イスタンブール新市街(ギリシャ、ブルガリアと陸続きのヨーロッパ側)で、ビルの谷間に佇む小粒なモスク(写真)は、宿泊したホテルの窓から展望したものです。詳細はその1に書きましたので、ここでは省きます。
旭が射してくる方向に、上り・下り各3車線の自動車道があり、陽光を遮るものはないので、寺院全体が明るく耀いています。
このモスクは、イスタンブールで見受けたモスク(イスラム寺院)でも知名度が少ないし、地元の人達やその周辺で仕事をしているイスラム教徒のために建てられたもの、と勝手に考えています。
つまり、新市街には、聖ソフィア大聖堂(アヤソフィア博物館)、ブルーモスクと呼ばれているスルタンアフメット・モスクなど由緒あるモスクが現存しているし、観光の名所としても紹介されているので、高い知名度を持っています。
街の中にひっそりと佇んでいるこのようなモスクには、観光に訪れる人もおらず、関心も湧かないでしょう。
トルコ国内には、6万7000のモスクがあるとガイドブックにありますが、その中にはこのようなモスクも含まれているはずです。
また、イスタンブールからアナトリア高原の中央地域へ入る長旅で、バスの車窓から眺めていた町や村に建っていたものとは違う印象を感じる、このモスクに興味が湧いたのです。
イスラム教の寺院であるモスクには、必ず尖塔(せんとう)があり、ミナレットと呼ばれています。
ここから、1日5回、礼拝の時刻をアラビア語で告げて、お祈りを呼びかけているようです。
そのエザーンを初めて聞いたのは、イスタンブールからトロイに入る手前で休憩したドライブインでした。
レストランを兼ねたドライブインの前は、右から左へ一直線に走っている自動車道、その先に展開するだだっ広い草原、はるか彼方には茜色に染まった山並みが横たわっており絵になります。
そのスナップを撮っている時、17時過ぎだったように記憶しています。それが、スピーカーで礼拝を呼びかけていることは、帰国後に知りました。現地では、祈りそのものと思い込んでいたのです。
2回目に聞いたのは、カッパドキアに泊った洞窟ホテルで5時20分から5分間の呼びかけ、アンカラから「アンカラ・エキスプレス」の一等寝台でイスタンブールへ戻った際、イスタンブール郊外辺りで3回目の呼びかけを列車内で聞いたのは、6時ころでした。
余談になります。
アンカラ・エキスプレスの食堂車で朝食に出たパンは、ツアーの中で出されて食したパンでは、最も美味でした。
60名の参加者をバス2台でトルコ巡りをする今回のツアーは、1号車、2号車にグループ分けして編成され、元気印夫妻は後者に編入されました。家内の話から推察すると、2号車グループの女性たちも同じ感想の様子でした。
さて、イスタンブールから世界遺産を巡ってイスタンブールへ戻る5日間のバス旅行は、1,828kmにも及ぶ長旅でした。ホテルで4泊し、昼食はレストランを兼ねたドライブイン、革製品や絨毯、陶磁器を製造・販売する会社の工場を見学しているので、息抜きにはなりましたが、よく我慢したものだと、帰国してから実感しています。しかし、財布は我慢できなかったようですから、本当の我慢比べはこれからになりますね。
そう、そう、周遊中に立ち寄ったドライブインは、どこもレストランを兼ねていましたよ。
ところで、トルコでは国民の98%がイスラム教徒であることは、ガイドブックなどに紹介されています。
1928(昭和3)年にトルコ共和国が誕生した時に制定された新憲法から「イスラム教を国教とする」条文を削除し宗教改革を行った初代大統領・ケルマは、信仰の自由を認めています。
2号車の現地ガイドA(名刺交換して名前は知っています)さんは、お祈りをしない人、断食をしない人もいると、率直に説明してくれました。このAさんは、熱烈なイスラム教徒であり愛国心に燃えるトルコ人。10日間の付き合いで、しみじみ、そのことを実感したAさんでした。
ツアー初日から2号車の誰からも親近感をもって迎えられ、お互いに抱き合い肩を叩いて「さよなら」するアタテュルク空港での別れは、トルコツアーの宝物になりました。
Aさんが嘆く背景には、トルコの近代化や農村の都市化が影響しているようでした。
反面、自分の宗派で故人を弔う時以外は無宗教で暮らしている元気印にとって、その理由は何であれ、耳の痛くなる指摘でありました。
日本へ帰っても、トルコのことをアピールするように繰り返し訴えていたAさんの情熱心を思い起こしながら、これを書いています。
Aさんが信仰しているイスラム教の聖典コーランでは、イスラム教徒が行わなければならない六信五行(ろくしん・ごぎょう)と呼ばれる六つの信仰と五つの実践が規定されているようです。
五つの実践とは、次の内容です。
1.信仰の告白
2.礼拝(1日5回の祈り)
3.喜捨(寄付や施し)
4.断食
5.巡礼(メッカへの巡礼)
2.と4.についてAさんは心を痛めていたのです。
コーランに六信五行の規定があることを知るまでは、1日5回も祈る根拠がわからなかったのですが、その規律を忠実に実践するイスラム信徒の行為でした。
また、礼拝の時刻は日の出に合わせているので、毎日少しずつづれる、とのこと。
礼拝の時刻、断食開始時刻を示す時計板があるようですが、名の知れたモスクを見学するのに追われ、その上に時間制約があるから、現地では時計板を見落としていた・・・。
いや、どこかで目に留まった記憶があります。しかし、それが何を表しているのかを認識していないから、通り過ぎたようです。
礼拝開始時刻を日の出に合わせる伝統は、信州善光寺にも継承されています。
時計のない時代に生活していた人々が、自然と融合して生き抜いた知恵をそのまま今に伝承しているのは、世界共通のようです。
旭が射してくる方向に、上り・下り各3車線の自動車道があり、陽光を遮るものはないので、寺院全体が明るく耀いています。
このモスクは、イスタンブールで見受けたモスク(イスラム寺院)でも知名度が少ないし、地元の人達やその周辺で仕事をしているイスラム教徒のために建てられたもの、と勝手に考えています。
つまり、新市街には、聖ソフィア大聖堂(アヤソフィア博物館)、ブルーモスクと呼ばれているスルタンアフメット・モスクなど由緒あるモスクが現存しているし、観光の名所としても紹介されているので、高い知名度を持っています。
街の中にひっそりと佇んでいるこのようなモスクには、観光に訪れる人もおらず、関心も湧かないでしょう。
トルコ国内には、6万7000のモスクがあるとガイドブックにありますが、その中にはこのようなモスクも含まれているはずです。
また、イスタンブールからアナトリア高原の中央地域へ入る長旅で、バスの車窓から眺めていた町や村に建っていたものとは違う印象を感じる、このモスクに興味が湧いたのです。
イスラム教の寺院であるモスクには、必ず尖塔(せんとう)があり、ミナレットと呼ばれています。
ここから、1日5回、礼拝の時刻をアラビア語で告げて、お祈りを呼びかけているようです。
そのエザーンを初めて聞いたのは、イスタンブールからトロイに入る手前で休憩したドライブインでした。
レストランを兼ねたドライブインの前は、右から左へ一直線に走っている自動車道、その先に展開するだだっ広い草原、はるか彼方には茜色に染まった山並みが横たわっており絵になります。
そのスナップを撮っている時、17時過ぎだったように記憶しています。それが、スピーカーで礼拝を呼びかけていることは、帰国後に知りました。現地では、祈りそのものと思い込んでいたのです。
2回目に聞いたのは、カッパドキアに泊った洞窟ホテルで5時20分から5分間の呼びかけ、アンカラから「アンカラ・エキスプレス」の一等寝台でイスタンブールへ戻った際、イスタンブール郊外辺りで3回目の呼びかけを列車内で聞いたのは、6時ころでした。
余談になります。
アンカラ・エキスプレスの食堂車で朝食に出たパンは、ツアーの中で出されて食したパンでは、最も美味でした。
60名の参加者をバス2台でトルコ巡りをする今回のツアーは、1号車、2号車にグループ分けして編成され、元気印夫妻は後者に編入されました。家内の話から推察すると、2号車グループの女性たちも同じ感想の様子でした。
さて、イスタンブールから世界遺産を巡ってイスタンブールへ戻る5日間のバス旅行は、1,828kmにも及ぶ長旅でした。ホテルで4泊し、昼食はレストランを兼ねたドライブイン、革製品や絨毯、陶磁器を製造・販売する会社の工場を見学しているので、息抜きにはなりましたが、よく我慢したものだと、帰国してから実感しています。しかし、財布は我慢できなかったようですから、本当の我慢比べはこれからになりますね。
そう、そう、周遊中に立ち寄ったドライブインは、どこもレストランを兼ねていましたよ。
ところで、トルコでは国民の98%がイスラム教徒であることは、ガイドブックなどに紹介されています。
1928(昭和3)年にトルコ共和国が誕生した時に制定された新憲法から「イスラム教を国教とする」条文を削除し宗教改革を行った初代大統領・ケルマは、信仰の自由を認めています。
2号車の現地ガイドA(名刺交換して名前は知っています)さんは、お祈りをしない人、断食をしない人もいると、率直に説明してくれました。このAさんは、熱烈なイスラム教徒であり愛国心に燃えるトルコ人。10日間の付き合いで、しみじみ、そのことを実感したAさんでした。
ツアー初日から2号車の誰からも親近感をもって迎えられ、お互いに抱き合い肩を叩いて「さよなら」するアタテュルク空港での別れは、トルコツアーの宝物になりました。
Aさんが嘆く背景には、トルコの近代化や農村の都市化が影響しているようでした。
反面、自分の宗派で故人を弔う時以外は無宗教で暮らしている元気印にとって、その理由は何であれ、耳の痛くなる指摘でありました。
日本へ帰っても、トルコのことをアピールするように繰り返し訴えていたAさんの情熱心を思い起こしながら、これを書いています。
Aさんが信仰しているイスラム教の聖典コーランでは、イスラム教徒が行わなければならない六信五行(ろくしん・ごぎょう)と呼ばれる六つの信仰と五つの実践が規定されているようです。
五つの実践とは、次の内容です。
1.信仰の告白
2.礼拝(1日5回の祈り)
3.喜捨(寄付や施し)
4.断食
5.巡礼(メッカへの巡礼)
2.と4.についてAさんは心を痛めていたのです。
コーランに六信五行の規定があることを知るまでは、1日5回も祈る根拠がわからなかったのですが、その規律を忠実に実践するイスラム信徒の行為でした。
また、礼拝の時刻は日の出に合わせているので、毎日少しずつづれる、とのこと。
礼拝の時刻、断食開始時刻を示す時計板があるようですが、名の知れたモスクを見学するのに追われ、その上に時間制約があるから、現地では時計板を見落としていた・・・。
いや、どこかで目に留まった記憶があります。しかし、それが何を表しているのかを認識していないから、通り過ぎたようです。
礼拝開始時刻を日の出に合わせる伝統は、信州善光寺にも継承されています。
時計のない時代に生活していた人々が、自然と融合して生き抜いた知恵をそのまま今に伝承しているのは、世界共通のようです。