11月28日木曜日
私の故郷福岡県京都郡白川村(現在は苅田町)は、貫山の山裾の西・北・東の三方を山に囲まれた小さな盆地です。其処に30戸~40戸の集落が、7箇所ばかりに散在した凡そ300戸の農村でした。南東方面は行橋市に面しています。
山の谷間には山裾から山頂近くまで、小さな棚田を貼り付けたようにあり。狭い平地には田んぼが広がっています。
春は田園一面に蓮華の花や菜の花が咲き乱れ、三方の山は新緑が一斉に芽吹いてとても綺麗でした。初夏夕闇が迫る頃に成ると、ホタルが飛び交いとても幻想的でした。子供達は夕ご飯も食べずに、ホタル狩りに夢中でした。
蓮華草の咲き乱れる田んぼの中に入って、男の子は相撲を取って遊び、女の子は蓮華の花をとり髪の毛にさして飾ったりして遊びました。
夏には澄み切った小川に、ハエやアユなどが沢山泳いでいました。学校の帰りに子供達は小川に入って、素手で魚取りをしたり・水遊びに夢中でした。
秋には実った稲穂が田園一面に、黄色い絨毯を広げたようになっていました。周りの山々も紅葉して村全体を大自然画家が絵描いた、一大会画のようでしす。その中で子供達は「かくれんぼをしたり・鬼ごっこ等をして遊んだりしました」。
冬になると貫山から厳しい北風が吹き下ろし、吹雪の日には子供達は学校の行き帰りは大変でした。其れでもこれくらいの事で、くじける子供はいませんでした……。
こんな自然環境の、素晴らしいのどかな山村で育まれました。私の故郷・白川村に、私は今は帰りたいのです。今迄50有余年も故郷を放り出して,今更になって帰りたいなんて少し我が儘ではないですかね?……御免なさい…でも私の心は帰りたいの一心です。
私の故郷福岡県京都郡白川村(現在は苅田町)は、貫山の山裾の西・北・東の三方を山に囲まれた小さな盆地です。其処に30戸~40戸の集落が、7箇所ばかりに散在した凡そ300戸の農村でした。南東方面は行橋市に面しています。
山の谷間には山裾から山頂近くまで、小さな棚田を貼り付けたようにあり。狭い平地には田んぼが広がっています。
春は田園一面に蓮華の花や菜の花が咲き乱れ、三方の山は新緑が一斉に芽吹いてとても綺麗でした。初夏夕闇が迫る頃に成ると、ホタルが飛び交いとても幻想的でした。子供達は夕ご飯も食べずに、ホタル狩りに夢中でした。
蓮華草の咲き乱れる田んぼの中に入って、男の子は相撲を取って遊び、女の子は蓮華の花をとり髪の毛にさして飾ったりして遊びました。
夏には澄み切った小川に、ハエやアユなどが沢山泳いでいました。学校の帰りに子供達は小川に入って、素手で魚取りをしたり・水遊びに夢中でした。
秋には実った稲穂が田園一面に、黄色い絨毯を広げたようになっていました。周りの山々も紅葉して村全体を大自然画家が絵描いた、一大会画のようでしす。その中で子供達は「かくれんぼをしたり・鬼ごっこ等をして遊んだりしました」。
冬になると貫山から厳しい北風が吹き下ろし、吹雪の日には子供達は学校の行き帰りは大変でした。其れでもこれくらいの事で、くじける子供はいませんでした……。
こんな自然環境の、素晴らしいのどかな山村で育まれました。私の故郷・白川村に、私は今は帰りたいのです。今迄50有余年も故郷を放り出して,今更になって帰りたいなんて少し我が儘ではないですかね?……御免なさい…でも私の心は帰りたいの一心です。
私のふるさとは、今の我が家から数キロ山の麓・・
裏の小川でカジカやドジョウやうなぎを採って大喜び
して父の酒のつまみに・・・そんな昔が懐かしいが・・
あそこに見えているが・・・戻れません。
ふるさとは 遠くで思うも 近くで思うも 心の中の故郷
は永遠です。 そっと自分だけの宝物をたまに懐かしく
思い起こしてあげるのが一番でしょうね
普通に鮎が獲れるなんていいですね♪鮎は美味しいです♪
私が子供の頃は裏の山にしばはりや腐葉土を祖母ととりに行った思い出があります^^
お友達や弟とは、ペッタンやビー玉・ゴム飛び・かくれんぼ・缶蹴り・泥棒と警察・おしくらまんじゅう・花いちもんめ・リカちゃん人形遊び・ままごと・ざりがに捕り・・他にもあった気がしますw
パソコンとかなかったので、寒くても元気にどろんこになって遊んでましたね^^今の子供は家でパソコンやゲーム三昧(´・(エ)・`) 世の中は変わってしまいましたね;;
いつか奥様と故郷に足を運ぶことが出来たらいいですね^^