2013年7月27日。
ベネズエラのギアナ高地の奥深くに位置する小さな町、カナイマ。エンジェル・フォールに向かう旅人にとって拠点となる町だ。
7月23日、夕方4時。2時くらいから降りだしたスコールは止むことなく、激しく降り続いていた。雷も鳴り始めたため、残念ながら予定されていた近隣の滝へのツアーは翌日の早朝に延期された。
今ここには、世界各地から集まった4人の若者がいる。日本からやって来たとんでもはっぷんな三十路の馬鹿野郎、私ふじもん。27歳というのは実は嘘で、実は37歳だった嘘つきミスター若ハゲ、イギリス人のベン。メッチャいいやつというのが顔に出まくっているアメリカ人、トニー。そして空気の読めない東ヨーロッパの雄、ポーランド人のクリスチャンの4人だ。
激しいスコールの中、僕たちは歩いてホテル近くの空港に向かった。特にあてがあるわけではなかったのだが、空港の売店でビールを一杯だけ飲もうと、4人で向かっていた。
みんなでテーブルを囲み、ビールを飲む。色々と話をしているうちに、いつともなく、また誰からともなく、話の内容が第二次世界大戦に変わっていった。
本当は4人の発言を全て会話形式で表せたらよいのだが、いかんせん僕の英語力では会話の節々しかキャッチできていない。しかしそれでも、何が言いたいのか、あるいは言っていなくてもにじみ出るその雰囲気から、それぞれの考えを十分に感じられた。
話をしたのはあくまで彼ら個人であって、別に彼らがその国の代表でも意見の総意を代弁しているわけでもない。それは承知の上だが、それでもその国の一人の国民として、それぞれの意見や話を聞く態度はとても興味深かった。以下に、僕が「ほほう」と思った4人の発言を、少しだけまとめてみた。
ミスター若ハゲ、イギリス人のベン。
・俺のじーちゃんは日本人を嫌っていた。昔戦争で戦ったことがあるからね。でも俺はその思いは尊重するけど、受け継いではいない。
・戦争はみんなが悪い。日本も韓国も中国も、イギリスもアメリカもポーランドも…。
・世界を旅していると、たまに俺たちイギリス人はかつての植民地支配についてどう思うか聞かれることがある。それを聞かれても、答えようがない。それは俺の責任じゃない。俺の生きてきた時代のことじゃないんだから。
ミスターいいやつ、アメリカ人のトニー。
・(話の流れの中で僕が少しだけ原爆のことに触れると)ふっと少しだけ笑った。何を思って笑ったのだろう。
・(ベンの植民地の話を受けて)そんな質問をしてくる人もいるんだ。300年前の脳ミソの話を今しても仕方ないのに…。
・(基本的にトニーはしゃべらず、聞き役でした)
ミスター空気が読めない東欧の雄、クリスチャン。
・みんな、ホロコーストについてどう思う?
・アウシュビッツはドイツじゃない、ポーランドにあるんだ。
・国際的な書類にはアウシュビッツはポーランドにドイツ人が作ったんだとしっかり書かれていないことがある。ポーランドにあるけど、作ったのはドイツ人なんだ。
ミスターイカれた三十路、ふじもん。
・僕は時々、韓国人と中国人が理解できない。常に日本の過去の追求しかしてこないならね。日本の過去の全てが正しかったとは思わないけど、過去の追求ばかりしていては前に進めない。
・大切なことは過去の追求ではない。良い未来をみんなで作ることだ。
・僕たちは決して歴史を忘れてはいけない。しかし歴史に囚われてもいけない。
英語での、しかもイギリス人、アメリカ人がいての英語での対話だったので、遠慮することなくバンバン話していたので理解できないところも多分にあったのだが、とても意義のある時間だった。僕たちは「同じ」地球に生きているけれど、国はそれぞれ「違う」。世界を揺るがしたあの戦争に対しても、感じ方・考え方が違うのは当然だ。
話している感覚として、僕は「英米側」と「日ポ側」に感覚的に分かれている気がした。英米は共に戦勝国であり、第二次世界大戦後の世界秩序の構築の中心的役割を担ってきた国々である。そして国連の常任理事国である。
ポーランドは最終的には戦勝国側ではあるが、ドイツからの侵攻を受け、甚大な被害を受けている。そして日本は言わずと知れた敗戦国の代表であり、唯一の核被害を受けた国でもある。このあたりに、感覚的な違いがあるように感じられた。
いずれにしても、僕たちの目標は同じだ。この世界を、この地球を、平和で皆が共に発展できるものにしていくことだ。そのためには過去の歴史に必ず目を通し、歴史を知り、教訓とすることは絶対に大切だ。
しかし、過去の歴史に「囚われて」はいけない。あくまで目標は未来にある。そのための過去からの学びである。作るべきは未来であって、過去を責めるべきではない。昔のことに囚われていては、僕たちは前に進めない。
意義のある「放学」の時間だった。「放学」だからこそ可能な、出会いの中でのダイアローグ。何が良いとか悪いではない。しかし話していて、やはり四者四様に考え方、価値観、感覚的な違いがあることが僕には感じられた。それを払拭することは不可能であるし、またそうする必要もないと思う。要は、その違いがあることをしっかり認識し、その上で前を向いて動いていくことだ。
ベンはコロンビアへ、トニーはアメリカへ、クリスチャンは引き続きベネズエラに滞在するという。たまたまこの3人と出会えたご縁。その縁に感謝し、また前に進んでいこう!
2013年7月27日。マルガリータ島のちょっと蚊の多い安宿にて。
ベネズエラのギアナ高地の奥深くに位置する小さな町、カナイマ。エンジェル・フォールに向かう旅人にとって拠点となる町だ。
7月23日、夕方4時。2時くらいから降りだしたスコールは止むことなく、激しく降り続いていた。雷も鳴り始めたため、残念ながら予定されていた近隣の滝へのツアーは翌日の早朝に延期された。
今ここには、世界各地から集まった4人の若者がいる。日本からやって来たとんでもはっぷんな三十路の馬鹿野郎、私ふじもん。27歳というのは実は嘘で、実は37歳だった嘘つきミスター若ハゲ、イギリス人のベン。メッチャいいやつというのが顔に出まくっているアメリカ人、トニー。そして空気の読めない東ヨーロッパの雄、ポーランド人のクリスチャンの4人だ。
激しいスコールの中、僕たちは歩いてホテル近くの空港に向かった。特にあてがあるわけではなかったのだが、空港の売店でビールを一杯だけ飲もうと、4人で向かっていた。
みんなでテーブルを囲み、ビールを飲む。色々と話をしているうちに、いつともなく、また誰からともなく、話の内容が第二次世界大戦に変わっていった。
本当は4人の発言を全て会話形式で表せたらよいのだが、いかんせん僕の英語力では会話の節々しかキャッチできていない。しかしそれでも、何が言いたいのか、あるいは言っていなくてもにじみ出るその雰囲気から、それぞれの考えを十分に感じられた。
話をしたのはあくまで彼ら個人であって、別に彼らがその国の代表でも意見の総意を代弁しているわけでもない。それは承知の上だが、それでもその国の一人の国民として、それぞれの意見や話を聞く態度はとても興味深かった。以下に、僕が「ほほう」と思った4人の発言を、少しだけまとめてみた。
ミスター若ハゲ、イギリス人のベン。
・俺のじーちゃんは日本人を嫌っていた。昔戦争で戦ったことがあるからね。でも俺はその思いは尊重するけど、受け継いではいない。
・戦争はみんなが悪い。日本も韓国も中国も、イギリスもアメリカもポーランドも…。
・世界を旅していると、たまに俺たちイギリス人はかつての植民地支配についてどう思うか聞かれることがある。それを聞かれても、答えようがない。それは俺の責任じゃない。俺の生きてきた時代のことじゃないんだから。
ミスターいいやつ、アメリカ人のトニー。
・(話の流れの中で僕が少しだけ原爆のことに触れると)ふっと少しだけ笑った。何を思って笑ったのだろう。
・(ベンの植民地の話を受けて)そんな質問をしてくる人もいるんだ。300年前の脳ミソの話を今しても仕方ないのに…。
・(基本的にトニーはしゃべらず、聞き役でした)
ミスター空気が読めない東欧の雄、クリスチャン。
・みんな、ホロコーストについてどう思う?
・アウシュビッツはドイツじゃない、ポーランドにあるんだ。
・国際的な書類にはアウシュビッツはポーランドにドイツ人が作ったんだとしっかり書かれていないことがある。ポーランドにあるけど、作ったのはドイツ人なんだ。
ミスターイカれた三十路、ふじもん。
・僕は時々、韓国人と中国人が理解できない。常に日本の過去の追求しかしてこないならね。日本の過去の全てが正しかったとは思わないけど、過去の追求ばかりしていては前に進めない。
・大切なことは過去の追求ではない。良い未来をみんなで作ることだ。
・僕たちは決して歴史を忘れてはいけない。しかし歴史に囚われてもいけない。
英語での、しかもイギリス人、アメリカ人がいての英語での対話だったので、遠慮することなくバンバン話していたので理解できないところも多分にあったのだが、とても意義のある時間だった。僕たちは「同じ」地球に生きているけれど、国はそれぞれ「違う」。世界を揺るがしたあの戦争に対しても、感じ方・考え方が違うのは当然だ。
話している感覚として、僕は「英米側」と「日ポ側」に感覚的に分かれている気がした。英米は共に戦勝国であり、第二次世界大戦後の世界秩序の構築の中心的役割を担ってきた国々である。そして国連の常任理事国である。
ポーランドは最終的には戦勝国側ではあるが、ドイツからの侵攻を受け、甚大な被害を受けている。そして日本は言わずと知れた敗戦国の代表であり、唯一の核被害を受けた国でもある。このあたりに、感覚的な違いがあるように感じられた。
いずれにしても、僕たちの目標は同じだ。この世界を、この地球を、平和で皆が共に発展できるものにしていくことだ。そのためには過去の歴史に必ず目を通し、歴史を知り、教訓とすることは絶対に大切だ。
しかし、過去の歴史に「囚われて」はいけない。あくまで目標は未来にある。そのための過去からの学びである。作るべきは未来であって、過去を責めるべきではない。昔のことに囚われていては、僕たちは前に進めない。
意義のある「放学」の時間だった。「放学」だからこそ可能な、出会いの中でのダイアローグ。何が良いとか悪いではない。しかし話していて、やはり四者四様に考え方、価値観、感覚的な違いがあることが僕には感じられた。それを払拭することは不可能であるし、またそうする必要もないと思う。要は、その違いがあることをしっかり認識し、その上で前を向いて動いていくことだ。
ベンはコロンビアへ、トニーはアメリカへ、クリスチャンは引き続きベネズエラに滞在するという。たまたまこの3人と出会えたご縁。その縁に感謝し、また前に進んでいこう!
2013年7月27日。マルガリータ島のちょっと蚊の多い安宿にて。