82歳からの旅

私の記録

  ~ 弟の病院の転任について ~

2014年04月11日 12時12分51秒 | 生活
        4月12日 土曜日 

 横浜赤十字病院を、平成21年4月9日に退院させた。私と妹の一枝の二人と
一枝の孫娘と其の彼が転院のためにを手伝ってくれた。

 転院させる前に、弟の家の中を一週間ほどかけて整理や掃除をした。その間私
は木更津市の弟の家から、横浜の赤十字病院に、何回も高速バスで見舞いに行った。
 
 又家のガス会社・新聞社市役所などの手続き・家庭裁判所等の諸手続きに
奔走しました。

 是が大変困難な事でした。弟本人で無いと出来ない事ばかりでした。不慣れな
土地で探して行くのにバス乗り場を探し、降りる停留所・・其れから会社や役所の
ある場所などなど

 身分を証明するには私と弟の戸籍抄本が必要です、・ 妹は家の整理やカード
会社からの請求書等を整理したり、送られて来た品物を必要も無いので断るのに
苦労した。

 その間弟は病院の生活に精神的に混乱して頭が少し可笑しくなったようである。
退院したいが身元引受人がいないので退院できないのです。兄の私は北九州に住
んでいて、急に弟の世話などは出来ないのです。

 其れで横浜赤十字病院と北九州に住んでいる私は、何回も電話で繰り返し話し
合いをしました。

 弟も速く病院を出て自分の家に、帰りたいのです。何とか病院を抜け出そうと
して,夜中にトイレに行く振りをして病室を抜け出そうとするのです。

 でも弟の部屋には扉もなく、ナースの部屋のすぐ前です。

 其の時の弟の気持ちを思うと,私も気が狂いそうになります。弟からは毎日の様
に兄貴何とかならないかと、督促の葉書が来るのです。

 けれども私の承認が無いと、病院では処置が出来ないのです。私だって今すぐ
弟を転院させるには,横浜にするのか,北九州にするのか? どんな施設が良いのか
も解らないのです。その上にお金がどれくらいかかるかも解りません。

 更には弟の金がどの様になっているのかも,はっきりと調べ無ければ成りません。
其れで中々転院の,決断出来なかったのです。

 処がたまたま末の妹が弟の病院に見舞いに行った時に,病院から言われて妹は断り
切れずに承認する事になったのです。妹には詳しい事情等は、良く解らないのです。
 
 千葉県の木更津市の家の近くにすれば、後が大変です。弟の面倒を見る事が出来
ません、其処で北九州市小倉北区にある、蒲生病院にとりあえず転院させました。後は
どうにかなるだろうと決断したのです。
   
 こんな世話の出来るのも、歳を重ねた人でないと出来ない勲章です。そう思う
と心も軽くなって来るのです。

 一番の心配は私の年齢です、私の年齢が・・・あまりにも残りが少ないのです.
でも天命ですので、其れに任せるしか無いのです。

 まあ遊び心で(弟と幼い時から仲良く遊んで来たので、死ぬまで仲良く遊ぶか?)
そんな軽い気持で・・・十分な世話は出来ないけれども? 弟よつまらぬ兄を許してくれよ・・・

 
 s               

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3 コメント

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そんなときに・・・ (屋根裏人のワイコマです)
2014-04-14 07:47:25
今回の弟さんの件に関しては高田先生の的確な判断と処置で
一番いい結果となったと思います。
そして 弟さんも今のように生きられて幸せだと思っていることでしょう
今回の結果はよかったのですが、参考までにもしも高田先生が
俊敏に行動できず、その措置が出来なかったらと思いますと・・・
そのときは、フィナンシャルプランナーという専門家がおりますので
その方に、一切を委託委任して対処して頂くという方法もあります
弁護士さんでは忙しくて、高額で対応できない分・・気楽に相談できる
ご苦労の数々、その様子が想像できるだけに二度とこのようなことは
繰り返したくありませんよね、でもこれから何があるか?
変な世の中ですから・・一寸フィナンシャルプランナーを
頭の隅っこに知っておいてもいいかもしれません
返信する
私にも言いたいことが (かごしまの妹です)
2014-04-14 09:55:56
私も3回は横浜の病院に行きました。娘のところに滞在中でした。

病院側が、交通事故の患者は1週間しか入院できない救急病院だからと、同じ病院内の精神科に代わって欲しいと私に同意を求めました。

でもそれだけは承諾できないと、武義兄が私に拒否するよう言いました。認知症だけどそこにだけは入れてほしくない。鍵をかけ、自由の利かない病棟。

でも主治医は私に懸命に説得、私は返事ができない。門司と横浜の病院で電話での説得が続きました。
でも病院の決まりは救急入院患者をそこから出さねば困る。

遂に登場したのは、女性の優しい〇〇マネージャ―。兄も面識のある話の分かる方。その方が懸命に電話で兄を説得。

主治医の言うことは受け入れなかったのに、割と簡単に・でもなかったかな?仕方がない、暫くそこにお世話願います。に変わったのです。

同じ病院内、その日のうちに移動。
思ったより、過ごしよさそうな病棟でした。
そのころの兄はコインを使って洗濯もできていました。
でも病棟入り口だけはしっかり鍵がかけられ、病棟内は自由にサロンや廊下も自由に歩けました。

私は訪問の時はなるべく兄を連れて病棟を出て1階の売店や、銀行窓口に行きました。
少しでも兄のストレスを和らげてやりたくて。

兄はこの病院から一日も早く帰りたくて、上の兄にハガキをせってと書いていました。あて名は上の兄がかいていました。立派な字で差出人は自分の生まれ育った福岡の住所を書いていました。(千葉の住所でなく)

そのあとは、兄や姉がすごーい苦労をして千葉に滞在して、横浜の病院と行き来しながら
時には北九州にも帰りながら 兄の後始末をしたのです。申し訳ない。私は何もできませんでした。
北九州の病院に入院が決まって 連れて帰る日私も北九州へ。3人で一緒に(兄弟4人)、ホテルに1泊
して、翌日入院させました。

年老いた兄と姉が どんなに大変だったか・一番若い私は長く家を空けられない事情もあり、役立てませんでした。でもほんの少しはお手伝いできたことをつい書いてしまいました。
返信する
人間関係の基礎。 (kaeru)
2014-04-14 21:57:31
「人間関係の基礎」。
こんな言葉があるのか知りませんが、親子とか兄弟は全
ての人間関係の元になっているものでしょう。そして生涯
にわたって結びついています。だからといって良い関係が
保たれるとは言い切れません。

身近だけに難しいこともあるなかで、貴重な話です。同時
に親族のつながりをサポートする社会としてのつながりが
必要だと思います。
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