2013年8月24日。
《僕たちは、この「世界で一番信用されている」とも噂されるほどの評価を得ている日本のパスポートを当たり前のように使用しています。何故日本のパスポートは信用度が高いのか?僕たちは、そのことを改めて意識しなくてはいけない気がしています。》
はじめに
前回のブログで僕はあえて「反韓」という言葉を用いました。そのことについて補足をさせて下さい。
僕が「反韓」と書いたのは、一部の心ない韓国人による日本を誹謗中傷するような横断幕の掲示や、安部首相の顔にハーケンクロイツを描いたプラカードを持っての抗議活動をするといったような「行為」に対して「反韓」と述べたのであって、韓国という国家そのものや韓国人全体に対しての批判を意図するものではありません。改めて説明させていただきます。
以前ブログで書いたこともありますが、僕は以前多くの韓国人の方々と共に仕事をし、語学学校でも共に学び、共に飲み、そのまま韓国人の友人の部屋に泊まることも何度も言われました。ありました。旅の中で出会う韓国人ともたくさん話をします。 特にオーストリアでは、韓国人の友達との思い出が溢れるようにあります。みんな大切な仲間でした。
僕が「反韓」という表現を用いたのは、一部の人々の行動とはいえ、それでも「日本人として」許し難い行為だと僕自身は感じているからです。だからあえて「反韓」という表現を用いました。
決して韓国のことも韓国人のことも嫌いなんてことはありません。しかしそれはそれとしても、許し難いものは許し難い。その主張は大切だと思っています。
すいません、前回からの続きなのですが…。
「日本魂」は、僕たちの心の中に在り続けている。僕はそう信じている。その心の中で、ちょっとだけ遠くに行ってしまっている「日本魂」を、今こそ心の真ん中に取り戻すときだと思うのだ。僕は、それを行えるのは、また行うべきなのは、今の20~30代の若い世代だと思っている。
では僕たちは、今後何をしていくべきなのか。それを考えたい。
「日本魂Come Back Action NO. 1 まずは学べ、俺ら!」
まず僕らは、学ぶしかないと思う。日本とは何か?ということに関して、僕らはあまりにも知らなすぎるのではないか。感覚的に何となく…というものはあったとしても、知識としてあまりに薄いと思う。それは歴史的なものであり文化的なものであり、およそ全てのことについて言えるのではないだろうか。
学校教育のせいにするわけではないが、僕たちは日本という国のそもそもの始まりや、特に戦後における変遷など、あまりにも大切な部分を学んでこなかったように感じる。とても大切な部分が欠け落ちていたように思う。
しかし今は素晴らしい時代(笑)。ネットでも本でも、その気になればいくらでも学ぶことができる。いくらでも勉強できる。
まず学ぼう、まず知ろう、僕らは!知らなければ、何も始まらない。知識がなければ思考にも繋がらない。まずは日本のことを「知識として」学ぶ必要がある。まずは「左脳的」な活動が必要だ。
「日本魂 come back action No. 2 ニッポンを外から眺め、感じよう!
自分のことを見つめ直しなさい」と言われても、自分を客観的に見つめることは本当に難しい。これは国についても同じだと思う。普段住んでいる国が果たしてどのような国なのか、分かっているようで分かっていないものだ。
自分は自分から離れることはできないが、国はそこから離れることができる。日本を客観的に眺め、感じるためには、日本を離れて外から見てみることが大切だ。
人間とは面白いもので、そのものの欠点についてはすぐに感じることができる。しかしその反面、長所についてはなかなか見出だせないものだ。国についても同様であろう。日本の悪いところは日本に住んでいるといくらでも思い付くのに、良いところとなるとなかなか思い付かない。そんなものだ。
だから僕たちは、日本を飛び出す必要がある。日本を客観的に見つめるために。日本がどれだけ素晴らしい国であるのか、必ず何かを感じるはずだ。
旅をしている日本人で、「いや~日本はひどい国ですね。海外に出て、日本のひどさがよく分かりました。」という人に出会ったことは一度もない。みんなこぞって、日本の良さを口にする。いや、これは本当に。
しかしそうは言っても、完全無欠の国など存在しない。日本にだって欠点は山のようにある。「お、この国のここはいいところだな」というところは素直に謙虚に学び取り、日本が良いと感じたところは素直に自信にすればよい。僕は日本の若者に、本当にそれを心で感じてほしいと思っている。
そのためにも、ぜひ「放学」をしてほしい。色々な国から日本を眺めてほしい。もちろん留学を否定するわけではないが、自分一人の力で自分を支え切り拓いていかなければならない放学の方が、僕はより感じるものが多いと思っている。もちろん海外に出る目的が語学の習得であったり特定の学問を修めるということであるなら、話は別になるのだが。しかし「日本魂」を感じるためには、僕は放学を薦める。
客観的に眺めながら経験を積み、感じとる。これは「右脳的」な作業である。
「日本魂 come back action No. 3 自分の頭で考えよう、俺ら!」
「学」として頭に入れる左脳的作業がNo. 1、体験をし、空気全体から感じとる右脳的作業がNo. 2、そしてNo. 3では、それを踏まえて「全脳的に」考えるというのが、次のステップである。
この「自分の頭で考える」というのが非常に大切だ。現在の世の中には情報が氾濫しており、No. 1で得た知識だって、何が正確な知識なのか判断に苦しむこともあろう。
たから、No. 3が大切になってくる。全てを鵜呑みにするのではなく、知識と体験を足してそれを2で割り、さらに自分の頭で考察するのだ。そして自分の頭で、何が最も適切か、真実なのか、 合理的なのか、説得力があるのかなどを判断するのだ。
たとえば、僕の旅の経験でいえば、ミャンマーが分かりやすい。僕は知識として、日本軍がひどい支配をしてきたと教わった。しかし外から眺め感じる体験としては、全くもってそと逆だった。ということは、そこにある隔たりとは何なのか。真実は何なのか?と、思考の過程が始まる。
これについて言えば、マスコミの報道についてもそうだ。僕は常に、新聞やテレビのニュースの報道からは一線を置くように意識している。マスコミの伝え方なんて、絶対に100%の中立なんてことは有り得ない。特にテレビの報道は映像も同時に流されるため、あたかもNo. 1とNo. 2が同時に頭の中に入ってきたような気になってしまう。それは危険なことだ。だからここで、No. 3の作業が重要になってくる。僕たちは、自分の頭で情報をしっかり咀嚼しなくてはいけない。
僕たちは歴史を忘れてはいけない。かつて日本でも新聞の報道が先の大戦を煽った側面があるように、マスコミの報道には一線を置いておくことが僕は不可欠だと思っている。
「日本魂 come back action No. 4 俺ら、みんなで繋がろう!」
何事もそうだが、一人だと滅入ることもある。一人だと考えが進まないこともある。それが人間だ。
僕は何事に置いても、人との繋がりが全てだと思っている。何かを学ぶにしても仕事にしても、「共に行う」ことで新しいアイディアが生まれたり、考えが進化したり、また単純に励まされたり、疑問が解決したり、逆に新たな疑問が生まれたりもする。
本当に日本を取り戻すためには、到底一人でできるはずもない。幸いにしてこの時代、いくらでも繋がる方法は存在する。呼びかけ方もいくらでも存在する。〇〇サークルでも〇〇カフェでも〇〇研究会でも、何でもいい。志を同じくする者同士が集まれる場を持てるようにするべきだろう。これは「共脳的」な作業だと言える。
「日本魂 come back action No. 5 世の中にどんどん発信しよう!」
これも幸いにしてこの時代、いくらでも世に放つ方法は存在する。地球の反対側からでも瞬時に情報が送れる時代なのだ。
だからこそ、僕たちは発信しなければならない。時に間違うかもしれないし、叩かれるかもしれない。先走って大失敗するかもしれない。
でも、失敗を恐れていては何も進まない。僕たち若い世代の最大の武器は行動力なのだから、自らの志をどんどん世に放つべきだ。これも、〇〇サークルでも〇〇カフェでも〇〇研究会でも、何でもいい。
脳ミソの中のものをどんどん放つ。これは「放脳的」な作業だと言える。
僕たちのやるべきことは、このようなステップなのではないだろうか。知って、感じて、考えて、繋がって、発信する。あとはこの一連の作業の質を深めていけばよい。
僕の世代や僕よりも若い世代の可能性は無限大だ。僕たちの行動で、日本の未来は変わってくる。良い方向にも悪い方向にも進んでいく。全ては僕ら次第。誰かのせいじゃない、僕ら次第だ。
じゃあ、偉そうに言っている僕はどうなのか?
今頑張ってNo. 2だけは進行中だが、全然知識は足りないし、思考力もダメダメだ。繋がりも発信力もまだない。ここであーだこーだ述べたところで、僕はまだまだハナクソだ。
でも、今ハナクソということは、これから先いくらでも成長できるということだ。何事もものは考え方。今はダメということは、逆に言えばチャンスなのだ。僕は自分が逆境に陥ったときは、いつもそのように考えている。
日本の若者へ。
本当に僕たち次第で、日本の未来は変わってくると思う。僕らの動き次第で、日本はいくらでも明るい方向に持っていけると思う。
全ては僕らにかかっている。共に学び、共に感じ、共に考え、共に繋がり、共に世に放つ。それが正しい方向にできたら、絶対に僕らは変われるはずだ。
少しでも日本を、そして世界を良くしていけるよう、みんなで頑張ろうぜ!
2013年8月24日。蚊に刺されまくって鬼のように痒い足を掻きつつ、カリブ海の波音を聞きながら。
《僕たちは、この「世界で一番信用されている」とも噂されるほどの評価を得ている日本のパスポートを当たり前のように使用しています。何故日本のパスポートは信用度が高いのか?僕たちは、そのことを改めて意識しなくてはいけない気がしています。》
はじめに
前回のブログで僕はあえて「反韓」という言葉を用いました。そのことについて補足をさせて下さい。
僕が「反韓」と書いたのは、一部の心ない韓国人による日本を誹謗中傷するような横断幕の掲示や、安部首相の顔にハーケンクロイツを描いたプラカードを持っての抗議活動をするといったような「行為」に対して「反韓」と述べたのであって、韓国という国家そのものや韓国人全体に対しての批判を意図するものではありません。改めて説明させていただきます。
以前ブログで書いたこともありますが、僕は以前多くの韓国人の方々と共に仕事をし、語学学校でも共に学び、共に飲み、そのまま韓国人の友人の部屋に泊まることも何度も言われました。ありました。旅の中で出会う韓国人ともたくさん話をします。 特にオーストリアでは、韓国人の友達との思い出が溢れるようにあります。みんな大切な仲間でした。
僕が「反韓」という表現を用いたのは、一部の人々の行動とはいえ、それでも「日本人として」許し難い行為だと僕自身は感じているからです。だからあえて「反韓」という表現を用いました。
決して韓国のことも韓国人のことも嫌いなんてことはありません。しかしそれはそれとしても、許し難いものは許し難い。その主張は大切だと思っています。
すいません、前回からの続きなのですが…。
「日本魂」は、僕たちの心の中に在り続けている。僕はそう信じている。その心の中で、ちょっとだけ遠くに行ってしまっている「日本魂」を、今こそ心の真ん中に取り戻すときだと思うのだ。僕は、それを行えるのは、また行うべきなのは、今の20~30代の若い世代だと思っている。
では僕たちは、今後何をしていくべきなのか。それを考えたい。
「日本魂Come Back Action NO. 1 まずは学べ、俺ら!」
まず僕らは、学ぶしかないと思う。日本とは何か?ということに関して、僕らはあまりにも知らなすぎるのではないか。感覚的に何となく…というものはあったとしても、知識としてあまりに薄いと思う。それは歴史的なものであり文化的なものであり、およそ全てのことについて言えるのではないだろうか。
学校教育のせいにするわけではないが、僕たちは日本という国のそもそもの始まりや、特に戦後における変遷など、あまりにも大切な部分を学んでこなかったように感じる。とても大切な部分が欠け落ちていたように思う。
しかし今は素晴らしい時代(笑)。ネットでも本でも、その気になればいくらでも学ぶことができる。いくらでも勉強できる。
まず学ぼう、まず知ろう、僕らは!知らなければ、何も始まらない。知識がなければ思考にも繋がらない。まずは日本のことを「知識として」学ぶ必要がある。まずは「左脳的」な活動が必要だ。
「日本魂 come back action No. 2 ニッポンを外から眺め、感じよう!
自分のことを見つめ直しなさい」と言われても、自分を客観的に見つめることは本当に難しい。これは国についても同じだと思う。普段住んでいる国が果たしてどのような国なのか、分かっているようで分かっていないものだ。
自分は自分から離れることはできないが、国はそこから離れることができる。日本を客観的に眺め、感じるためには、日本を離れて外から見てみることが大切だ。
人間とは面白いもので、そのものの欠点についてはすぐに感じることができる。しかしその反面、長所についてはなかなか見出だせないものだ。国についても同様であろう。日本の悪いところは日本に住んでいるといくらでも思い付くのに、良いところとなるとなかなか思い付かない。そんなものだ。
だから僕たちは、日本を飛び出す必要がある。日本を客観的に見つめるために。日本がどれだけ素晴らしい国であるのか、必ず何かを感じるはずだ。
旅をしている日本人で、「いや~日本はひどい国ですね。海外に出て、日本のひどさがよく分かりました。」という人に出会ったことは一度もない。みんなこぞって、日本の良さを口にする。いや、これは本当に。
しかしそうは言っても、完全無欠の国など存在しない。日本にだって欠点は山のようにある。「お、この国のここはいいところだな」というところは素直に謙虚に学び取り、日本が良いと感じたところは素直に自信にすればよい。僕は日本の若者に、本当にそれを心で感じてほしいと思っている。
そのためにも、ぜひ「放学」をしてほしい。色々な国から日本を眺めてほしい。もちろん留学を否定するわけではないが、自分一人の力で自分を支え切り拓いていかなければならない放学の方が、僕はより感じるものが多いと思っている。もちろん海外に出る目的が語学の習得であったり特定の学問を修めるということであるなら、話は別になるのだが。しかし「日本魂」を感じるためには、僕は放学を薦める。
客観的に眺めながら経験を積み、感じとる。これは「右脳的」な作業である。
「日本魂 come back action No. 3 自分の頭で考えよう、俺ら!」
「学」として頭に入れる左脳的作業がNo. 1、体験をし、空気全体から感じとる右脳的作業がNo. 2、そしてNo. 3では、それを踏まえて「全脳的に」考えるというのが、次のステップである。
この「自分の頭で考える」というのが非常に大切だ。現在の世の中には情報が氾濫しており、No. 1で得た知識だって、何が正確な知識なのか判断に苦しむこともあろう。
たから、No. 3が大切になってくる。全てを鵜呑みにするのではなく、知識と体験を足してそれを2で割り、さらに自分の頭で考察するのだ。そして自分の頭で、何が最も適切か、真実なのか、 合理的なのか、説得力があるのかなどを判断するのだ。
たとえば、僕の旅の経験でいえば、ミャンマーが分かりやすい。僕は知識として、日本軍がひどい支配をしてきたと教わった。しかし外から眺め感じる体験としては、全くもってそと逆だった。ということは、そこにある隔たりとは何なのか。真実は何なのか?と、思考の過程が始まる。
これについて言えば、マスコミの報道についてもそうだ。僕は常に、新聞やテレビのニュースの報道からは一線を置くように意識している。マスコミの伝え方なんて、絶対に100%の中立なんてことは有り得ない。特にテレビの報道は映像も同時に流されるため、あたかもNo. 1とNo. 2が同時に頭の中に入ってきたような気になってしまう。それは危険なことだ。だからここで、No. 3の作業が重要になってくる。僕たちは、自分の頭で情報をしっかり咀嚼しなくてはいけない。
僕たちは歴史を忘れてはいけない。かつて日本でも新聞の報道が先の大戦を煽った側面があるように、マスコミの報道には一線を置いておくことが僕は不可欠だと思っている。
「日本魂 come back action No. 4 俺ら、みんなで繋がろう!」
何事もそうだが、一人だと滅入ることもある。一人だと考えが進まないこともある。それが人間だ。
僕は何事に置いても、人との繋がりが全てだと思っている。何かを学ぶにしても仕事にしても、「共に行う」ことで新しいアイディアが生まれたり、考えが進化したり、また単純に励まされたり、疑問が解決したり、逆に新たな疑問が生まれたりもする。
本当に日本を取り戻すためには、到底一人でできるはずもない。幸いにしてこの時代、いくらでも繋がる方法は存在する。呼びかけ方もいくらでも存在する。〇〇サークルでも〇〇カフェでも〇〇研究会でも、何でもいい。志を同じくする者同士が集まれる場を持てるようにするべきだろう。これは「共脳的」な作業だと言える。
「日本魂 come back action No. 5 世の中にどんどん発信しよう!」
これも幸いにしてこの時代、いくらでも世に放つ方法は存在する。地球の反対側からでも瞬時に情報が送れる時代なのだ。
だからこそ、僕たちは発信しなければならない。時に間違うかもしれないし、叩かれるかもしれない。先走って大失敗するかもしれない。
でも、失敗を恐れていては何も進まない。僕たち若い世代の最大の武器は行動力なのだから、自らの志をどんどん世に放つべきだ。これも、〇〇サークルでも〇〇カフェでも〇〇研究会でも、何でもいい。
脳ミソの中のものをどんどん放つ。これは「放脳的」な作業だと言える。
僕たちのやるべきことは、このようなステップなのではないだろうか。知って、感じて、考えて、繋がって、発信する。あとはこの一連の作業の質を深めていけばよい。
僕の世代や僕よりも若い世代の可能性は無限大だ。僕たちの行動で、日本の未来は変わってくる。良い方向にも悪い方向にも進んでいく。全ては僕ら次第。誰かのせいじゃない、僕ら次第だ。
じゃあ、偉そうに言っている僕はどうなのか?
今頑張ってNo. 2だけは進行中だが、全然知識は足りないし、思考力もダメダメだ。繋がりも発信力もまだない。ここであーだこーだ述べたところで、僕はまだまだハナクソだ。
でも、今ハナクソということは、これから先いくらでも成長できるということだ。何事もものは考え方。今はダメということは、逆に言えばチャンスなのだ。僕は自分が逆境に陥ったときは、いつもそのように考えている。
日本の若者へ。
本当に僕たち次第で、日本の未来は変わってくると思う。僕らの動き次第で、日本はいくらでも明るい方向に持っていけると思う。
全ては僕らにかかっている。共に学び、共に感じ、共に考え、共に繋がり、共に世に放つ。それが正しい方向にできたら、絶対に僕らは変われるはずだ。
少しでも日本を、そして世界を良くしていけるよう、みんなで頑張ろうぜ!
2013年8月24日。蚊に刺されまくって鬼のように痒い足を掻きつつ、カリブ海の波音を聞きながら。