2013年7月8日。
僕が南米の旅の中で移住した日本人にこだわってきたのは、何もないゼロからの環境からスタートしたというのに、ここまでの自分達の地位を築き上げてきたそのパワーとエネルギーは、最近元気がないと言われている今の日本、あるいは日本人にとって、何かしらのヒントがあるのではないかと思ったからだ。
ブラジル、パラグアイ、そしてボリビアを中心に多くの日系移民の方にインタビューをさせていただいたが、僕にはいくつかの共通する「教え」を感じた。
1.起こること、起こったことを笑顔で受け入れる度量
「南米に行くともうかるよ」などと政府から良いことばかりを聞かされて移住した人も多かったはずだ。また子どもだった故に、有無を言わさずに連れてこられたという人も多かったはずだ。
しかし、皆が口を揃えて「大変だったよ、来たときはね。でも来ちゃったんだからやるしかないんだよ(笑)」と、笑顔で話されていた。そこには、政府や自らの境遇への恨みや怒りなどなく、置かれた環境を受け入れ、そして切り拓いていく、武士道のような魂さえ感じられた。
今の僕たちはどうだろう。誰が悪い、これが良くない、あいつのせいだと、人のせいにしすぎてはいないだろうか。「色々あったよ。でもやるしかないんだから!」という、その言葉には、本当に含蓄がある。「ガタガタ文句を言う前に、まずは自分のできることからやれよ」と、頭をこずかれた気がした。
2.すべてを楽しむ。
「何でこんなことをしているんだろう。日本にいれば、こんな思いはしなかったはずなのに…。」などという思いもきっとあったはずだ。しかし、皆が揃って、とっても楽しそうなのだ。「まったく、ふざけんじゃねーよな。」などと口にしながらも、何故か楽しそうであり、自身の過去だけでなく今のこの時も楽しんで生きているのだ。
今の僕たちはどうだろう。何事も「楽しんで」やる気持ちを忘れてはいないだろうか。すべてを楽しむ姿勢。「ガタガタ文句を言う前に、やるしかないことは楽しんでやるんだよ。」と、再び頭をこずかれた気がした。
3.何でも経験し、糧とする。
「なんで原生林を一本一本切り開いていかなきゃいけないんだ…」という思いもあったはずだ。しかし、皆が口を揃えて言うのだ。「何でもやってみるもんだよ。その経験が、後で必ず生きてくるもんだ。」と。
今の僕たちはどうだろう。「こんなことやって、なんの意味があるんだろう。」と、目先の利益だけに囚われて、物事の本質を見失っているのではないだろうか。まるで、テストに出ないところは一切やらない、点が取れればそれでいい、という中学生のように。「ガタガタ文句を言う前に、やるんだよ。すべてが糧になるんだから。」と、またまた頭をこずかれた気がした。
4.やり遂げた自信と自負がある。
日本に帰りたいと思ったこともあったはずだ。しんどかったことの方が多かったはずだ。しかし、そこを耐え抜き、切り拓き、築き上げ、今を作ってきた。多弁な方もそうでない方も共通しているのは、「自分たちはやってきたんだ。」という自信と自負がにじみ出ているという点だ。
今の僕たちはどうだろう。僕たちには何に「自信」があって、何の「自負」を持っているだろう。「ガタガタ文句を言う前に、まずは最後までやってみろ。それが自信と自負になるんだ。」四度も頭をこずかれた気がした。
多くの移住者の方に話を聞けば聞くほど、そこには壮絶な過去があった。僕みたいに高度成長期の終わりに産まれ、バブルの時代に育った甘ちゃん野郎が移住者のことについて語る資格などないのかもしれない。しかし、僕は確かに大いなるパワーとエネルギーとヒントをいただくことができたと思っている。
まずは僕自身に、しっかりと言い聞かそう。
「ガタガタ文句を言う前に、まずはやれ!」
突然日本から押し掛けた僕なんかのために時間を割いてお話をしてくださった移住者の皆様方に、心から御礼を申し上げたい。そして僕がやるべきことは、学んだことを無駄にせずに生きていくこと。すべては行動に移さなければ意味がない。さて、「ガタガタ言う前に、やってやるかぃ!」
2013年7月8日。アマゾン河畔の都市、ペルーはイキトスの安宿にて。
僕が南米の旅の中で移住した日本人にこだわってきたのは、何もないゼロからの環境からスタートしたというのに、ここまでの自分達の地位を築き上げてきたそのパワーとエネルギーは、最近元気がないと言われている今の日本、あるいは日本人にとって、何かしらのヒントがあるのではないかと思ったからだ。
ブラジル、パラグアイ、そしてボリビアを中心に多くの日系移民の方にインタビューをさせていただいたが、僕にはいくつかの共通する「教え」を感じた。
1.起こること、起こったことを笑顔で受け入れる度量
「南米に行くともうかるよ」などと政府から良いことばかりを聞かされて移住した人も多かったはずだ。また子どもだった故に、有無を言わさずに連れてこられたという人も多かったはずだ。
しかし、皆が口を揃えて「大変だったよ、来たときはね。でも来ちゃったんだからやるしかないんだよ(笑)」と、笑顔で話されていた。そこには、政府や自らの境遇への恨みや怒りなどなく、置かれた環境を受け入れ、そして切り拓いていく、武士道のような魂さえ感じられた。
今の僕たちはどうだろう。誰が悪い、これが良くない、あいつのせいだと、人のせいにしすぎてはいないだろうか。「色々あったよ。でもやるしかないんだから!」という、その言葉には、本当に含蓄がある。「ガタガタ文句を言う前に、まずは自分のできることからやれよ」と、頭をこずかれた気がした。
2.すべてを楽しむ。
「何でこんなことをしているんだろう。日本にいれば、こんな思いはしなかったはずなのに…。」などという思いもきっとあったはずだ。しかし、皆が揃って、とっても楽しそうなのだ。「まったく、ふざけんじゃねーよな。」などと口にしながらも、何故か楽しそうであり、自身の過去だけでなく今のこの時も楽しんで生きているのだ。
今の僕たちはどうだろう。何事も「楽しんで」やる気持ちを忘れてはいないだろうか。すべてを楽しむ姿勢。「ガタガタ文句を言う前に、やるしかないことは楽しんでやるんだよ。」と、再び頭をこずかれた気がした。
3.何でも経験し、糧とする。
「なんで原生林を一本一本切り開いていかなきゃいけないんだ…」という思いもあったはずだ。しかし、皆が口を揃えて言うのだ。「何でもやってみるもんだよ。その経験が、後で必ず生きてくるもんだ。」と。
今の僕たちはどうだろう。「こんなことやって、なんの意味があるんだろう。」と、目先の利益だけに囚われて、物事の本質を見失っているのではないだろうか。まるで、テストに出ないところは一切やらない、点が取れればそれでいい、という中学生のように。「ガタガタ文句を言う前に、やるんだよ。すべてが糧になるんだから。」と、またまた頭をこずかれた気がした。
4.やり遂げた自信と自負がある。
日本に帰りたいと思ったこともあったはずだ。しんどかったことの方が多かったはずだ。しかし、そこを耐え抜き、切り拓き、築き上げ、今を作ってきた。多弁な方もそうでない方も共通しているのは、「自分たちはやってきたんだ。」という自信と自負がにじみ出ているという点だ。
今の僕たちはどうだろう。僕たちには何に「自信」があって、何の「自負」を持っているだろう。「ガタガタ文句を言う前に、まずは最後までやってみろ。それが自信と自負になるんだ。」四度も頭をこずかれた気がした。
多くの移住者の方に話を聞けば聞くほど、そこには壮絶な過去があった。僕みたいに高度成長期の終わりに産まれ、バブルの時代に育った甘ちゃん野郎が移住者のことについて語る資格などないのかもしれない。しかし、僕は確かに大いなるパワーとエネルギーとヒントをいただくことができたと思っている。
まずは僕自身に、しっかりと言い聞かそう。
「ガタガタ文句を言う前に、まずはやれ!」
突然日本から押し掛けた僕なんかのために時間を割いてお話をしてくださった移住者の皆様方に、心から御礼を申し上げたい。そして僕がやるべきことは、学んだことを無駄にせずに生きていくこと。すべては行動に移さなければ意味がない。さて、「ガタガタ言う前に、やってやるかぃ!」
2013年7月8日。アマゾン河畔の都市、ペルーはイキトスの安宿にて。