世界中から熱苦しく・・・「ふじもん世界放学ブログ」

元「変な学校先生」私ふじもんが、ただ今世界を駆け巡っています!世界の今と僕の魂をお届けしますので、ぜひお読み下さ~い!

【第1章 南米編 第1回ベネズエラ・マルガリータ島、一人ハーフマラソン大会開催!】

2013-07-26 18:18:44 | 日記
2013年7月26日。

南米大陸の北端に位置する国、ベネズエラ。僕は今、そのベネズエラのさらに北端にある小さな島、マルガリータ島というところにいる。

ベネズエラを代表するビーチリゾートであるこのマルガリータ島には、国内外からたくさんの観光客が訪れる。日本では全くと言っていいほど知られていないこの島だが、なかなかどうして良いところだ。海は綺麗だし、人々は陽気だし、僕の好きな屋台もたくさんあるし(笑)。

そんなマルガリータ島に来て思った。「ここのところずっとツアーに参加したりなどして大自然に触れてきたけど、ちょっと何かやりたいな。南米最後の国ベネズエラで、今まで誰もやったことのないようなバカを最後に刻んでやりてぇな…」と。


そこで!急きょ開催が決定しました!

【第1回ベネズエラ・マルガリータ島、ビーチ横断ハーフマラソン大会開催要項】

主催:マルガリータ島ビーチマラソン協会

会長:おれ

副会長:おれ

会計、書記、会計、監査等:全部おれ

期日:平成25年7月26日。

スタート時間:だいたい10時くらい。(現地時間)

参加資格:気合いがあれば誰でも可!人種、国籍等は一切問いません。

参加費用:もちろんタダ!

服装:自由。ただし全裸は不可。

参加者:おれ。

優勝者:おれ。

タイム:計ってないけど、えらいこと時間かかりました。

結果および経過報告

午前10時前、「誰もやったことがないであろうバカをやってやろう!」のスローガンの下、一人の日本人がビーチに現れる。本大会開催団体の会長である、藤本正樹氏だ。


ここはマルガリータ島随一のビーチ、エル・アグアという場所。南北に3kmくらいはあるであろう長いビーチの、一番北側がスタート地点だ。ちょっと岩場があり、ここには他の観光客は誰もいない。


午前10時(たぶんそのくらい)、彼はスタートした!この旅の彼の足元をずっと支えている、お馴染みのSALOMONのトレッキングシューズの紐をガッチリ絞めて、彼は水着のおねーちゃん達の行き交うビーチに走り込んで行った!

たぶんビーチは3kmちょっとだと思うので、3往復すればたぶんハーフマラソンくらいの距離になる。「誰もやったことがないであろうバカをやってやろう!」彼は勇んでスタートした!

しかし…すぐに思い付きの計画に彼は後悔する。ここは灼熱のビーチ、とにかく暑い…!太陽くんは真上で偉そうにしてやがる。雲さんはどこにもいない。


そしてここはビーチ、足下は砂だ。波打ち際の比較的固いところを走っていても、それでもやはり足を取られる。マジできつい。これはアカン。

なんとか一回目の折り返し地点へ。エル・アグアのビーチは南北それぞれの端は岩場になっており、分かりやすい。水分補給をし、すぐに引き返す。


マジで暑い。本当につらい。周りの視線もなんだか切ない。でも「誰もやったことがないであろうバカをやってやろう!」と、一度心に決めたのだ。このビーチを横断しまくり、ハーフマラソン完遂してやるわ!マジで倒れそうになりながら、なんとか走る。

途中、本当に熱中症になりかけてるな~と感じる。


でも…でも!やってやった!俺はやったぞ!走りきったぞ!恐らく一番最初の「マルガリータ島のビーチ横断ハーフマラソンを一人でやった日本人」になったぞ!

でも、走り終わったらマジでダウン。全身をカリブ海の海に浸し、ちょっと冷却タイム。本当に死にそうな図です。


大会後、会長よりお言葉がありました。

「バカなことこそやってみるものです。途中本当に死にそうでしたが、終わってみたらすごい達成感ですね。いやーでもマジで熱中症だこりゃ…。本当に危険なので、冷えたココナッツを三個くらい飲んでやります!」(実際飲みました)

特筆事項
1.何度も往復しているうちに、何人かが手を振ってくれるようになった。
2.何やってんの?と聞かれるが、とてもスペイン語では答えられないので、空手の練習をしていることにした。そしたら有名選手だと思ったらしく、サインを求められた(笑)。
3.HEY、チノ(中国人のこと)!と言われるので、ノー!ハポネス!(日本人だよ!)と、そこは強く否定した。
4.走り終わってビーチを歩いていたら、マッサージのおばちゃんがタダで肩のマッサージをしてくれた。
5.バカなことをやった後のビールは美味い!(笑)

2013年7月26日。マルガリータ島の中心市街ポルラマールの安宿にて。

【第1章 南米編 南米の大国・ブラジルのフシギ】

2013-07-19 22:24:14 | 日記
2013年7月19日。

僕はブラジルが、ブラジル人が大好きだ。人懐っこくて陽気でにぎやかで…。彼らといると、それだけで学べるものがたくさんある。そして彼らといると、不思議でならないこともまたたくさんある。

ブラジルのフシギ①「いつ働いてるの?」

ブラジルの街の昼下がり。まぁぎょーさんおっさん達がおります!なーんもせずに木陰に座ってる人、おしゃべりしてる人、昼寝に夢中な人、ガンガンビール飲んじゃってる人など…。それは愉快痛快です。

でも不思議でなりません、彼らはいつ働いているのだろう…?そんな年中ビール飲んでて、お金はどこから入ってくるのだろう…?

このゆったりさがいいんだよな…と思いつつ、日本という忙しい国で生まれ育った僕には、ちょっと理解できなかったりもする。フシギです…。


ブラジルのフシギ②「なんでそんなにバスを飛ばすの?」

ブラジルの路線バス。ルートがとても多く複雑で、バス内での犯罪も多いとのことから、慣れていない外国人が利用するのは難しいと言われている路線バス。しかしお金がない僕は、何より安いこの路線バスをけっこう利用してきた。

ぜひ皆様にも体感していただきたいのだが、ブラジルの路線バスはメッチャ飛ばすんです。運転手によっては、「いやいやいやマジで危ねぇから!」と叫びたくなるくらい、すごいコーナリングをかましてくる。「え、そこ入りますか?」というわずかな隙間にも、ガンガン飛び込んでいく。マジですごい。

そしてそれでいて事故らずにちゃんと行くのだから、運転技術には恐れ入る。でもあんなに飛ばすことないのになぁ…。どう考えても、運転手が自分の趣味で乗ってるようにしか見えない。乗客の安全なんて、考えているとは思えない。ま、でも慣れてくると、それが楽しいんですけどね…!

あ、ちなみにブラジルの路線バスは運転手の他に料金を集める人が入り口の横に座ってるのですが、こいつら寝てたりケータイでゲームしてたり、職務怠慢にもほどがあります(笑)。ま、でも同じく、慣れてくるとそれが楽しいんですけどね…!

ブラジルのフシギ③「親指を立てれば万事OK!」

これは僕の大好きな仕草です。何だか分からなくても、とりあえず目があって笑顔なら親指を立てる。これ、いいですよね。初対面でも何でも親指を立てれば、それでアミーゴ。この気さくで取っ付きやすい感じが、僕は本当に大好きです!

ブラジルのフシギ④「メッチャ親切、なんだけど…」

ブラジル人って、とても親切なんです。ちょっと道を聞いても必ず教えてくれるし、バスの番号を聞いても、ポルトガル語の分からない僕に、ノートに番号を書いて事細かに教えてくれるし、バスの中でもお年寄りなどに積極的に席を譲る。(席を譲ることに関しては、ボリビアが一番すごかったですね)

とっても有り難いんたけど、たまに困るんです。道を教えてくれるのはいいんですが、これがけっこうテキトーなんですよね。「2ブロックさきにあるよ」と言われて行ってみたら何もないとか、他の人にも聞いてみたら全く反対の方向だったりとか…。最初はちょっと腹が立ったりもしたのですが、これも慣れてくると、面白いもんなんです。

ですから僕は、同じ道案内を3~4人に聞きます。それで同じだったらほぼ間違いないと判断するんですね(笑)。ホントに面白いです。

ブラジルのフシギ⑤「多発する犯罪」

これはシリアスに考えたい。ブラジルはなかなかに犯罪が多い。サンパウロでは毎日5件の殺人事件が発生し、普通に見える路上でも銃を使った強盗は毎日起きているという。マナウスの殺人事件の発生件数は日本の55倍、強盗に至っては数百倍を越えるらしい。

これだけを聞くと、「ええ、ブラジルって恐ろしいところじゃないか…」と思ってしまう人もいるだろう。しかし、時に数字は嘘をつく。こんな数字を知っていたとしても、ブラジルの人たちの明るさ、陽気さ、親切さを見れば、「なんだよ、なんていい人たちなんだ」と思うはずである。

しかし現実として、犯罪は多いのだ。現地在住の日本人の方やブラジル人にも聞いてみたが、次の3つが僕には印象に残った。

1.貧富の差
ブラジルの貧富の差はなかなかのものらしい。フェラーリを何台も買えるような金持ちもいれば、サンパウロやリオデジャネイロの郊外には一面スラム街が広がっている。言わずもがな、これは犯罪に繋がる要素だ。

2.教育の不十分さ
貧困の問題とも繋がってくるが、十分な教育を受けられない子どもが多いが故に、知識はもちろん道徳心や公共心も身に付いていない人間が多く育ってしまうのだという話を聞いた。あるいは学校に行っていたとしても、授業以外の生活規律の指導などはほとんどないらしい。(あくまで公立学校とのことで、私立はまた全然違うらしい。そして私立に行けるような子は、当然お金持ちの子どもなのだが)教育の不十分さは、犯罪の多発に繋がるという視点だ。

3.国民性
国民性と一言で言ってしまうのは語弊があると承知はしているのだが、ブラジル人は一般的に、お祭り騒ぎが好きで、ちょっとしたもめごとでもケンカに発展してしまうことも多いらしい。故に、そこから犯罪に繋がる、という話である。

昼間の彼らの陽気さ、優しさに触れていると、そんな犯罪が多発しているなんて想像しづらい面も多い。しかしその点は笑い話でなく、世界の多くの国々に共通する点として、僕たちは考えていかなければいけないだろう。特に格差や教育の問題は、全世界の永遠の課題である。


すいません、などと偉そうに述べてしまいましたが、結論、僕はブラジルが大好きです。日本にいると、その国のイメージだけは何となく形成されるが、それが本当にその国の真実なのかは、甚だ疑問である。

僕は、これからの未来を担う若い世代に、今の「知識」と「印象」がどれほどまでにその国、あるいはその国民とマッチしているのか、ぜひその目と耳と味と臭いと感覚と、そして直感で見てきてほしい。その「放学」をすることで、いかに自分が囚われていたのか、またいかに真実を掴むことが困難なのかを実感できると僕は思うのだ。


なんにしても、ありがとうブラジル!まだまだ行き足りないところが託さんあります。いつかまた会う日まで!chau chau !

2013年7月19日。ベネズエラのブラジルとの国境の街、サンタ・エレナにて。

【第1章 南米編 「先生」と「警察」が機能する国、ニッポン】

2013-07-17 20:52:24 | 日記
2013年7月17日。

当たり前の話をします。僕たち日本人は6歳になると小学校に入学し、義務教育が終わる15歳まで毎日学校に行きます。予期せぬ自然災害や伝染病などがない限り、学校がなくなるということはありません。

当たり前の話をします。日本には警察がいます。困ったときは警察に行けば、それなりにしっかり対応してくれます。事件があれば犯人を捜索するし、逮捕もするし、取り締まりで賄賂を要求されるようなこともありません。

なんでこんなことを言うのか?それは、僕たち日本人の「常識」は、実はけっこう「非常識」だったりもするのだ。そして、この「常識」が「常識」であり続けている国、ニッポン。これは本当にすごいことだと思う。

僕は日本には誇るべき点がたくさんあると思っているが、そのうちの2つが、「識字率」と「治安」である。それは、僕が先に述べた当たり前の話に関わってくる。

まずは学校について。日本は、100%の子どもが学校に行くことができると言ってもいい。そして学校には、常に先生が「いる。」このことが、間違いなく日本の根幹を支えている。

たとえばアルゼンチンでは、先生によるストライキが度々起こるという。理由は賃金アップのため。長いときには、半年くらいストライキが続くことがあるそうだ。

するとどうなるか。ストライキの期間は、当然学校はなくなる。子どもたちは教育を受けられない。結局はそれは、国にとって大きな痛手となって返ってくる。基本的な読み書きや計算ができない子どもが育つことは、その国の根幹を揺るがしかねない大きな問題になるのだ。

さらにたとえばボリビアでは、常に先生が足りないらしい。理由は賃金が安いから。そのため、先生のなり手がいないのだそうだ。先生になってもそれだけでは生活できないので、他の仕事もするしかない。当然教育活動に専念などできず、教育の質は落ちる。地域によっては、学校そのものが成立しないところもあるらしい。

日本では、絶対にこんなことはない。日本の先生の給料は決して高くはないが、それでも十分に生きていけるだけの金額は保証されているし、賃金アップのためのストライキをしようなんて発想は、聞いたことがない。(もちろん公務員のストライキは法律で禁止されてもいるのだが)

僕も教育現場にいた人間としてこれだけは言いたいのだが、日本の学校の先生は、本当に懸命に仕事をしている。そして教育への高い「使命感」を持っている。「もし学校がなくなったら、目の前の子どもたちはどうなってしまうんだ…!」と、みんな真剣に考えている。

だから日本の学校は「学校」であり続けている。それが日本の根幹を支えている教育水準の高さであるし、世界一の識字率を誇っている所以でもある。僕などが言うのはおこがましいのかもしれないが、日本の先生方の姿勢には本当に敬意を表したい。


そして警察。先生もそうだが、警察の不祥事も度々ニュースで報じられる。それを見ていると、「おいおい、日本の警察大丈夫かよ」と思ってしまうが、南米の警察を見ていると、日本の素晴らしさが見に染みて感じられるのだ。

たとえばアルゼンチンでは、警察とスラムが結び付いてしまい、警察は彼らに都合のよいようにわざとデモをやらせたりするそうなのだ、僅かなお金を握らせて。だから警察は、スラムの人たちが悪事を働いても見て見ぬふりをするし、犯人の捜索もいい加減らしい。目の前を犯人が通りすぎても、素通りだとも聞いた。

さらにたとえばボリビアでは、警察は賄賂天国だという。理由は先生と同じで、安すぎる給料のため。警察の仕事だけでは食べていかないため、警察は何かにつけて市民に因縁を吹っ掛けては賄賂を要求する。よくあるのが交通違反で、一時停止やら整備不良やらを吹っ掛けては、賄賂だけをいただく。ポケットにちょいとお金を入れて、それでおしまい。すぐ見逃してくれる。こんなことがまかり通っているらしい。

日本では、絶対にこんなことはない。何だかんだ言っても、日本の警察は色々やってくれる。チリで出会った日本在住経験のあるインド人は、「日本の警察は世界一親切だ」と話していた。

僕は警察で働いたことはないので警官の気持ちは分からないが、少なくとも間違いなく、他の国の警察よりは遥かに信頼できる。日本人という国民性もあるだろうが、警察の機能がしっかり働いているからこそ、世界一と言われる日本の治安があるのではないだろうか。

僕たちは、ニッポンというすごい国に生きているのかもしれない。国民を育む学校と、国民の平和を守る警察。国の根幹となる、大切な軸だ。それがしっかり機能している国、ニッポン。自国の悪口をいう前に、良い点にも目を向けてみたらどうか。

やっぱり僕は、日本人であることに、そして日本という国に誇りを持ちたい。心からそう思う。

2013年7月117日。マナウスの、いつもと同じ安宿のロビーにて。

【第1章 南米編 俺たちは誇るべき東アジアの小国だ!】

2013-07-16 23:04:52 | 日記
2013年7月16日。

南米(だけではないが)を回っていると、たくさんの日本製の製品や企業を目にする。TOYOTAやNISSAN、SONYなどをはじめとして、「お、日本のものだ」と思わされる機会は多い。

どこの国に行ってもどこの街に行っても、必ず「日本」がある。当たり前にありすぎて、僕たちはついまるで景色のようにただ眺めてしまう。しかし、改めて考えてみたい。

これって本当にすごいことじゃないですか?

この写真は、ボリビアのスクレという街で何気なく撮った違法駐車の(笑)車の列だが、これはみんな日本車なのだ。ボリビアの自動車は、ほぼ100%と言っていいほどに日本車しか走っていない。ちなみにパラグアイも同様だ。

1945年に第二次世界大戦が終結し、敗戦国としてスタートした日本。列島は焼け野原にされ、独立した地位すらないままにスタートした日本。そんな日本が、わずか数十年でドン底から這い上がってきた。こんなにも世界で評価される製品を、世に送り出せる企業を作り上げてきたのだ。

学校の授業では、「日本には多国籍企業がたくさんありますよ」とは教える。しかし、その企業が本当に多国籍に展開しているのかなんて、授業で実感することはできない。言葉でしか、学んでいない。

だから僕は、若い世代に世界に放たれてほしい。日本の企業がどんだけ世界で活躍しているのか、嫌でも感じるはずだ。そこに「放学」がある。

「どこから来たのか?」と、当然だがよく聞かれる。彼らはだいたい「チナ?コリア?ハポン?」と、三択で聞いてくる。当然僕は「ハポン」と答える。するとほとんどの人が「ビエン!(いいね!)」と言ってくれるのだ。日本という国に対して多大なる敬意を表してくれる人さえいる。

あまりにもそれが当たり前なので、つい当然のように感じてしまうのだが、改めて考えてみたい。これって本当にすごいことじゃないですか?

「何で日本の製品を使うの?」と聞いてみた。とにかく丈夫で壊れないのだそうだ。「日本の製品を買えば、まず間違いはないから。」言ってくれる人もいた。「〇〇の製品は安いことは安いけど、あっという間に壊れる。結果、高くつくんだ。」という意見も各地でよく聞く。(〇〇に入る国名はご想像にお任せ致します。)(笑)

「日本」という評価だけじゃなく、「日本人」としての評価も高い。「日本人です。」と言って毛嫌いされるようなことはまずない。「〇〇じゃなくてよかった。」とさえ言われることもある、本当に。(〇〇に入る国名はご想像にお任せ致します。)(笑)

最近で言えば、やはり東日本大震災の時の日本人の振る舞いについて言われることは多い。「あんな状況なのに秩序を守れる国民は、日本人しかいない。」とまで言ってくれるの人もいた。

「誰に対して」とか「どの企業に対して」とかじゃない。僕たちは今、この日本を築いて下さった全ての先人たちに、心からの感謝と敬意を示さなくてはいけないと感じている。これまでの日本人の全ての方々が「何か」に関わっているのであり、何かしらの礎となっているのだ。それは自分の親でもあり、隣のおっちゃんやおばちゃんでもあり、見ず知らずの日本人全てである。

僕が、僕たちがこんなに気持ちよく旅ができるのも、先人たちのおかげなのだ。

僕は誇りに思っている。日本に産まれたことを、そして日本人であることを。

一部の日本人の中には、日本の悪口を言うことに全力を注いでいる人もいるようだ。さらには、日本を嫌いになるような教育を施そうとしている人もいるようだ。

僕はそういう輩に対して、ハッキリ言って胸くそ悪くなりまくる。ムカつきます。

悪口ばかり言うなら、日本人やめたらいいんだよ。日本には国籍離脱の自由もあるんだし、そんなに嫌なら他の国の国民になればいい。変えようとする気がないなら、悪口も言うな。日本で生きているということは日本のシステムに守られて生きているということなんだから、文句だけ言うならどっかに行けばいいじゃないか。

と、僕は思ってしまう。

そして僕たちには、大切な使命がある。

当たり前のことだが、外国の人たちは僕を「日本人」として見る。僕を「藤本正樹」として見るわけではない。だから、僕が悪い振る舞いをすれば、それは「藤本正樹」の評価ではなく、「日本人」の評価が下がることになる。つまり言ってしまえば、僕の双肩に一億二千万人の日本人の評価が乗っかっているわけだ(笑)。おお、こいつは責任重大だ!

この誇るべき東アジアの小国を、僕らは守らなければいけない。

よし、行け行け!誇るべき日本人バックパッカーよ!

2013年7月16日。マナウスの安宿のロビーにて。

【第1章 南米編 「子どもたち」が教えてくれる、答えのない問い。】

2013-07-15 21:32:27 | 日記
2013年7月15日。

どこの国に行ってもどこの街に行っても、必ずたくさんの子どもたちがいる。


屈託のない笑顔、無邪気に遊び回る姿、好奇心溢れる眼で見つめてくるその眼差し…。


彼らのその姿が、これから先僕たちが何を目指すべきかを教えてくれる。

「この子たちが平和に、豊かに、温かく暮らしていける世界を創っていこう。」

「この地球が、いつまでも輝いていられるような世界にしていこう。」

きっと誰もが、そう願うはずだ。


きっと誰もが、子どもたちの幸せな未来を祈っているはずだ。


すべての親が、わが子の明るい未来を待ち望んでいるはずだ。


目指しているものは、みんな同じだ。僕たちはみんな、同じ方向を向いている。

答えはとても簡単だ。

それなのに、なぜ…なんで世界はこんなにも不条理に満ちているのだろう。


スラムの子どもたちを見ていると、行き場のない想いが込み上げてくる。


学校にも行けず、その日その日を生きる子どもたち。

ゴミの中で懸命に遊ぶ子どもたち。

しかしたくましく、笑顔と生命力に満ち満ちている。


日本の子どもたちを見ていても、行き場のない想いが込み上げてくる。

安全に学べる学校は全国に存在し、学習の環境も整っている。

遊び道具は何でもある。ゲームもケータイも、すぐに手に入る。

飢えることなどない。ほとんどの「モノ」は、素早く確実に入手できる。

しかし、二度と手に入ることのない「命」を、自ら手放す子もいる。

二度と手に入ることのない「命」を、簡単に奪ってしまう子もいる。

「何か」に満ちていない。「何か」に欠けている。

幸せな未来のために…

みんな同じ想いのはずなのに…

なぜ食い違うのか。なぜ噛み合わないのか。

世界の「想い」は一緒なのに、世界の「ズレ」は埋まらない。


僕は何をすればいいんだろう。何を想えばいいんだろう。

「僕にできることがあれば、何でもやりますよ。」

天空に輝くマナウスのお天道様に問いかけてみる。

返事はない。自分で考えろってことか。

色々考えてるつもりなんだけどな…。


「世界」という教科書には、信じられないくらいたくさんの「問」がある。

しかし、答えのページはない。

空白の解答用のページに、自分で答えを埋めていくしかない。

ペンを持ってみる。

でも…何も書けない。何を書いたらよいのか分からない。

分からないけど、僕は動くしかない。分からないから、僕は動くしかない。

この空白の解答用のページに、一行でも答えが書けるように…。


夜、ふと外を見る。

人通りのない路地に、娼婦とおぼしき女性が一人立っている。それも、幼い子を連れて…。

ますます分からなくなる。

この子の父親は誰なのだろう。この子の将来はどうなるのだろう。

それでも陽気なブラジル人たちは、その横でガンガン音楽を流しながら、路上でビールを飲んでいる。

そして夜が更けて、また明日がやって来る。

世界は不条理の中で、今日も周り続ける。

2013年7月15日。マナウスのちょっと治安の悪そうな場所にある安宿にて。