野火止用水は玉川上水の完成(1653年)後、3年ほどで完成している。(1655年)
野火止は玉川上水の総奉行で老中職でもあった松平伊豆守信綱の領地。 野火止への分水は玉川上水の功績で許されたとされている。
伊豆守信綱は俗に「知恵伊豆」といわれた切れ者。 徳川家光の小姓から出世し、老中にまでなった人物。
玉川上水の開削前から野火止での新田開発を行っており、玉川上水の工事前から野火止への分水は頭の中にあったと思われます。 分水は玉川上水の30%を占め、以降に許される他の分水とは比較にならぬ分量です。
<小平市のホームページから転載>
さて、写真は玉川上水の取水口からずっと暗渠を流れていた野火止用水が、放流口から流れ出す所です。
周囲は緑陰濃い小公園になっています。
脇役、レオ登場。
この時点では、元気で嬉しそう。
野火止橋から。
水路脇には時折、花が咲いています。 近所の方が植えたのでしょう。
レオは少し不満顔になってきました。
西武国分寺線と用水が交差する手前に和風料亭「草門去来荘」があります。
入ったことはないのですが、竹林の奥に明かりが見え、雰囲気は良さそうです。 値段が高そう。
この料亭の用水にかかる橋の上から下流方向を。 暑かったので、ヒンヤリした景色が嬉しい。
レオは締まりの無い好々爺ふう。
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