4月8日土曜日
後期高齢者になると、不意に色々な事が起こります。
我が家にも?。大したことでもないのですが、妻が入
院すると私は大変です。
炊事洗濯はもちろんの事、妻の病院にも足を運びます。
其の上に孫が休み中だったので、その世話もします。
一番困ったのは、三度の食事の事でした。高校生の頃
家の米を盗み、友達と山で飯盒ご飯を炊いて食べた事が
有るので大丈夫と思っていたのです。
近くのスーパーに行けば一人分の食料などは、幾らでも
あるのですがそんなのには、目が向きません。
何とか一人で工夫して、・・・・・・
男やもめ暮らしも、大変な事です。今日はこれ位にして
今はコンビニに一人分があるのでそれも結構いけると
思います。そもそも、自分で食事位作ってなかったんですか。
飯盒で炊いた経験なんて、今は電気釜で作れるし、
おかずもつくるだけに切ったものもあるので愚痴らないでこの際開き直ることです。
どんな症状で入院したのか気になりますが、お大事に。
先日私のブログで親しくしている方へ最後の1冊を送りました。ところがその日のうちに読んでいただいたようで、すぐにご自身のブログで次のような感想文を書いていただきました。
髙田武義さんの「自分史を読みました」
というタイトルでブログで取り上げる お詫びの言葉なども前にかかれてそのあとの本文だけコピーしました。
私もたくさんの方に差し上げて、感想などをお聞きしましたがこうして文章にして頂くと後に残せるのでとてもうれしいですね。(以下本文です)
昭和5年生まれの方ですから私より23年先輩の話です。
教育的配慮ができる親の元に生まれていらっしゃるようです。
でも苦しい生活でした。
日本の農村の暮らしは、休む間もなく働いて、家族も大きな労働力として働いていた時代だったんだろうなと思います。
私の父も母もそうでした。
その中に鹿児島FMラジオのメイン・パーソナリティである「あの方」もご一緒に育っています。
あの朗らかで芯のつよいCさんが生れてきたと言っても言い過ぎではない環境だったのでしょう。
まれなことですが親の世代の三家族が隣接して暮らし、その大人たちがまた優しい人たちだったこと。
大人の愛情に包まれて育ったこと。自然・友人・恩師あっての人生だったと書かれています。
人にはそれぞれの人生がありますね。
当たり前ですが、それを表すことのできないまま、子供だけにしかその片鱗を見せられなかった人生も多いと思います。
歪曲した理解をされて、生涯を終えた人たちも沢山いらっしゃることでしょう
父・母、周りの大人たちに感謝されて今を感じていらっしゃる高田さんを知れてよかったです。
私の兄にも、書いてみない?と話してみようかな。
私の事を周りはどう見ているのか?分かりませんが、リアルタイムな自分の一面でも語れる「ブログ」という場所があって幸せです。
これも私にとっては「自伝」にあたります。
高田さんの後編が待たれます。
Cさん、ありがとうございました。