6月8日に大阪の江之子島芸術創造センターで開催された“おおさかアートコモンズ ギャザリングvol.2 「アジアの現代サーカスの今」”に参加してきました.
スピーカーとして
甲賀雅章さん
西元まりさん
そしてモデレーターとして
中西美穂さん

写真で左から甲賀さん西元さんそして中西さんです.
甲賀さんは静岡の大道芸などイベントで名前を見かける方ですね.
西元さんはシルクドゥソレイユファンなら誰もが本を読んでいると思います.
中西さんは大阪アーツカウンシル総括責任者という立場の方のようです.
会はそれぞれが順番にサーカスについて語ったあとに3人でサーカストーク.
最後に質疑応答の流れでした.
当日でたお話の中で興味深かった内容をまとまるとこんな感じです.
(★の後ろが私個人の感想です)
・ベトナムのサーカスについて
⇒AOショーについて紹介.
ベトナムで行われているヌーヴォーシルクで常設劇場でされている.
内部の管理もしっかりしており,ショーは海外からの観光客,地元ではそれなりに収入がある人をターゲットにしている,
なのでチケットも高い.
★ショーでやっている内容そのものは動画で見る限りものすごいことをやっているという感じはしない.
ヌーヴォーシルクと呼ばれる分野に私が違和感というよりもサーカスへの危機感を感じる一因.
ショーで使う道具が地元で使う農具であったり地域性を出しているというが
正直,それは本来のまさに伝統サーカスの部類の話.雑技の由来には労働起源説と宗教行事起源説があるんですが
どっちにせよ,農作業をしてた人が農作業がない時期に芸を見せに出稼ぎをした歴史があるように
サーカス芸と日常生活の道具にはもともと繋がりがあるものだと私は思ってます.そういう意味では新しい形というよりは
原点回帰に近いものだと私は思います.
ただし,質疑応答時には西元さんは伝統との融合というお話もされていました.
⇒国立サーカス学校
ホーチミンとハノイに国立サーカス学校がある
★ここからの人の流れを知りたいところ.サーカス学校には劇場があって,そこでショーをやっているけどそれだけではきっと成立しないじゃないかと思います.
・カンボジアのサーカスについて
⇒フランス領だった歴史もあり,フランスが長年の内戦などで生まれた難民に対してサーカス学校で演技を教えたところから
カンボジアでの現代サーカスの歴史が始まる.単純なヨーロッパサーカスではなくカンボジアの歴史を引き継いだ芸になっている.
常設劇場もあり,小さな小屋であるがゆえの良さがある.
難民が生活の手段として芸を覚えてサーカスで生きていく.そういうネットワークも広がっている.
★カンボジアにおけるフランスによる難民支援という観点でのサーカスというのは非常に興味深い話でした.
難民が生きるため,そして世界で活躍するきっかけをつかむことを目指せるという意味でも非常に大きいと思うのは
中国の雑技もそういった面があったからだと思います.
雑技団に入る子供の数は中国の経済成長とともに明らかに減っています.またかつては雑技団に入って活躍すれば下手な公務員より
よっぽど稼げたものが今は逆転されていて,危険を冒すだけの見返りは少ないと言われてます.
実際に,今50代ぐらいの元雑技団員の方に話を聞くと,かつては雑技学校に入ったところでそこから雑技のステージまで進めるのは
ほんの一握り.つまり中での激しい競争があった.では今はどうかというと,一部の超大手雑技団の学校は別として
一般的には雑技学校に入る=将来は雑技のステージに立てる といった状態です,そう育てないと芸人が足りなくなります.
サーカスは確かに貧しい国の難民が世界に羽ばたくうえで大きな選択肢になる一方で
その状態こそが選りすぐりの芸人が生まれる土壌にもなる.そんなどこか何を願えばいいのか悩むような状況を感じます.
そういう意味では南米などに多いファミリーサーカスだと子供に選択肢をなかば与えずに当然のように芸を仕込めるので持続力はあるかなって思います.
・日本のクラウン(道化)事情
⇒クラウン学校が日本に進出するも3年で撤退.
日本ではクラウンというよりは一種のミッキーのようなキャラクターとしてのクラウンが多くて本来の道化とは違うものになっている.
イタリヤやフランスではクラウン学校があり,その中のコースやクラスは細かく分かれている,
★私は日本にはクラウン像に引っ張られないショーの進行役が
・コンテンポラリーサーカスについて
⇒サーカススキルを,より芸術性を追求した別ジャンルに応用するもの.
例えばダンス作品や演劇など.
★むしろ私の中でのヌーヴォーシルクのイメージはこれに近いかな.
そして同時に心のどこかで危険からの逃げ道として芸術という言葉がきれいに使われていると感じる部分があります.
もちろん危険がないというわけではなく,本来はもっと大きな危険に挑んでたやんという意味です.
死神さえ寄せ付けないような,そんな非現実が現実になる.そんな奇跡の時間が美しい。。。
・Hisashi Watanabeさんの紹介
⇒フロアジャグリング.通常のボールジャグリングにも長けた人だけれども,あえて投げないジャグリングという表現方法で世界を作る人.
★今回紹介されて初めて知った方です.
こういう方が活躍してお金を稼げる場が日本にないことを問題にされてましたが
それに関しては私もそう思います.
どこか日本では画一化された方向のもののみがお金になっているイメージがあります.
・北朝鮮について
⇒サーカスを語るうえで非常に強い国.
★アジアのサーカスを語る上で外せない国が北朝鮮だと私は思ってて,最初に配布された今回の内容に北朝鮮がなかったので
少しがっかりしてました.これは絶対に質疑応答で北朝鮮について語る時間を作らさねば!そんな変な使命感を感じるぐらいに.
なんだろう,諸問題にこだわるあまり,北朝鮮を肯定的に話すこと自体がタブーのような雰囲気が日本にはありますが
サーカスファンがそれに縛られたらあかんって思うんです.
なので今回,途中で甲賀さんの口から北朝鮮のサーカスの熱さが語られた瞬間は私の中ではクライマックスにも近い盛り上がりがありました.
・韓国のストリートショーイベント Seoul Street Art Festival 紹介
⇒税金で実施されるビックイベントで投げ銭がなく,出演料がでている.
毎年テーマがあって,それに合わせた作品が作られる.
バスの中も含めてありとあらゆる場所で行われる.街の背景を活かしたパフォーマンスが行われる.
最終日には13車線道路が閉鎖されてのビックショーに鳴る。
★今回のイベントでの一番の収穫がこのフェスティバルを知ったことでした.
私は中国や雑技の技,その歴史やルーツが分かるものなどそういったことにはアンテナをはってますが
こういうイベントはノーマーク.サーカスフェスティバルではないけれども,街全体をステージにして行われるイベントは本当にすごい.
いろんな動画が紹介されたんですが,はっきり言います.静岡より行くなら絶対ソウルやね(笑)
そしてもう一つ重要なのはこういうイベントは中国にはできません.なぜかは言うまでもないですよね.
・日本でフェスを増やしたい
⇒フェスティバルが当たり前のように根付かないとアーティストは育たない.
なぜ大阪でちゃんとしたアートフェスが開かれないのか.
大阪では独自のそして世界中がそこを目指すようなフェスを生む可能性を秘めている
上方文化の歴史を紐解いて,エッジのきいたフェスを生みだしてほしい.
フェスをやり続けると人は変わる.
(韓国のSeoul Street Art Festivalも振り返りながら)
あれだけのことを日本でやるのは危険性など規制も含めて難しい.
中西さんより《祭》なら危険でもOKなのにというツッコミ.
★全くその通り.最後の中西さんのツッコミもまさにその通り.
街中で裸になる!っていうとたたかれても裸祭りはあるように,伝統の祭りっていうのはどこか免罪符を持っている気がします.
そこにうまく付け込めればと思うんですけどね.
例えば木下大サーカスが坂綱をするときに「奈良の東大寺~」(ちょい違うかも)みたいな紹介がありますが
あんな感じに神社仏閣での伝統的イベントの復活のようにするとか。。。
★中国の現状について
途中,中国が今は芸術分野に思いっきりお金を使っていという話がありました.
ある意味正しい一方で,ことサーカスという意味では疑問な部分も多いので私の実感を書きます.
日本に比べると圧倒的にショーに対して支援してると思います.
ただし,ではそれが雑技という文化を必ずしも支える動きになっているかというと
雑技団は雑技団で稼いでねっていう形にむしろ移行しています.
その象徴が人民解放軍所属だった3つの文工団雑技団の解散だったと思います.
なので雑技やサーカスという分野での支援が大きくなっているということは感じません.
ただ。。。
私は雑技は時には王朝文化に迎え入れられ,時には王朝の道具のように売買の対象になり
時には虐殺の対象にもなり,時には芸を街頭で売るだけの存在になりと
まさに時代後ことに様々な状況に置かれながらも残ってきた,まさに《文化》だと思っています.
なのでその生命力もまた雑技が隠し持つ魅力だと思うので,どういう状況に置かれても
だからどうっていうよりは,ただそしてどうする?というワクワクがあったりします.
・シルクドゥソレイユの罪
⇒シルクドゥソレイユが成功したことでシルクドゥソレイユ=ヌーヴォーシルクというような流れが出来てしまった.
ショーの中で役割を果たすシルク型芸人を多く生み出してしまっている.
西元さん曰く「芸人はシルクドゥソレイユを利用する」と一応言っているらしい.
★質疑応答から派生した話。。。というか私がした質疑なんですけどね(笑)
こういう時って聞きたいことが山のように出てきてどうまとめて伝えるのかなかなか整理できないですよね.
私が常々感じているのは
シルクドゥソレイユの中でやられる演技は必ずしも最大限の演技じゃないということ.
甲賀さんが分かりやすく例えてくれましたが,5メートル飛べます!という人でもショーで必要なのが3メートルなら飛ぶのは3メートル.
私はシルクドゥソレイユの裏側を知りませんし,ほかのドラグーヌの手掛けたショーの裏側も知りませんが
ただ一つ言えるのはある芸人に注目した時,あなたはもっとできるやん!という箇所が非常に多い.
実際問題,サーカスの中でも昔の白黒で見るような写真の方がものすごい技だったりするし
中国雑技でも同じことが言えます.
今,ヌーヴォーシルクやコンテンポラリーサーカスと言われるフィールドで活躍されている方は
おそらくこういった高難度の芸もされた方が多いかもしれません.その下地の上でいうなれば100の能力で70の力を発揮して
芸術的な魅力が大きい演技を生み出している.
ではもしそれを生み出すのに70で十分だとすると,その次その次の次の世代ってなった時に100の芸はどうなっているんだろうか.
なので私は純粋に危険性に挑む,そういう部分もなくさずに
ヌーヴォーシルクやコンテンポラリーサーカスが,何かが集約される存在ではなく,広がり共存するものであってほしいと思います.
可能な限り,白黒写真で見るような演技を,これやってって言われたら応えられる状態であってほしい.
そうなると上の話にもどりますが,そういうことを重視したフェスがあればいいだよな~って思ったりします.
雑技にせよサーカスにせよ
人間が身体を使って働き,生きていく中で鍛えられた身体能力の結晶だと思っています.
時代の進化とともに身体能力がなくても生きていける時代になり,それは私を含めた多くの人に恩恵を与えていますが
それによって培われてきたものがなくならないことを願っています.
(おまけ)
イベントの最後に「打ち上げがあるので,参加できる方がいましたら,よかったら参加してください」って案内があったんです.
今回のイベント,何が魅力的かっていうと
“サーカス”というものの魅力に対して3者3様必ずしも一致した意見を持っているわけじゃないんです.
気づいている人もいるかもしれませんが,私はここ数年はシルクドゥソレイユ関連で新しい友人を増やそうとしてません.
どうもシルクファンの中に入ると《シルクドゥソレイユのショー至上主義》的な雰囲気,魂売りました~感があって
話をしても角度的な魅力がないんですよね.
今回のイベントではサーカスという分野で違う角度にいる方々が話す形だったので,ある意味サーカスのいろんな魅力が語られたんじゃないかと思います.
なので行こうかな。。。って思わなくもなかったんですが。。。
なんせ私,重度のコミュ障なもんで( ´艸`)
帰っちゃいました~
ただ
非常に有意義で楽しい時間でした.
イベントの主産者様とお話しして下さって甲賀さん,西元さん,中西さんに感謝したいと思います.
ありがとうございました.
スピーカーとして
甲賀雅章さん
西元まりさん
そしてモデレーターとして
中西美穂さん

写真で左から甲賀さん西元さんそして中西さんです.
甲賀さんは静岡の大道芸などイベントで名前を見かける方ですね.
西元さんはシルクドゥソレイユファンなら誰もが本を読んでいると思います.
中西さんは大阪アーツカウンシル総括責任者という立場の方のようです.
会はそれぞれが順番にサーカスについて語ったあとに3人でサーカストーク.
最後に質疑応答の流れでした.
当日でたお話の中で興味深かった内容をまとまるとこんな感じです.
(★の後ろが私個人の感想です)
・ベトナムのサーカスについて
⇒AOショーについて紹介.
ベトナムで行われているヌーヴォーシルクで常設劇場でされている.
内部の管理もしっかりしており,ショーは海外からの観光客,地元ではそれなりに収入がある人をターゲットにしている,
なのでチケットも高い.
★ショーでやっている内容そのものは動画で見る限りものすごいことをやっているという感じはしない.
ヌーヴォーシルクと呼ばれる分野に私が違和感というよりもサーカスへの危機感を感じる一因.
ショーで使う道具が地元で使う農具であったり地域性を出しているというが
正直,それは本来のまさに伝統サーカスの部類の話.雑技の由来には労働起源説と宗教行事起源説があるんですが
どっちにせよ,農作業をしてた人が農作業がない時期に芸を見せに出稼ぎをした歴史があるように
サーカス芸と日常生活の道具にはもともと繋がりがあるものだと私は思ってます.そういう意味では新しい形というよりは
原点回帰に近いものだと私は思います.
ただし,質疑応答時には西元さんは伝統との融合というお話もされていました.
⇒国立サーカス学校
ホーチミンとハノイに国立サーカス学校がある
★ここからの人の流れを知りたいところ.サーカス学校には劇場があって,そこでショーをやっているけどそれだけではきっと成立しないじゃないかと思います.
・カンボジアのサーカスについて
⇒フランス領だった歴史もあり,フランスが長年の内戦などで生まれた難民に対してサーカス学校で演技を教えたところから
カンボジアでの現代サーカスの歴史が始まる.単純なヨーロッパサーカスではなくカンボジアの歴史を引き継いだ芸になっている.
常設劇場もあり,小さな小屋であるがゆえの良さがある.
難民が生活の手段として芸を覚えてサーカスで生きていく.そういうネットワークも広がっている.
★カンボジアにおけるフランスによる難民支援という観点でのサーカスというのは非常に興味深い話でした.
難民が生きるため,そして世界で活躍するきっかけをつかむことを目指せるという意味でも非常に大きいと思うのは
中国の雑技もそういった面があったからだと思います.
雑技団に入る子供の数は中国の経済成長とともに明らかに減っています.またかつては雑技団に入って活躍すれば下手な公務員より
よっぽど稼げたものが今は逆転されていて,危険を冒すだけの見返りは少ないと言われてます.
実際に,今50代ぐらいの元雑技団員の方に話を聞くと,かつては雑技学校に入ったところでそこから雑技のステージまで進めるのは
ほんの一握り.つまり中での激しい競争があった.では今はどうかというと,一部の超大手雑技団の学校は別として
一般的には雑技学校に入る=将来は雑技のステージに立てる といった状態です,そう育てないと芸人が足りなくなります.
サーカスは確かに貧しい国の難民が世界に羽ばたくうえで大きな選択肢になる一方で
その状態こそが選りすぐりの芸人が生まれる土壌にもなる.そんなどこか何を願えばいいのか悩むような状況を感じます.
そういう意味では南米などに多いファミリーサーカスだと子供に選択肢をなかば与えずに当然のように芸を仕込めるので持続力はあるかなって思います.
・日本のクラウン(道化)事情
⇒クラウン学校が日本に進出するも3年で撤退.
日本ではクラウンというよりは一種のミッキーのようなキャラクターとしてのクラウンが多くて本来の道化とは違うものになっている.
イタリヤやフランスではクラウン学校があり,その中のコースやクラスは細かく分かれている,
★私は日本にはクラウン像に引っ張られないショーの進行役が
・コンテンポラリーサーカスについて
⇒サーカススキルを,より芸術性を追求した別ジャンルに応用するもの.
例えばダンス作品や演劇など.
★むしろ私の中でのヌーヴォーシルクのイメージはこれに近いかな.
そして同時に心のどこかで危険からの逃げ道として芸術という言葉がきれいに使われていると感じる部分があります.
もちろん危険がないというわけではなく,本来はもっと大きな危険に挑んでたやんという意味です.
死神さえ寄せ付けないような,そんな非現実が現実になる.そんな奇跡の時間が美しい。。。
・Hisashi Watanabeさんの紹介
⇒フロアジャグリング.通常のボールジャグリングにも長けた人だけれども,あえて投げないジャグリングという表現方法で世界を作る人.
★今回紹介されて初めて知った方です.
こういう方が活躍してお金を稼げる場が日本にないことを問題にされてましたが
それに関しては私もそう思います.
どこか日本では画一化された方向のもののみがお金になっているイメージがあります.
・北朝鮮について
⇒サーカスを語るうえで非常に強い国.
★アジアのサーカスを語る上で外せない国が北朝鮮だと私は思ってて,最初に配布された今回の内容に北朝鮮がなかったので
少しがっかりしてました.これは絶対に質疑応答で北朝鮮について語る時間を作らさねば!そんな変な使命感を感じるぐらいに.
なんだろう,諸問題にこだわるあまり,北朝鮮を肯定的に話すこと自体がタブーのような雰囲気が日本にはありますが
サーカスファンがそれに縛られたらあかんって思うんです.
なので今回,途中で甲賀さんの口から北朝鮮のサーカスの熱さが語られた瞬間は私の中ではクライマックスにも近い盛り上がりがありました.
・韓国のストリートショーイベント Seoul Street Art Festival 紹介
⇒税金で実施されるビックイベントで投げ銭がなく,出演料がでている.
毎年テーマがあって,それに合わせた作品が作られる.
バスの中も含めてありとあらゆる場所で行われる.街の背景を活かしたパフォーマンスが行われる.
最終日には13車線道路が閉鎖されてのビックショーに鳴る。
★今回のイベントでの一番の収穫がこのフェスティバルを知ったことでした.
私は中国や雑技の技,その歴史やルーツが分かるものなどそういったことにはアンテナをはってますが
こういうイベントはノーマーク.サーカスフェスティバルではないけれども,街全体をステージにして行われるイベントは本当にすごい.
いろんな動画が紹介されたんですが,はっきり言います.静岡より行くなら絶対ソウルやね(笑)
そしてもう一つ重要なのはこういうイベントは中国にはできません.なぜかは言うまでもないですよね.
・日本でフェスを増やしたい
⇒フェスティバルが当たり前のように根付かないとアーティストは育たない.
なぜ大阪でちゃんとしたアートフェスが開かれないのか.
大阪では独自のそして世界中がそこを目指すようなフェスを生む可能性を秘めている
上方文化の歴史を紐解いて,エッジのきいたフェスを生みだしてほしい.
フェスをやり続けると人は変わる.
(韓国のSeoul Street Art Festivalも振り返りながら)
あれだけのことを日本でやるのは危険性など規制も含めて難しい.
中西さんより《祭》なら危険でもOKなのにというツッコミ.
★全くその通り.最後の中西さんのツッコミもまさにその通り.
街中で裸になる!っていうとたたかれても裸祭りはあるように,伝統の祭りっていうのはどこか免罪符を持っている気がします.
そこにうまく付け込めればと思うんですけどね.
例えば木下大サーカスが坂綱をするときに「奈良の東大寺~」(ちょい違うかも)みたいな紹介がありますが
あんな感じに神社仏閣での伝統的イベントの復活のようにするとか。。。
★中国の現状について
途中,中国が今は芸術分野に思いっきりお金を使っていという話がありました.
ある意味正しい一方で,ことサーカスという意味では疑問な部分も多いので私の実感を書きます.
日本に比べると圧倒的にショーに対して支援してると思います.
ただし,ではそれが雑技という文化を必ずしも支える動きになっているかというと
雑技団は雑技団で稼いでねっていう形にむしろ移行しています.
その象徴が人民解放軍所属だった3つの文工団雑技団の解散だったと思います.
なので雑技やサーカスという分野での支援が大きくなっているということは感じません.
ただ。。。
私は雑技は時には王朝文化に迎え入れられ,時には王朝の道具のように売買の対象になり
時には虐殺の対象にもなり,時には芸を街頭で売るだけの存在になりと
まさに時代後ことに様々な状況に置かれながらも残ってきた,まさに《文化》だと思っています.
なのでその生命力もまた雑技が隠し持つ魅力だと思うので,どういう状況に置かれても
だからどうっていうよりは,ただそしてどうする?というワクワクがあったりします.
・シルクドゥソレイユの罪
⇒シルクドゥソレイユが成功したことでシルクドゥソレイユ=ヌーヴォーシルクというような流れが出来てしまった.
ショーの中で役割を果たすシルク型芸人を多く生み出してしまっている.
西元さん曰く「芸人はシルクドゥソレイユを利用する」と一応言っているらしい.
★質疑応答から派生した話。。。というか私がした質疑なんですけどね(笑)
こういう時って聞きたいことが山のように出てきてどうまとめて伝えるのかなかなか整理できないですよね.
私が常々感じているのは
シルクドゥソレイユの中でやられる演技は必ずしも最大限の演技じゃないということ.
甲賀さんが分かりやすく例えてくれましたが,5メートル飛べます!という人でもショーで必要なのが3メートルなら飛ぶのは3メートル.
私はシルクドゥソレイユの裏側を知りませんし,ほかのドラグーヌの手掛けたショーの裏側も知りませんが
ただ一つ言えるのはある芸人に注目した時,あなたはもっとできるやん!という箇所が非常に多い.
実際問題,サーカスの中でも昔の白黒で見るような写真の方がものすごい技だったりするし
中国雑技でも同じことが言えます.
今,ヌーヴォーシルクやコンテンポラリーサーカスと言われるフィールドで活躍されている方は
おそらくこういった高難度の芸もされた方が多いかもしれません.その下地の上でいうなれば100の能力で70の力を発揮して
芸術的な魅力が大きい演技を生み出している.
ではもしそれを生み出すのに70で十分だとすると,その次その次の次の世代ってなった時に100の芸はどうなっているんだろうか.
なので私は純粋に危険性に挑む,そういう部分もなくさずに
ヌーヴォーシルクやコンテンポラリーサーカスが,何かが集約される存在ではなく,広がり共存するものであってほしいと思います.
可能な限り,白黒写真で見るような演技を,これやってって言われたら応えられる状態であってほしい.
そうなると上の話にもどりますが,そういうことを重視したフェスがあればいいだよな~って思ったりします.
雑技にせよサーカスにせよ
人間が身体を使って働き,生きていく中で鍛えられた身体能力の結晶だと思っています.
時代の進化とともに身体能力がなくても生きていける時代になり,それは私を含めた多くの人に恩恵を与えていますが
それによって培われてきたものがなくならないことを願っています.
(おまけ)
イベントの最後に「打ち上げがあるので,参加できる方がいましたら,よかったら参加してください」って案内があったんです.
今回のイベント,何が魅力的かっていうと
“サーカス”というものの魅力に対して3者3様必ずしも一致した意見を持っているわけじゃないんです.
気づいている人もいるかもしれませんが,私はここ数年はシルクドゥソレイユ関連で新しい友人を増やそうとしてません.
どうもシルクファンの中に入ると《シルクドゥソレイユのショー至上主義》的な雰囲気,魂売りました~感があって
話をしても角度的な魅力がないんですよね.
今回のイベントではサーカスという分野で違う角度にいる方々が話す形だったので,ある意味サーカスのいろんな魅力が語られたんじゃないかと思います.
なので行こうかな。。。って思わなくもなかったんですが。。。
なんせ私,重度のコミュ障なもんで( ´艸`)
帰っちゃいました~
ただ
非常に有意義で楽しい時間でした.
イベントの主産者様とお話しして下さって甲賀さん,西元さん,中西さんに感謝したいと思います.
ありがとうございました.