82歳からの旅

私の記録

文豪 菊池 寛に学ぶ 

2013年11月11日 07時20分12秒 | 心に栄養を
          11月11日月曜日   
 今朝はだいぶん冷え込んで,肌寒い気持ちがします。こんな日はとても気持ちが良くて,身がが引き締まる思いがします。

 わたしは年間を通じて朝は肌着一枚で,新聞を取りに行き書斎で気の向く儘にしばらく過ごします。11月になった今も,そんな生活ですがそれが私の健康法です。

 さて私が以前に文豪「菊池 寛先生」の逸話に生きる菊池寛 1987年10月20日発行の(非売品)
の本の一部を紹介しましたので,又その中から………

  菊池寛 作 『父帰る』の初演を友達と一緒に観劇に行った時の感想を,友達の 江口 換(かんの手偏はさんずいです)さんは……字がパソコンで、出来なかったので……
 
 幕がおりてやがてパッと電灯がついた。隣にいた芥川を見ると芥川もハンケチでしきりに瞼を拭いている。久米の頬にも涙がとめどもなく流れている。小島政二郎も佐々木茂索も眼をまっかにしている。涙を拭いて立ち上がった私は,すぐ後ろに座っている菊池寛を振り返った。

 其の瞬間、思いがけないものをそこに見て、また,新しい感動が私を襲った。作者の菊池寛までが泣いているのだ。菊池寛はあぐらをかいたまま,しばらくはたとうとしない。とめどもなく溢れる涙は,彼の頬をすじになって流れている。だがそれをふこうともしない。
 
 そしてなおもじっとうつむき続けて、しきりにまぶたをしばたいた。涙はなかなかやまない。いつか眼鏡のガラスさえもぬらしてしまった。やがて彼は眼鏡をはずして手巾でふいて、その手巾で眼をふいた。だが、やっぱりだめだ。とうとうたもとからはな紙を出して何度も何度も涙と一しょに鼻水をぬぐった。

 「泣くまい泣くまいと思ってずい分我慢していたんだが、とうとう泣いちゃった」と言う小島政二郎のいささかてれたような声が廊下に出る戸口のへんから聞こえてきた。 
   
 その時 菊池寛の顔に、それまで一ども見たことのない悲痛な表情をはっきりと私は見た。そして,舞台で見ていた猿之助の兄と,今目の前で涙をふいている菊池寛とが、何故か全く同じ人間に見えてきた。

 「そうだ。あの賢一郎こそ菊池寛自身かもしれない」そう思った瞬間、またしても胸が一ぱいになって,新しい涙があふれてきた。その晩、菊池寛からうけた、その感動的な印象を,20年たった今日でも私はやはり忘れる事ができずにいる。

 此の感想から,文豪 菊池 寛先生の人柄が私の胸にも,迫ってくるような気がします。まだ他にも色々な人が,菊池寛について書いていますがはんめん泥臭い人間らしさも沢山書かれています。

 心の栄養には本当に,有り余る楽しくも可笑しくもある本でした。私の心は栄養たっぷりに………     
                







 

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1 コメント

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江口 渙 (kaeru-23)
2013-11-11 21:47:03
 菊池寛といい江口渙とは、懐かしい気持ちになる作家の名前でした。特に江口渙のただ一冊の歌集を持っていたことを思い出しました。
 『わけしいのちの歌』の上装本でしたが、これは探したがありませんでしたが、文庫本がありました。新日本文庫という今は発行されていませんが、その一冊です。この歌集は作家81歳の時の出版で「最初のそして最後の歌集」です。
 
 出来たら「kaeruのつぶやき」で紹介したいと思います。思いがけない作家の名前を思い出させていただき有難うございました。

 渙の字は私のPCでは「かん」の変換でできました。
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