(この写真は日本とキューバの友好を祈念し、ハバナ市内の日本庭園に掲げられています。全ての国と日本が、このような友好関係になりますように。)
2013年8月16日。
日本のテレビや雑誌などを見ない生活をしているとつい頭から離れてしまいそうになるが、昨日は終戦記念日だったのだ。日本人として、絶対に忘れてはならない日である。
旅をしていると、否が応でも日本人であることを意識させられる。良いやつも悪いやつも、「日本人」を背負って旅をしている。
僕は日本人であることに誇りを持っていると同時に、国という仕組みや意識に疑問を感じてもいる。「世界市民」という言葉が一時期流行ったが、言葉だけを捉えれば、まさに「世界市民」である必要がある時代なのだと思う。
グローバル化が進み、地球という1つの惑星はもはやどこにでも簡単に行き来できる時代になった。情報に限って言えば、小学生だって簡単に瞬時に大量の情報を入手することができる。かつての、これまでに僕たちが学んできた歴史からの常識は覆されつつある。そんな時代に生きているのだからこそ、「国」という枠の見方、捉え方も大きく変わっていく必要があると僕は考える。
しかしそうは言っても、僕たちは「国」の中で生きてきた。言わば国は、「家」である。何十年も何百年も何千年も、その「家」の中で生きてきた。だから突然「これからは家を取っ払いましょう!もう家にこだわっている時代じゃないんですよ、これからの家は世界そのものなんですよ!」と言われても、それは無理がある。これまで何百年何千年と培われてきた歴史や文化、伝統などは、僕たちの心の奥底まで根付いているものであり、そしてそれは誇りでもある。それを取っ払って「さぁ1つですよ」というのは現実的じゃない。
だから僕は、世界市民的な意識を持ちつつも、「国」としての誇りも強く持ちたいと考えている。そして自らの国に誇りを持つことで、他国もまた同様であることを認識し、他国の誇りを知り、尊重する。そしてお互いに「違い」を認め合いながら、「仲の良い隣人」としての世界市民となっていく。それが現実的かつ理想的な在り方ではないかと思っている。
そんな持論を僕は持っているが、この終戦記念日という日に、僕はあえて隣国からの旅人とのエピソードを紹介したいと思う。ちょっと昔の話も交えてになるが、僕はやはり「日本人として」どうあるべきかを、僕と同じか僕よりも若い世代がもっともっと強く考え、実際に思考や態度、発言、行動を変えていかなければならないと強く思うのだ。
南米のある街での出来事だ。とある韓国人の青年と同じ安宿に泊まった。ふとしたことから仲良くなり、色々と話をしていた。そしてあるとき、彼は僕に次の質問をした。
「マサキは竹島のことをどう思っているんだ?」
僕は逆に聞き返した。なぜ今その質問をするのか、その真意を知りたい、と。
彼は返した。
「そんなことはどうでもいいから、マサキはどう思っているのかを知りたいんだ。」
僕は考えた。彼はなぜ今それを聞いてきたのか?彼の目を見て判断しようと思った。平和的な話し合いがしたいのか、それとも好戦的なのか。
僕は判断した。この件についての彼の質問の仕方、態度、目つきは「好戦的」だと。
だから僕は質問には答えずに、次のように言った。
「俺は今それについて話したくない。俺たちは違う国に育ってきたのだから、お互いに見方が違って当然だ。今そんな政治的な話をしても、何も生まれない。俺はジョン(彼のイングリッシュネームです。韓国人の名前は発音が難しいので、たいていイングリッシュネームを持っています。)という人間が好きで、今こうして話をしている。今竹島の話をしても、お互いに憎しみを生むだけだ。ただの感情的な議論になってしまう。それじゃ意味がない。」
彼はさらに返した。
「マサキは自分の過ちを認めないのか。」
僕は一言「とても残念だ」とだけ言って席を立った。本当は「あれ、そう言えばお宅の国の軍隊さんたちは、ベトナム戦争の時にベトナムで現地の女性をレイプしまくって、それによって産まれてしまった子ども達が大量にいるというとんでもない所業をしてしまったらしいけど、それについての過ちにはいかがお考えですか」とでも聞いてやろうかと思ったのだが、止めた。それじゃ同じ土俵に立ってしまう。それは理性的じゃない、ただの感情的な反発になるだけだ。
翌日の朝僕は彼が目覚める前に宿を出たので、もうそれっきりだ。この僕の「残念だ」には、とても多くの僕の複雑な感情が含まれている。それを、そのことを、できれば僕は彼に伝えたかった。
以前オーストラリアのレストランで仕事をしていたとき、職場には多くの韓国人がいた。そのときも、同じような質問をぶつけられたことがある。当時は竹島の問題がニュースで取り上げられていたわけではなかったのだが、次のような質問を僕にしてきた。
「マサキは伊藤博文を知っているか?彼についてどう思っているんだ?」
「マサキは豊臣秀吉を知っているか?彼が何をしたか知っているか?」
今回は否定的に言いたい。
なぜ韓国人はこのような質問を日本人にしてくるのか?
その質問をしたところで、どんな答えを聞きたいのか?
その場で謝ってほしいのか?「すまない、僕たち日本人は、どうしようもないダメな国民なんだ。何度も迷惑をおかけして申し訳ない」とでも言ってほしいのか?
もちろん、出会う韓国人の全てがそのような質問をしてくるわけではない。しかし、少なからずこの類の質問をしてくる。
冷静に考えたい。
なぜその質問を、今出会った日本人の、ただの民間人の僕にしてくるのか?
何が背景にあるのか?国民性なのか?教育なのか?政府の方針か?
結局、そこから何を生み出したいと思っているのか?
以前のブログでも書かせていただいたが、これからを生きる僕たちに最も必要なことは、「共に在る」世界を築くことだ。世界の繋がりがますます深くなっていく中で、国と国もますます近くなっていく。命を懸けて船で海を越えて他国に行っていた時代とは、「外国」に対する意識も実際の距離もまるで異なる。そして世界は否が応でも1つにならざるを得ないくなってきているのであり、「競争」から「共存」の意識なくして、1つの地球・世界として繁栄できなくなっていく時代だと僕は思っている。
旅の中で出会う韓国人を否定したいのではない。素晴らしい韓国人ともたくさん出会ってきた。シェアメイトも仕事の同僚もいたし、かつて(少しだけだけど)韓国人の彼女がいたことだってある。そして僕は、冷静に考えたい。「なぜその質問をしてくるのか?」ということを。そして「その質問をすることで、何を生み出したいのか?」ということを。
メキシコで出会ったアメリカ在住の日本人の方と酒を飲んでいるときにも、この韓国人の質問の話になった。彼も同じく竹島のことについて聞かれたそうなのだが、僕と同じように「今はその話をする場じゃない」と流したそうだ。するとその韓国人は一言、
「だから日本人はダメなんだ」と、鼻で笑ったらしい。
さすがに怒った彼は、その韓国人に盾突いたとのことだ。それは当然だ、そりゃ頭に来る。
歴史は絶対に忘れてはいけない。でも、歴史に囚われてもいけない。
大切なのは未来。過去は変えられないが、未来は自由に創造できる。
僕は常にそう思っている。
少しだけ、ゴーマンかまします。
よく韓国は「事大主義」(悪い言い方をすれば、強い者には従いましょう主義とでも言ったらいいでしょうか)だと言われる。隣国を悪く言いたいわけではないが、そのように考えると説明がつくことがとても多いのもまた事実だと思う。
もっとゴーマンかますと・・・。
「結局さ、日本が上に行くのが気に入らないんでしょ、単純に。韓国はずっと中国に従う歴史を刻んできて、文化的なものは中国→朝鮮半島→日本と流れてきたことになっているから(僕は必ずしも全てがそうだとは到底思っていないのですが)一番最後の日本が上に行くのは許せない。そんな次元の話なんじゃないの?」
さらにゴーマンかますと・・・。
「いじめっ子がいじめをする時の心理って、実は自分に自信がないとか愛情が足りないとかがあげられるけど、それと同じなんじゃないの?結局は自分に自信がないから、どこかをターゲットにしたいんじゃないの?いや、ターゲットにし続けないと、心が安定しないんじゃないの?」
もう少しゴーマンかますと・・・。
「悪いけど、今のあんたらの発言とか行動、異常ですよ?(もちろんニュースなどを見る限りですが)日本のことを批判するのなら、かつて朝鮮半島を支配した左の方の国には文句言わないんですかね?豊臣秀吉について云々言うなら、左の隣国さんにも言った方がいいんじゃないですか?」
ネットが繋がるとき、日本のニュースを簡単にチェックする。するとやはりこの時期、靖国参拝や従軍慰安婦の話題がトップニュースになっている。
世界を1つの家としたら、韓国なんてルームメイトみたいなもんだ。言葉だって文化だって、そのくらい近い距離にいる「お隣さん」だ。顔だって似たようなもんだ。
それなのに、僕たちはいつもケンカばかり。これは兄弟ゲンカなのか?「ケンカするほど仲がいい」のケンカなのか?それとも、ガチの憎しみ合いなのか?ケンカを越えた、もはや抗争なのか?
この文章は、パナマシティのバスターミナルでバスを待ちながら原稿を書いていた。15日は午前中にあのパナマ運河に行ってきたのだが、フリーWi-Fiが繋がったので日本のニュースをチェックしていた。そしたらやはり、日本のニュースは韓国や中国の反応についてばかり。
俺は日本人。俺の祖国は日本。それは俺の誇りだ。
あるべき日本とは?あるべき世界とは?あるべき地球とは?
終戦というこの日、僕は遥かなるパナマで、これからの日本を、世界を、1人考える。
2013年8月16日。コスタリカの首都・サンホセ市内の安宿にて。
2013年8月16日。
日本のテレビや雑誌などを見ない生活をしているとつい頭から離れてしまいそうになるが、昨日は終戦記念日だったのだ。日本人として、絶対に忘れてはならない日である。
旅をしていると、否が応でも日本人であることを意識させられる。良いやつも悪いやつも、「日本人」を背負って旅をしている。
僕は日本人であることに誇りを持っていると同時に、国という仕組みや意識に疑問を感じてもいる。「世界市民」という言葉が一時期流行ったが、言葉だけを捉えれば、まさに「世界市民」である必要がある時代なのだと思う。
グローバル化が進み、地球という1つの惑星はもはやどこにでも簡単に行き来できる時代になった。情報に限って言えば、小学生だって簡単に瞬時に大量の情報を入手することができる。かつての、これまでに僕たちが学んできた歴史からの常識は覆されつつある。そんな時代に生きているのだからこそ、「国」という枠の見方、捉え方も大きく変わっていく必要があると僕は考える。
しかしそうは言っても、僕たちは「国」の中で生きてきた。言わば国は、「家」である。何十年も何百年も何千年も、その「家」の中で生きてきた。だから突然「これからは家を取っ払いましょう!もう家にこだわっている時代じゃないんですよ、これからの家は世界そのものなんですよ!」と言われても、それは無理がある。これまで何百年何千年と培われてきた歴史や文化、伝統などは、僕たちの心の奥底まで根付いているものであり、そしてそれは誇りでもある。それを取っ払って「さぁ1つですよ」というのは現実的じゃない。
だから僕は、世界市民的な意識を持ちつつも、「国」としての誇りも強く持ちたいと考えている。そして自らの国に誇りを持つことで、他国もまた同様であることを認識し、他国の誇りを知り、尊重する。そしてお互いに「違い」を認め合いながら、「仲の良い隣人」としての世界市民となっていく。それが現実的かつ理想的な在り方ではないかと思っている。
そんな持論を僕は持っているが、この終戦記念日という日に、僕はあえて隣国からの旅人とのエピソードを紹介したいと思う。ちょっと昔の話も交えてになるが、僕はやはり「日本人として」どうあるべきかを、僕と同じか僕よりも若い世代がもっともっと強く考え、実際に思考や態度、発言、行動を変えていかなければならないと強く思うのだ。
南米のある街での出来事だ。とある韓国人の青年と同じ安宿に泊まった。ふとしたことから仲良くなり、色々と話をしていた。そしてあるとき、彼は僕に次の質問をした。
「マサキは竹島のことをどう思っているんだ?」
僕は逆に聞き返した。なぜ今その質問をするのか、その真意を知りたい、と。
彼は返した。
「そんなことはどうでもいいから、マサキはどう思っているのかを知りたいんだ。」
僕は考えた。彼はなぜ今それを聞いてきたのか?彼の目を見て判断しようと思った。平和的な話し合いがしたいのか、それとも好戦的なのか。
僕は判断した。この件についての彼の質問の仕方、態度、目つきは「好戦的」だと。
だから僕は質問には答えずに、次のように言った。
「俺は今それについて話したくない。俺たちは違う国に育ってきたのだから、お互いに見方が違って当然だ。今そんな政治的な話をしても、何も生まれない。俺はジョン(彼のイングリッシュネームです。韓国人の名前は発音が難しいので、たいていイングリッシュネームを持っています。)という人間が好きで、今こうして話をしている。今竹島の話をしても、お互いに憎しみを生むだけだ。ただの感情的な議論になってしまう。それじゃ意味がない。」
彼はさらに返した。
「マサキは自分の過ちを認めないのか。」
僕は一言「とても残念だ」とだけ言って席を立った。本当は「あれ、そう言えばお宅の国の軍隊さんたちは、ベトナム戦争の時にベトナムで現地の女性をレイプしまくって、それによって産まれてしまった子ども達が大量にいるというとんでもない所業をしてしまったらしいけど、それについての過ちにはいかがお考えですか」とでも聞いてやろうかと思ったのだが、止めた。それじゃ同じ土俵に立ってしまう。それは理性的じゃない、ただの感情的な反発になるだけだ。
翌日の朝僕は彼が目覚める前に宿を出たので、もうそれっきりだ。この僕の「残念だ」には、とても多くの僕の複雑な感情が含まれている。それを、そのことを、できれば僕は彼に伝えたかった。
以前オーストラリアのレストランで仕事をしていたとき、職場には多くの韓国人がいた。そのときも、同じような質問をぶつけられたことがある。当時は竹島の問題がニュースで取り上げられていたわけではなかったのだが、次のような質問を僕にしてきた。
「マサキは伊藤博文を知っているか?彼についてどう思っているんだ?」
「マサキは豊臣秀吉を知っているか?彼が何をしたか知っているか?」
今回は否定的に言いたい。
なぜ韓国人はこのような質問を日本人にしてくるのか?
その質問をしたところで、どんな答えを聞きたいのか?
その場で謝ってほしいのか?「すまない、僕たち日本人は、どうしようもないダメな国民なんだ。何度も迷惑をおかけして申し訳ない」とでも言ってほしいのか?
もちろん、出会う韓国人の全てがそのような質問をしてくるわけではない。しかし、少なからずこの類の質問をしてくる。
冷静に考えたい。
なぜその質問を、今出会った日本人の、ただの民間人の僕にしてくるのか?
何が背景にあるのか?国民性なのか?教育なのか?政府の方針か?
結局、そこから何を生み出したいと思っているのか?
以前のブログでも書かせていただいたが、これからを生きる僕たちに最も必要なことは、「共に在る」世界を築くことだ。世界の繋がりがますます深くなっていく中で、国と国もますます近くなっていく。命を懸けて船で海を越えて他国に行っていた時代とは、「外国」に対する意識も実際の距離もまるで異なる。そして世界は否が応でも1つにならざるを得ないくなってきているのであり、「競争」から「共存」の意識なくして、1つの地球・世界として繁栄できなくなっていく時代だと僕は思っている。
旅の中で出会う韓国人を否定したいのではない。素晴らしい韓国人ともたくさん出会ってきた。シェアメイトも仕事の同僚もいたし、かつて(少しだけだけど)韓国人の彼女がいたことだってある。そして僕は、冷静に考えたい。「なぜその質問をしてくるのか?」ということを。そして「その質問をすることで、何を生み出したいのか?」ということを。
メキシコで出会ったアメリカ在住の日本人の方と酒を飲んでいるときにも、この韓国人の質問の話になった。彼も同じく竹島のことについて聞かれたそうなのだが、僕と同じように「今はその話をする場じゃない」と流したそうだ。するとその韓国人は一言、
「だから日本人はダメなんだ」と、鼻で笑ったらしい。
さすがに怒った彼は、その韓国人に盾突いたとのことだ。それは当然だ、そりゃ頭に来る。
歴史は絶対に忘れてはいけない。でも、歴史に囚われてもいけない。
大切なのは未来。過去は変えられないが、未来は自由に創造できる。
僕は常にそう思っている。
少しだけ、ゴーマンかまします。
よく韓国は「事大主義」(悪い言い方をすれば、強い者には従いましょう主義とでも言ったらいいでしょうか)だと言われる。隣国を悪く言いたいわけではないが、そのように考えると説明がつくことがとても多いのもまた事実だと思う。
もっとゴーマンかますと・・・。
「結局さ、日本が上に行くのが気に入らないんでしょ、単純に。韓国はずっと中国に従う歴史を刻んできて、文化的なものは中国→朝鮮半島→日本と流れてきたことになっているから(僕は必ずしも全てがそうだとは到底思っていないのですが)一番最後の日本が上に行くのは許せない。そんな次元の話なんじゃないの?」
さらにゴーマンかますと・・・。
「いじめっ子がいじめをする時の心理って、実は自分に自信がないとか愛情が足りないとかがあげられるけど、それと同じなんじゃないの?結局は自分に自信がないから、どこかをターゲットにしたいんじゃないの?いや、ターゲットにし続けないと、心が安定しないんじゃないの?」
もう少しゴーマンかますと・・・。
「悪いけど、今のあんたらの発言とか行動、異常ですよ?(もちろんニュースなどを見る限りですが)日本のことを批判するのなら、かつて朝鮮半島を支配した左の方の国には文句言わないんですかね?豊臣秀吉について云々言うなら、左の隣国さんにも言った方がいいんじゃないですか?」
ネットが繋がるとき、日本のニュースを簡単にチェックする。するとやはりこの時期、靖国参拝や従軍慰安婦の話題がトップニュースになっている。
世界を1つの家としたら、韓国なんてルームメイトみたいなもんだ。言葉だって文化だって、そのくらい近い距離にいる「お隣さん」だ。顔だって似たようなもんだ。
それなのに、僕たちはいつもケンカばかり。これは兄弟ゲンカなのか?「ケンカするほど仲がいい」のケンカなのか?それとも、ガチの憎しみ合いなのか?ケンカを越えた、もはや抗争なのか?
この文章は、パナマシティのバスターミナルでバスを待ちながら原稿を書いていた。15日は午前中にあのパナマ運河に行ってきたのだが、フリーWi-Fiが繋がったので日本のニュースをチェックしていた。そしたらやはり、日本のニュースは韓国や中国の反応についてばかり。
俺は日本人。俺の祖国は日本。それは俺の誇りだ。
あるべき日本とは?あるべき世界とは?あるべき地球とは?
終戦というこの日、僕は遥かなるパナマで、これからの日本を、世界を、1人考える。
2013年8月16日。コスタリカの首都・サンホセ市内の安宿にて。