8時 朝食 ブッフェスタイルではなく小鉢に盛り付けて提供されていました。
10時 ホテルを出発 「サンメッセ日南」に向かいます。
日南海岸沿いを南下します。
ヤシの街路樹が南国ムードを醸し出します。
11時 「サンメッセ日南」到着!
「モアイ」を見るのが楽しみです。
バスを降り少し歩くと「モアイ」が見えてきました。
昭和63年某TV局が、世界七不思議の一つと言われているモアイを紹介、昔々の部族間の争いと、昭和35年のチリ大地震で倒壊したモアイを放映し、このように荒廃している世界の文化財の修復こそ平和に貢献する日本の役割ではないか、と訴えた。
そこで立ち上がったのたが、四国のクレーンメーカー(株)タダノ・奈良国立文化財研究所・石工の左野氏(飛鳥建設)の三者でモアイ修復委員会を結成、チリ大学イースター島博物館の協力も得て、部族間の争いや地震で倒されていたモアイを平成2年より約3年間かけてアフ・トンガリキ15体を完全修復、このモアイ修復委員会の努力によりイースター島は「ラパヌイ国立公園」としてユネスコ世界遺産に登録する事ができた。
イースター島の長老会は修復チームの希望に応え、世界で初めてモアイを日本で復刻する事を許可した。また、(株)タダノは長年、サンメッセ日南の母体である一燈園が開催している智徳研修会の参加メンバーであるのと、日南海岸はモアイ建立に相応しい景観であるところから、石工の左野勝司氏はモアイ、アフ・アキビ7体を精魂込めて彫り上げ、サンメッセ日南の地に建立した。
サンメッセ日南に建てられたモアイは、アフ・アキビ7体の完全復刻として極めて貴重なものである。(イースター島の石は持出し禁止のため、福島県白川村の同じ凝灰岩で作られた)
(サンメッセ日南 ホームページより)
次に向かったのが「鵜戸神宮」です。
駐車場から「鵜戸神宮」までは、結構な距離があります。
トンネルでかなり楽になったようですが、それでも、上り下りが大変でした。
「鵜戸神宮」
宮崎県日南市にある神社である。旧社格は官幣大社で、現在は神社本庁の別表神社に指定されている。
日向灘に面した断崖の中腹、東西38m、南北29m、高さ8.5mの岩窟(海食洞)内に本殿が鎮座し、参拝するには崖にそって作られた石段を降りる必要があり、神社としては珍しい「下り宮」のかたちとなっている。
日子波瀲武鸕鷀草葺不合尊(ひこなぎさたけうがやふきあえずのみこと)を主祭神とし、相殿に大日孁貴以下の皇祖神と神武天皇を祀る。主祭神降誕の地とされ、縁結び・夫婦和合・子授け・安産などの信仰を集めている。また境内には主祭神の陵墓とされる古墳もある。
(wikipediaより)
本殿は、階段の下です。
自然に出来た、洞窟の中に「本殿」があります。
本殿の裏です。
「運玉」
亀石 - 本殿前にある霊石で、豊玉姫が海神宮(わたつみのみや)から来訪する際に乗った亀が石と化したものと伝える。石頂に枡形の穴が開くことから「枡形岩」とも呼ばれ、その穴に男性は左手、女性は右手で願いを込めた「運玉」を投げ入れることで願いがかなうといわれている。(wikipediaより)
「鵜戸神宮」の参拝を終え、「昼食」です。
目井津漁港側の「ホテル丸万」で「海鮮丼」を食べました。
食事終了後、最後の観光地「飫肥城」にむかいます。
「飫肥城」
日向国南部(現在の宮崎県日南市飫肥)にある日本の城であり、江戸時代は伊東氏飫肥藩の藩庁として繁栄した。飫肥市街北部の丘陵に曲輪を幾つも並べた群郭式の平山城である。
伊東氏は、関ヶ原の戦いでは九州では数少ない東軍側として働くなど巧みに立ち回り、廃藩置県で飫肥藩が廃止されるまで一貫して飫肥の地で家名を全うした。(wikipediaより)
「飫肥城 大手門」1978年に復元
城内を散策後、飫肥の町中を散策します。
明治時代を代表する外交官「小村寿太郎」の生家です。
街歩きマップに付いている券で「おび天」を貰いました。
趣のある、JR日南線 「飫肥駅」
飫肥の街歩きを楽しんだ後は、宮崎空港に向かいます。
空港で2時間ほどの待ち時間。
たいしてお腹が空いていなかったので、ソフトクリームで代用。
福岡空港到着は、21時30分です。
のんびりし過ぎた旅で、かえって疲れた感じです。
旅先の宮崎で感じたのは、個人の観光は戻りつつあるようでしたが、団体旅行は、まだまだの様でした。観光地の駐車場に止まる大型バスは、我々が乗ってきたバスだけでした。
Go to トラベルで旅行代金は大変お得になりました。
旅行代金が2日間で14,000円/1人の割引
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