TAKE-LOG 竹ログ

織物企画と紋織物のコンピュータ化の時代

新型コロナ禍の中、暇を持て余して写真を整理していたらこんな写真が出て来た。

[ こんな時代もあったね] とパソコン内の写真を眺めた。

 

西暦が1980年代、織物産業界はコンピュータ化の時代を迎えていた

私の仕事場でも1994年になってコンピュータが導入された。

蒲郡市の織物工場でもコンピュータ制御の高速織機が次々と導入されて

蒲郡産地は量産型産地として生産も増えていた。

 

織物デザイン業界でもコンピューター化が始まって、

”バブル経済の終息”の危機を乗り越えるには近代化と省力化が叫ばれ、

量産化と省力化の波は、職人の腕で成り立つ紋紙製造技術にまで影響して来た。

 

なぜジャガード織物業界への導入が早かったのかと考えると、

初期のコンピュータの8ビット、16ビットも、ジャガード装置から考えられたのかも知れない

と思うほど似ていて妙な物となっている。

おまけにジャガード織り装置は、経糸を制御する綜絖もON OFFによって織り出されるので

コンピューターのON OFFとは相性の良い装置となって、コンピューター化し易い業種となった

のであろうと考える。

 

そんな時代、カヤバ工業(株)では国内産電子ジャガード織り装置開発と

コンピューター画像処理装置も開発されて

デザイン紋紙コンピューターはカヤバ工業(株)製に決めた。

織り上がりシュミレーションシステムは試験織りがフルカラーで

画面上で出来るということでGD2000を導入した。

 

コンピュータのワークステーション本体は小型冷蔵庫ほどの大きさで

放出熱量も凄くて冬でもTシャツ姿で仕事をしていたことを思い出した。

電波障害もあってご近所に迷惑をかけていたのであろうと思う、

おまけにGD2000は共産国に持ち出し禁止機器となっていた

(ミサイルの弾道計算に使われることを禁止した)

今やパソコンやスマホの時代になって、この当時のコンピュータの数万倍の

スピードで計算処理をしてしまう時代になってしまった。

 

当時、コンピュータを使う側の人間になるか、

それともコンピュータに使われる人間になるか、

そんなことを考えた事があったのだが、

今やスマホでがんじがらめの世界になって来た。

便利な時代とは誰のため

本当の幸せとは何なのか

永遠の大問題だな
 

今、私の机上にはカヤバGD2003のジャガード織りデータ(3.5インチフロッピー出力)が現役で働いているのだ(笑)


蒲郡市の観光の中心地竹島海岸竣成苑内にある竹島クラフトセンターの主人が投稿するブログです。

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