2013年7月16日。
南米(だけではないが)を回っていると、たくさんの日本製の製品や企業を目にする。TOYOTAやNISSAN、SONYなどをはじめとして、「お、日本のものだ」と思わされる機会は多い。
どこの国に行ってもどこの街に行っても、必ず「日本」がある。当たり前にありすぎて、僕たちはついまるで景色のようにただ眺めてしまう。しかし、改めて考えてみたい。
これって本当にすごいことじゃないですか?
この写真は、ボリビアのスクレという街で何気なく撮った違法駐車の(笑)車の列だが、これはみんな日本車なのだ。ボリビアの自動車は、ほぼ100%と言っていいほどに日本車しか走っていない。ちなみにパラグアイも同様だ。
1945年に第二次世界大戦が終結し、敗戦国としてスタートした日本。列島は焼け野原にされ、独立した地位すらないままにスタートした日本。そんな日本が、わずか数十年でドン底から這い上がってきた。こんなにも世界で評価される製品を、世に送り出せる企業を作り上げてきたのだ。
学校の授業では、「日本には多国籍企業がたくさんありますよ」とは教える。しかし、その企業が本当に多国籍に展開しているのかなんて、授業で実感することはできない。言葉でしか、学んでいない。
だから僕は、若い世代に世界に放たれてほしい。日本の企業がどんだけ世界で活躍しているのか、嫌でも感じるはずだ。そこに「放学」がある。
「どこから来たのか?」と、当然だがよく聞かれる。彼らはだいたい「チナ?コリア?ハポン?」と、三択で聞いてくる。当然僕は「ハポン」と答える。するとほとんどの人が「ビエン!(いいね!)」と言ってくれるのだ。日本という国に対して多大なる敬意を表してくれる人さえいる。
あまりにもそれが当たり前なので、つい当然のように感じてしまうのだが、改めて考えてみたい。これって本当にすごいことじゃないですか?
「何で日本の製品を使うの?」と聞いてみた。とにかく丈夫で壊れないのだそうだ。「日本の製品を買えば、まず間違いはないから。」言ってくれる人もいた。「〇〇の製品は安いことは安いけど、あっという間に壊れる。結果、高くつくんだ。」という意見も各地でよく聞く。(〇〇に入る国名はご想像にお任せ致します。)(笑)
「日本」という評価だけじゃなく、「日本人」としての評価も高い。「日本人です。」と言って毛嫌いされるようなことはまずない。「〇〇じゃなくてよかった。」とさえ言われることもある、本当に。(〇〇に入る国名はご想像にお任せ致します。)(笑)
最近で言えば、やはり東日本大震災の時の日本人の振る舞いについて言われることは多い。「あんな状況なのに秩序を守れる国民は、日本人しかいない。」とまで言ってくれるの人もいた。
「誰に対して」とか「どの企業に対して」とかじゃない。僕たちは今、この日本を築いて下さった全ての先人たちに、心からの感謝と敬意を示さなくてはいけないと感じている。これまでの日本人の全ての方々が「何か」に関わっているのであり、何かしらの礎となっているのだ。それは自分の親でもあり、隣のおっちゃんやおばちゃんでもあり、見ず知らずの日本人全てである。
僕が、僕たちがこんなに気持ちよく旅ができるのも、先人たちのおかげなのだ。
僕は誇りに思っている。日本に産まれたことを、そして日本人であることを。
一部の日本人の中には、日本の悪口を言うことに全力を注いでいる人もいるようだ。さらには、日本を嫌いになるような教育を施そうとしている人もいるようだ。
僕はそういう輩に対して、ハッキリ言って胸くそ悪くなりまくる。ムカつきます。
悪口ばかり言うなら、日本人やめたらいいんだよ。日本には国籍離脱の自由もあるんだし、そんなに嫌なら他の国の国民になればいい。変えようとする気がないなら、悪口も言うな。日本で生きているということは日本のシステムに守られて生きているということなんだから、文句だけ言うならどっかに行けばいいじゃないか。
と、僕は思ってしまう。
そして僕たちには、大切な使命がある。
当たり前のことだが、外国の人たちは僕を「日本人」として見る。僕を「藤本正樹」として見るわけではない。だから、僕が悪い振る舞いをすれば、それは「藤本正樹」の評価ではなく、「日本人」の評価が下がることになる。つまり言ってしまえば、僕の双肩に一億二千万人の日本人の評価が乗っかっているわけだ(笑)。おお、こいつは責任重大だ!
この誇るべき東アジアの小国を、僕らは守らなければいけない。
よし、行け行け!誇るべき日本人バックパッカーよ!
2013年7月16日。マナウスの安宿のロビーにて。
南米(だけではないが)を回っていると、たくさんの日本製の製品や企業を目にする。TOYOTAやNISSAN、SONYなどをはじめとして、「お、日本のものだ」と思わされる機会は多い。
どこの国に行ってもどこの街に行っても、必ず「日本」がある。当たり前にありすぎて、僕たちはついまるで景色のようにただ眺めてしまう。しかし、改めて考えてみたい。
これって本当にすごいことじゃないですか?
この写真は、ボリビアのスクレという街で何気なく撮った違法駐車の(笑)車の列だが、これはみんな日本車なのだ。ボリビアの自動車は、ほぼ100%と言っていいほどに日本車しか走っていない。ちなみにパラグアイも同様だ。
1945年に第二次世界大戦が終結し、敗戦国としてスタートした日本。列島は焼け野原にされ、独立した地位すらないままにスタートした日本。そんな日本が、わずか数十年でドン底から這い上がってきた。こんなにも世界で評価される製品を、世に送り出せる企業を作り上げてきたのだ。
学校の授業では、「日本には多国籍企業がたくさんありますよ」とは教える。しかし、その企業が本当に多国籍に展開しているのかなんて、授業で実感することはできない。言葉でしか、学んでいない。
だから僕は、若い世代に世界に放たれてほしい。日本の企業がどんだけ世界で活躍しているのか、嫌でも感じるはずだ。そこに「放学」がある。
「どこから来たのか?」と、当然だがよく聞かれる。彼らはだいたい「チナ?コリア?ハポン?」と、三択で聞いてくる。当然僕は「ハポン」と答える。するとほとんどの人が「ビエン!(いいね!)」と言ってくれるのだ。日本という国に対して多大なる敬意を表してくれる人さえいる。
あまりにもそれが当たり前なので、つい当然のように感じてしまうのだが、改めて考えてみたい。これって本当にすごいことじゃないですか?
「何で日本の製品を使うの?」と聞いてみた。とにかく丈夫で壊れないのだそうだ。「日本の製品を買えば、まず間違いはないから。」言ってくれる人もいた。「〇〇の製品は安いことは安いけど、あっという間に壊れる。結果、高くつくんだ。」という意見も各地でよく聞く。(〇〇に入る国名はご想像にお任せ致します。)(笑)
「日本」という評価だけじゃなく、「日本人」としての評価も高い。「日本人です。」と言って毛嫌いされるようなことはまずない。「〇〇じゃなくてよかった。」とさえ言われることもある、本当に。(〇〇に入る国名はご想像にお任せ致します。)(笑)
最近で言えば、やはり東日本大震災の時の日本人の振る舞いについて言われることは多い。「あんな状況なのに秩序を守れる国民は、日本人しかいない。」とまで言ってくれるの人もいた。
「誰に対して」とか「どの企業に対して」とかじゃない。僕たちは今、この日本を築いて下さった全ての先人たちに、心からの感謝と敬意を示さなくてはいけないと感じている。これまでの日本人の全ての方々が「何か」に関わっているのであり、何かしらの礎となっているのだ。それは自分の親でもあり、隣のおっちゃんやおばちゃんでもあり、見ず知らずの日本人全てである。
僕が、僕たちがこんなに気持ちよく旅ができるのも、先人たちのおかげなのだ。
僕は誇りに思っている。日本に産まれたことを、そして日本人であることを。
一部の日本人の中には、日本の悪口を言うことに全力を注いでいる人もいるようだ。さらには、日本を嫌いになるような教育を施そうとしている人もいるようだ。
僕はそういう輩に対して、ハッキリ言って胸くそ悪くなりまくる。ムカつきます。
悪口ばかり言うなら、日本人やめたらいいんだよ。日本には国籍離脱の自由もあるんだし、そんなに嫌なら他の国の国民になればいい。変えようとする気がないなら、悪口も言うな。日本で生きているということは日本のシステムに守られて生きているということなんだから、文句だけ言うならどっかに行けばいいじゃないか。
と、僕は思ってしまう。
そして僕たちには、大切な使命がある。
当たり前のことだが、外国の人たちは僕を「日本人」として見る。僕を「藤本正樹」として見るわけではない。だから、僕が悪い振る舞いをすれば、それは「藤本正樹」の評価ではなく、「日本人」の評価が下がることになる。つまり言ってしまえば、僕の双肩に一億二千万人の日本人の評価が乗っかっているわけだ(笑)。おお、こいつは責任重大だ!
この誇るべき東アジアの小国を、僕らは守らなければいけない。
よし、行け行け!誇るべき日本人バックパッカーよ!
2013年7月16日。マナウスの安宿のロビーにて。