う事」の心配でした。其れも「私が娘さんに伝えてあげるから」心配しなくて良いのです。……
其処で「そんな事は心配しなくて良いのですよ」「貴方のお子さんがちゃんといるではありませんか」
と言ったのです。それに娘さんの子供は「立派な病院の院長さん」でしょう。……
こんな話をしていると、其れで娘は子供のために忙しくて中々私迄、手が回らないのです。…と自分の子をかばうのです。
其れで私は姉さんそんな事は私が、娘さんに伝えてあげるから大丈夫。又此処の荷物は私が始末してあげるから、大丈夫ですよ。と約束して、見舞いの果物を姉さんに渡しました。姉さんは受け取るのを心苦しそうに、代わりに姉さんの部屋にある「ジュウスやお菓子等あれもこれもと…袋にいれる…」其れを振り切りながら部屋を後にしました次第です。
、「93歳の女性の悩み」そんなことを「考えたらいけませんよ」自分で自分を苦しめる事になりますよ?いくら此処で考えても、答えは出ないでしょう?。
姉さん貴方は「子供や孫やひ孫の可愛い事を思いなさい。」とても可愛いでしょうそうして一日一日をゆったりと過ごすんですよ……言いかね……
帰りに従兄弟の入院している病院に行った、其処では寝たきりの患者に岐阜の寺の言付け「遠いので見舞いには行けませんがしっかり療養して」とそれから「貴方や嫁さんに子供達も皆良い人ばかりなので、貴方は何も心配しなくて良いですよ」と告げました。
従兄弟はうれしさで必死に涙をこらえて、いる様を見て私迄涙が出そうでした。早々に別れを告げて家路に急ぎました……。
今日は一日本当に良いお見舞いでした。しかし後の責任の重さを知らされました。
私も学校帰りにスエノさんの床屋によく立ち寄りました。
人扱いが上手で、叔父さんは国鉄マンで。
そういえば、今から40年ぐらい前、私がある手術で入院中
夫妻で鹿児島に旅行に来られて、病院によってくれました。93歳。私より20歳上だったんですね。
2人の優秀な娘たち、お母さんどころじゃあないのですね。
確か長女のu子さん。校長先生までなられて、まだ現役ではないですよね。お母さん大事にしてあげて欲しいです。
あの二人にはもっとあっていないです。本当に私は浦島太郎。友人にはよく会っていますが、従弟はどこにいるかも知りません。
この前苅田まで立ち寄ったとき、姉に見舞いを勧められたのです(ゆうじ君の結婚式)が時間が取れませんでした。
40年ぶりに会ってみたいです。
故郷は遠くにありて思うもの、そして悲しく歌うものですね。
残念ながら 今の時代 私たちのころから少しずつ
繋がりが薄れて 最近のはやり言葉に 『絆』 と
言われますが 同姓や親戚の交誼がまずは最初の
絆、 もう少しその絆の重さを日本中が再認識しないと
この国の行く末が・・案じられます。
その責任は まさしく我々と・・心改めます。
すが、80歳であろうと90歳になろうと、人生の根を伸ばし
張りつづけることの大切さです。
日本社会が超高齢者社会といわれ、それが社会の負
債であるかのように言われるのですが、とんでもない間
違いで、それは社会の正面とか上っ面をみているだけ、
社会の土壌というか根というか、その部分に蓄えられて
いるエネルギーに目が届いていないと思います。
そのエネルギーは爆発という形では発揮されないでし
ょうが、地熱が地中を温め温泉を生みだすように、社会
のなかの「温めエネルギー」になるように、高田さんのブ
ログから感じました。