世界中から熱苦しく・・・「ふじもん世界放学ブログ」

元「変な学校先生」私ふじもんが、ただ今世界を駆け巡っています!世界の今と僕の魂をお届けしますので、ぜひお読み下さ~い!

ふじもん世界一周「放学記」第7章アジア編 検証!『チンチョンチャン』を科学する!

2014-05-21 06:02:44 | 日記
2014年5月20日。

※写真は今日行ってきたイランを代表するエラム庭園です。綺麗ですよね~!

《皆さん、「チンチョンチャン」という言葉を知っていますか?ちょっと今回は、この言葉を真面目に考えてみたいと思います。》

僕たち旅人にとって正直「ムカつく」言葉の1つ、それがこの「チンチョンチャン」。世界各地、けっこうどこに行ってもこの「チンチョンチャン」という言葉を投げかけられる。

今僕がいるイランでも、かなりの頻度でこの「チンチョンチャン」がやってくる。それを言われる度に正直かなり腹が立つのだが・・・。

でもですね、ちょっと冷静に考えてみたいんですよ。ここは一歩退いて、この「チンチョンチャン」を冷静に考えてみたいと思うんですよね。

※俺たちアジアン、チンチョンチャン!などと、ふざけて言っていてもいいものなのか?(笑)


まず初めに・・・『チンチョンチャンの定義』から。

チンチョンチャンとは?

⇒アジア人全般、あるいは中国人を指す差別的な呼びかけの言葉。中国語の発音を真似て「チンチョンチャン」という言い方になっている(らしい。これはあくまで僕がそう思っているだけのことで、正しい定義ではないです)。

そしてもう1つ忘れてはならないのが「チナ!」という言葉。これはその言葉の通り中国人のことなのだが、どうやら中国人だけじゃなく、幅広くアジア人全般を指すこともある(らしい。あくまで「らしい」ですので、よろしくお願い致します。)。

いずれにしても「中国人」が主になっているのだが、どうやら「チンチョンチャン」や「チナ!」と言ってくる人々は、中国人を個別具体的に指してその言葉を言っているのではなく、アジア人の顔を見たらみんな「チンチョンチャン」だし「チナ!」ということも多いらしいのだ。

※俺たちアジアンをなめんなよ~!

では、どの地域でこれらの言葉を投げつけられるのか?これまでの自分の旅ルートを思い返してみた。

南米・・・ほとんどない。でも、ベネズエラだけは酷かった。いや、ホントに酷かった!これでもかと言うくらい、「チナ!」の嵐だった。

中米・・・まぁ凄まじい「チナ!」攻撃。ちょっと嫌になりましたね・・・。

北米・・・キャンピングカーで移動していたというのもあるけど、「チンチョンチャン」や「チナ!」は全くありませんでした。1回も記憶にないんじゃないかなぁ・・・。

中東・・・なかなかに言われますよ。言葉だけじゃなくものを投げられたりもしますし。これもまた酷いもんだ・・・。

アフリカ・・・ここも酷いですね。特にスーダンやエチオピアが酷かったかな。初めて唾を吐かれたときはショックでした・・・。

ヨーロッパ・・・西欧はまずない。でもベルギーで何度か言われたのはショックでしたね。逆に東欧はあるんだよなぁ。ボスニアヘルツェゴビナは特に酷かった・・・。言葉はなくても、視線が気になることは度々でした。


ということで思い返してみると、酷いもんですよね!実は世界のかなりの地域で、僕らは「チンチョンチャン」や「チナ!」と言われまくっているんですよ!これがまた!

う~ん、そう言えばなんかいつもけっこうイライラしながら街を歩いていた気がする。考えてみたら残念なことだよなぁ。

「なんなのさ、俺らってそんなに嫌われているのかなぁ・・・」などとも思ってしまいますよ、本当に。

しかしこうして冷静に考えてみると、実に興味深くもある。「チンチョンチャン」や「チナ!」が飛んでくる地域には、ある共通点があると僕は思うのだ。

それは、いわゆる発展途上国であるということ。南米や中米、アフリカ、中東、東ヨーロッパなど、いずれも経済的には「発展途上国」と言われている地域ばかりなのである。現に「先進国」と言われている国々、具体的にはアメリカやカナダ、西ヨーロッパでは、この「チンチョンチャン」や「チナ!」はほぼ全く飛んでこないのだ。

※みんな仲間!似たような顔じゃねーか!


ではどうして発展途上国で「チンチョンチャン」や「チナ!」が多いのか?その理由を考えてみたい。


理由①:人権意識の欠如。

いわゆる発展途上国と言われている国々では、当然教育レベルも遅れを取っている。僕もいくつもの発展途上国の学校を見てきたが、学校の態をなしていない学校も数多くあった。いや、マジで「こりゃいくらなんでもヤバイんじゃねーの?」と思ってしまう学校もあったのは事実だ。

そのような学校でしっかりとした教育が出来ているのかと言うと、当然そうではない。人権を配慮した教育なんて、出来るはずもない。教育は学校だけで行うものではないし一概に学校だけを責められるものではないが、学校で伝えるべきものを伝えられていないというのはやはり子ども達の精神の発達に大きな悪影響があるであろう。


理由②:自国の不満の噴出。

僕は先進国や発展途上国という言い方は嫌いだと何度も言っているけれど、それでもやっぱり現在の経済システムの下では発展途上国はやはり発展途上国なのだ。当然、貧しい日々の暮らしにも不満がたまるものであろう。

そして溜まった不満、ストレスはどうするか?どこかで発散しなければならない。その矛先がアジア人に向いているという側面はあるのではないかと思う。だから街で異質なアジア人を見かけたら、そこに乱暴な言葉を投げつける。そこには人々の日々の不満が凝縮されているのではないだろうか

でも、それだと1つ疑問が出てくる。異質と言うのなら白人だって異質な存在だ。でも、彼らは白人にはそのような言葉を投げかけない。

何故か。これはあくまで僕の推測だけど、やはり長い長い歴史の中で培われた「支配・被支配」の関係があるのではないだろうか。何百年も支配されてきた白人には、やはりなかなか言葉を出しづらい。しかしアジア人はそういう存在ではない。そこに気持ちが向いているのではないか。


理由③:本当に中国人が評判の悪いことをやっているから。

これは以前から何度か記事にもしているけど、昨今の中国の世界的な進出には批判が本当に多い。僕も世界各地でリアルな中国人への批判を耳にしてきた。それ故に、単純にそんな中国人に対して世界中の人々の不満が高まっているのではないだろうか。


理由④:あまり深いことを考えていない国民性。

イランのある人から聞いた話によると、「チンチョンチャン」というのは昔の映画の中で出てきた表現で、それが広まって使われているだけだという。そこには特別な意味はほとんどないという話も聞いた。

日本人という国民は本当に思慮深く几帳面だ。そんな僕たちから見たら、他の国の人たちはみんな大らかで思慮に欠けているようにも見えてしまう。それはそれで良い点なのだが、もしかしたらあまり深い考えもなしに「チンチョンチャン」や「チナ!」と言っているだけなのかもしれない。

そう、それはそのイラン人が言うように、特別な意味もなく・・・。

※今一緒に行動している日本人の仲間たち。みんなで歩いていも、「チンチョンチャン攻撃」は次々と襲ってくるんですよ・・・!


ということでいくつか仮説を立ててみたのだが、どうなんだかなぁ・・・(笑)。なんせ僕も今眠たい中この文章を書いているので、ちゃんとまとまったもになっているのかどうか・・・。

でもですね、この「チンチョンチャン」や「チナ!」にも2種類あると僕は思うんです。1つは「明らかに悪意を持って言ってくるもの」。そしてもう1つは「純粋な質問であったり、何も考えずにアジア人を見かけたら声を掛けているもの」。

それは分かりますよね、やっぱり。相手の仕草や表情、言い方そのものにも現れますし。

でもですね、いくら「悪意がなさそうだな~」だとしても、やっぱり気分は良くないですよ!ちょっと想像してみて下さい、人とすれ違う度に「チンチョンチャン」や「チナ!」と言われることを。そりゃやっぱりイライラしてきますよ!


僕は写真よりも活字を通して世界の姿をお伝えできればと思っておりますが、この「チンチョンチャン」や「チナ!」が何度も話題になってしまうほどに、世界では本当にこの言葉を言われまくるんです。直接的には中国人なのかもしれませんが、そうではなくアジア人全体への差別的な意味合いも間違いなく含まれているでしょうし、これはやっぱり日本人として流したままにはしたくないんですよね。

僕のブログを読んでいただいたことがある方は、「なんだよこいつ、またチンチョンチャンとかネタにしてるよ」と思われる方もいるかもしれませんが、いや本当に酷いんですよ、世界のどこでも!それほど酷いからこそ、僕もこうして何度も文章にしているんです、はい。


そして今いるイラン。ここもなかなかの「チンチョンチャン大国」なんですよね。事前にそれを聞いてはいましたが、やっぱり気分は悪い!困ったもんだぜこんちくしょー!

僕の究極の目標は「世界平和」。そのためには、世界中の人々が「俺たちはみんな仲間じゃん!」意識を持たないといけないと思う。だからこの「チンチョンチャン」や「チナ!」も、笑い話じゃないんじゃないかなぁ。こういう小さな意識を正していくことが、世界が良くなっていく大切な道なんじゃないかなぁ。

そんなことを考えながら、僕は明日もイランの大地を歩きます。「あ~あ、明日は何回チンチョンチャンを言われるのかなぁ」などと考えながら・・・。


2014年5月20日。冷房が効き過ぎていてちょっと寒い、シーラーズの安宿にて。


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ふじもん世界放浪「放学記」第7章アジア編 感謝して下さい、俺。『今ここに在るそのご縁とお導き』

2014-05-19 01:24:54 | 日記
2014年5月18日。


《僕はあまり他の旅人と行動を共にしない。でもたまに一緒に動く時がある。いや、違うな。一緒に行動できてしまう時が、させていただける時がある。》


いつも言っていることなんだけど、僕は基本的に1人で動く。

これもいつも言っていることなんだけど、それは人間嫌いとかじゃなく、自分のペースを一番にして動きたいから。

或いは別の言い方をすれば、自分のペースで動いていると自然と1人になる。


でも、そうじゃない時もある。


変な気持ちなしで、自然と「一緒に」動けてしまう人がいる。

動きたくなってしまう人がいる。

それはまるで「お導き」のように・・・。


旅をしていて「1人じゃない」というのは、大きなメリットがある。

それは事務的な話なんだけど・・・。

荷物をお互いに管理できるとか、部屋代やタクシー代をシェアできるとか。

でも、そういうメリットがあっても、一緒に動きたくない人もいる。

でも、そういうメリットがなくても、一緒に動きたい人もいる。


今僕は、そういう「細かい損得」の話を抜きにして、「まるでお導きのように」一緒に動いている人がいる。


彼らとはグルジアで出会い、一緒にアルメニアを抜けてイランまで来ているのだけれど・・・。

なんだか不思議なほどに、自然に一緒にいられる。

変な駆け引きや損得勘定じゃなくて、純粋に一緒にいることができる。


というか、一緒にいて心地よい。

いや、違うな。それは上から目線の言い方でよくないな。

「心地よく一緒にいさせていただいている」とでも言ったらいいのかな。


こういう「ご縁」に、僕は心から感謝をしている。

もし1日お互いに何かがずれていたら、僕は彼らと出会わなかった。

出会うことが出来なかった。

でも、何かが一致したから、僕は彼らと出会うことが出来た。

話すことが出来た。動くことが出来た。


そして今、一緒にいることが出来ている。


こういうのって、本当に「奇跡」だと思うんだよなぁ。

人間の人生って、きっと物凄い数の人と出会っている。

旅をしていても、物凄い数の人と出会っている。

でもその中で、一緒にメシを食ったりバスに乗ったりどこかに行ったりするのは、本当にごく一部だ。

タイミングが合っても気が合わなかったり、気があってもタイミングが合わなかったり・・・。

「色んなもの」が一致しないと、一緒に行動するってことはない。


でもたまに、ほんの僅かな数だけど、「色んなもの」が一致する人と出会えることがある。

それはきっと「お導き」なのかもしれないな。

今僕は、きっとそんな「お導き」によって、一緒にいることができている人とここにいる。


感謝だな。

ただひたすらに、感謝。


そんなご縁をいただけたことに、そんなお導きに従えたことに・・・。

なんだか当たり前のように僕と彼らは今ここにいるんだけど、それは本当に奇跡的に「色んなもの」が重なっているから。

これからの人生の中で、僕はどれだけの「色んなもの」が重なる人に出会えるのだろう。

あと僅かな残りの旅の中で、どれだけの「色んなもの」が重なった人に出会えるのだろう。



そうは言っても、今いる彼らと一緒にいられるのもあとほんの数日。

旅の出会いってそんなもんだ。

でも、今こうしていられることに本当に感謝。

お導きに感謝。

本当に世の中、感謝に満ち溢れているなぁ。


そういう気持ちを心に落として、明日の朝、また彼らの顔を見よう、俺。

そして心に、深い深い合掌を・・・。


204年5月18日。昨日は冷房が効きまくって寒くて仕方なかったのに、今日は冷房がなくて微妙に暑いテヘランの安宿にて。



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ふじもん世界放浪「放学記」第7章アジア編 「大切なものと世界の未来」アゼルバイジャンの子ども達。

2014-05-14 14:32:39 | 日記


2014年5月14日。


僕はこの旅の中で、世界中の学校を訪問して来た。

もちろん国によって、子ども達の特徴は異なる。

でも、その本質は変わらない。

子ども達のベースは、何も変わらない。

いわゆる先進国か発展途上国かによって、学校の設備などは全然違うけれど、

子ども達そのものは、何も変わらない。


大人はすぐにこう言いたがる。

「最近の若い者は・・・」って。

でも、その「最近の若い者」を育ててきたのは誰だ?って話だ。

誰かのせいにするのはとても簡単なこと。

自分で責任を負うのはとても重たいこと。


人間なんて、本当に弱いものだ。

誰だって、責任を負いたくはない。


アゼルバイジャン北部にある街、シェキの郊外にある小学校。

屈託のない笑顔で僕に絡んでくる子ども達。

アゼルバイジャンはとても親日的な国だ。

子ども達の「ジャポン?」という質問も、何だか悪意がない。

純粋に「日本人」と接したいという気持ちが伝わってくる。

「こんなに可愛い子ども達がアゼルバイジャンにもいるんだなぁ。」

彼らを見ているだけで、心が温かくなってくる。


アゼルバイジャンは本当に気持ちの良い国だった?

差別的に「チナ!」と言ってくる人はおらず、みな友好的に「ジャポン?」と話し掛けてくれた。

子ども達も同じだ。どこかの国のように、アジア人を差別するような視線は全然なかった。

差別されないこと。偏見に晒されないこと。侮辱的な言葉を投げかけられないこと。

これは本当に気持ちがいい。

すごく当たり前のことなんだと思うけど、本当に気持ちがいい。


もし、これからの未来を担う世界中の子ども達が、全ての差別や偏見を持たずに育つことが出来たら・・・。

素晴らしい世界になるんだろうなぁ。

争いとか紛争とか戦争とか、きっとなくなるんだろうなぁ。

少なくともお互いがそれぞれ、気持ちよく生きていけるんだろうなぁ。


出来ると思うんだよなぁ、それ。

大人1人1人が、ちょっとずつ変われば。

子ども達に接する大人全ての、ほんのちょっとのところが変われば、きっと子どもは大きく変わる。

そしたら、すっごく明るい未来になると思う。

ほんのちょっとの大人の変化が、これからの世界を変えるんだと思う。


アゼルバイジャンの子ども達は、僕に大切な「未来の形」を教えてくれた。

言葉は一言も分からない。お互いに何を言っているのか、全然分かっていない。

でも、分かるんだよなぁ。

分かり合えているんだよなぁ。


言葉でコミュニケーションが取れなくても、何だか心地がいい空間。

アゼルバイジャンには、それがあった。

アゼルバイジャンの子ども達は、それを紡ぎ出してくれた。

「これだよ、こういう空間がいいんだよ!」

もし世界中の人がお互いに負の感情を拭うことができたら、

お互いを尊重しながら向かい合えたら、


世界全部が、きっとこんな気持ちのいい空間になるんだろうなぁ。


世界全体を、こんな空間で包み込みたい。

マジでそう思った。

アゼルバイジャンの子ども達は、僕に大切な「空間の感覚」を教えてくれた。

上手く言葉では表現できないけど、そんな気持ちの良い感覚。

これからの世界が、そうなりますように。


シェキからバクーに向かうミニバスの中で、僕は1人祈り考えていた。


2014年5月15日。おばちゃんの優しさが溢れ出て止まらない、アルメニアの首都エレバンの安宿にて。



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ふじもん世界放浪「放学記」第7章アジア編 楽しいやないかい!『隠れた親日国』アゼルバイジャン!

2014-05-13 19:04:12 | 日記
2014年5月13日。

※写真は有名な「キャラバンサライ」のホテルです。その昔、シルクロードに向かう隊商が泊まっていたという由緒あるホテルなんですよ~!

《アゼルバイジャンという国、名前は知っていましたけど・・・やられました!こんなにも日本のことを良く思ってくれているとは。おかげ様で、せっかくのアゼルバイジャンの夜の記憶がどっかに行ってしまいました・・・!》


「〇〇は親日国」的な話はよく耳にしますが、このアゼルバイジャンもなかなかの親日国なんですよ!

日本人として日本のことを良く思ってくれる国があるということは、本当に嬉しいことです。


グルジアからアゼルバイジャンに入国した僕は、まず初めにアゼルバイジャン北部にあるシェキという街に行きました。

シルクロードを渡る隊商たちが泊まっていたとう有名な宿「キャラバンサライ」にチェックインした僕は、さっそく街の様子を見に行こうと歩き出したのですが・・・!

これがまた楽しくも大変なことになってしまいました・・・(笑)!


アゼルバイジャンの洗礼①:「そんなに飲んだらおしっこが出てしまいまっせ・・・止まらないチャーイ攻め!」

「キャラバンサライ」はなかなか趣のあるホテルで、バックパッカーの僕が泊まるのにはちょっとお高い。

ホテルの中にはオシャレなカフェもあり、雰囲気もとても良い。

僕はそこでお茶を飲んだりするつもりは全くなかったのだが、ちょっと中の様子だけ見ようと中を覗き込んだ。すると・・・。

「ヘイカモン、マイフレンド!」

早速お誘いが入りました~(笑)!

彼らは地元アゼルバイジャン人の4人組のおっちゃん(兄ちゃん?)達。4人でチャーイを飲みながら、お菓子やらナッツやらを楽しんでいるところだった。

僕が日本人だと分かると、「ジャパニーズ!シットダウン!チャーイチャーイ!」の嵐!

途中から店員さんまで入り込んできて、色々な種類のチャーイやらお菓子やらバンバン振る舞ってくれるのだ。

結局1時間くらいそのまま滞在し、恐らく7~8杯のチャーイをいただいたと思う・・・。

だって「もういいから!」って言ってんのに止まらないんだもんよ!

ホントに有り難い限りです。おっちゃん(兄ちゃん?)達、どうもありがとうございます!美味かったぜ!


アゼルバイジャンの洗礼②:「いや、マジでそんなに飲んだら部屋まで帰れませんぜ・・・恐怖のウォッカ攻め!」

カフェを後にした僕は、「キャラバンサライ」の奥の庭にあるレストランを覗いてみた。

もちろん何かを食べるつもりはない。だって高いもんね。例によってただ覗いてみようと思っただけだ。

のだが・・・。

「ジャパン?カモン!」

またまたお誘いが入りました~(笑)!

今度は家族連れのアゼルバイジャン人だ。家族構成はよく分からないが、おっちゃん3人と子ども3人と奥さんと・・・楽しそうに外のテーブルで食事をしていた。

そこに突然呼ばれてしまった僕は、まるでホームステイのように飛び入り参加!

「いいのかな~」と思いつつも「楽しいからいいや!」と割り切り、ドカッと席に座ってしまったのだが・・・。

このテーブルは甘くはなかった。

次から次へと続く、ウォッカ(みたいなチョー強い酒)の洗礼!しかも全部一気で行けとのこと!

お肉やら野菜やらたくさん振る舞っていただいているし、それに郷に入っては郷に従え!だ。

さらに僕のポリシーとして、勧められたお酒を断るなんて失礼千万!これはいただくしかない!

子ども達まで嬉しそうに煽ってきやがる。この可愛いクソガキどもめ(笑)!

ということでバンバン料理をいただき、バンバンお酒も飲ませていただきました!押忍、ごっつぁんです!


しかしこの酒の強さはハンパじゃなかった。アルコールのパーセンテージは見なかったか、飲んだ感じでは恐らく30~40%はあったと思う。

それを次から次へとストレートで飲ませてくるのだから、これはかなりきつい。

しかしみんなこんなに温かい笑顔で迎えて下さって、突然現れた僕にお酒を振る舞ってくれているのだ。

身体はきついけど、こんなに美味しいお酒はない!僕はとことん飲んでやった。

ということで、その後記憶ぶっ飛びで部屋まで戻ることになったのですが・・・(笑)!


いきなり強烈なダブルパンチだった。

まさに綺麗なワンツーでアゴをスパーンと撃ち抜かれたように、アゼルバイジャンの楽しい楽しい洗礼受けたのでした!

アゼルバイジャンに入国してから常に感じているのだが、アゼルバイジャン人は基本的に本当に親日なのだと思う。

国境の警官たちもすごく日本人の僕に対して優しかったし、バクーの街中では「カラテ」「ジュードー」のジャージを着た人を何人か見かけた。

武道を通じて日本を知っている人も少ないのであろう、そう言えばアゼルバイジャンって、確かけっこう柔道が強かったと思う。

せっかくちょっと高いお金を出して泊まった「キャラバンサライ」の宿、じっくり堪能しながら夜を過ごすつもりだったけど、それは吹っ飛んでしまった(笑)。

でも、そんなのはどうでもよかった。

「日本が好きだよ!」とか「日本人っていいよね!」と言って下さる国がある。国民がいる。

そんな方々が名もない僕を呼び止めてくれて、一緒の時間を過ごしてくれる。

そんな贅沢って、他にないよね。

どんな高級なホテルに泊まるより、どんないい車で迎えに来てもらうより、こういう地元の人との付き合いって掛け替えのない財産だと思う。

だからちょっと次の日二日酔いで大変だったのくらい、なんてことない!

こんなに素晴らしい時間をいただいたのだから。


僕は改めて思った。

こういうのもふてぶてしいのかもしれないけど、日本人って世界の中ではかなり好かれている方の国民だとは思う。

だからどこの国に行っても比較的「ウェルカム」で対応されることが多い。

すると、僕たちは忘れてしまう。「ウェルカム」をしてくれることの素晴らしさ。

何故「ウェルカム」なのか?その背景も考えなくなってしまって、ただその状況に甘えてしまう。

「俺らは嫌われてないからね~」などと、天狗になりかけてしまう。


そうじゃない、それじゃいけない。

温かく迎えて下さる国々に感謝をするのはもちろんのこと、温かく迎えられるような国を作って下さった先人たちへの感謝を同時に忘れてはいけないのだ。

今の自分たちが旅をしやすいのは、自分たちの功績じゃない。

先人たちのおかげなのだ。

アゼルバイジャンの温かい人々は、今一度そのことを僕に思い出させてくれた。

これって絶対に忘れちゃいけない、大切なことだと思う。


「もう無理だよ、俺マジでヤバイよ!」と言っているのに満面の笑みで僕のグラスに酒を注ぎ続けたおっちゃん達の笑顔を、僕は一生忘れない。


2014年5月13日。外で何やら大喧嘩をしていて部屋を出るのが気まずい雰囲気になっている、バクーの安宿にて。


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ふじもん世界放浪「放学記」第7章アジア編 全ての旅人へ。全ての日本の方へ。そして自分自身へ。

2014-05-13 01:45:08 | 日記
2014年5月12日。


《今回は写真も文字への色付けもなく、言葉のみのブログです。でも、お読みいただけたら幸いです。どうぞよろしくお願い致します。》


先日、グルジアの首都トビリシにいた時のことです。

僕が泊まっている安宿の目の前で、凄惨な交通死亡事故が発生してしまいました。

被害に遭われたのは女性の方で、頭部が完全に吹き飛び、周囲に脳みそや頭蓋骨が散乱するという、極めて悲惨な事故でした。


僕はその現場を直接目撃していました。


しかし本当に驚いたのは、その後の警察の事後処理です。

遺体を隠すためにかけたシートもいい加減で、完全に遺体を隠しきれていませんでした。

そして遺体を救急車に乗せた後がさらに衝撃でした。

道路上に散乱していた脳みそを、なんとそこいらにあるダンボールで集め、まるでピザのようにひょいっと乗せて持って行ったのです。

そしてまだかなりの量の脳みそと頭蓋骨が道路上にあるにも関わらず、消防車の放水で全て流して終わりにしてしまったのです。

水に流された脳みそと頭蓋骨はちょうど僕が泊まっていた安宿の目の前の排水溝に流れてきました。

そして排水溝の金網の上には、なんとまだ血管が付いている状態の頭蓋骨の破片と、遺体を運ぶ時に使用したゴム手袋まで流れてきていました。

頭蓋骨の破片の大きさは優に15cmはあったと思います。

見付からないはずはありません。回収できないはずがありません。

そしてゴム手袋まで水に流して終わりにするなんて・・・そのずさんな処理に、僕は怒りすら覚えました。


その日ほど、僕は外に出るのが恐ろしくなった日はありません。

トビリシの交通事情はかなり悪く、運転も荒いので、事故が起きないはずはありません。

僕たち旅人は慣れてくると、地元の人と同じように車がバンバン走っている道路を平気でどんどん渡っていきます。

というよりも、そうしなければ道路を渡ることが出来ないような交通事情なのです。

僕もそうやって道路を渡っています。

でもそれは、本当に事故と紙一重なんですよね。


被害に遭われた女性の遺体が処理されるのを見ながら、僕は思いました。

「絶対に絶対に、こんなところで事故に遭ってはいけない。」と。

ある旅人が言っていました。

「うちらはまずは絶対に生きて帰らなくちゃいけないんだから。」と。

被害に遭われた方に対しては、本当に気の毒でなりません。

しかしそれを直接目撃した僕は、そこから学ばなければならないと思いました。


グルジアの女性、特におばちゃんはとてもサッパリしていて優しく、情に厚い人が多いと感じています。

被害に遭われた方も、そんなおばちゃんだったのかもしれません。

ついさっきまで元気だったのに、ほんの一瞬の不注意で、こんな結果になってしまう・・・。

あんなに優しいおばちゃんが、一瞬にして・・・。

そう思うと、居たたまれない気持ちでいっぱいになります。

そして家族や親友の気持ちを思うと・・・。


宿の共有スペースで冷静になった時、僕は考えました。

日本で待っていてくれている人のことを。

母を、父を、ばーちゃんを、大好きな彼女よっさんを、タロ(飼い犬)を、大切な仲間たちを・・・。

「俺はこんな形で死ぬわけにはいかない。」心から思いました。

そして旅仲間と、こんな話もしました。

「もしうちらがあんな形で死んでしまったら、ちゃんと調査してくれるのかな・・・。」と。

ずさんな処理を見ていて、怒りと共にそんな心配も沸いてきました。

なお一層思いました。「絶対に絶対に交通事故になんてあってはならない。」と。


全ての旅人の方へ。

長旅をしていると当たり前になってやっていることって、一歩間違えたら命の危険があることもありますよね。

そうせざるを得ない時もありますが、ぜひ今一度、安全を考えてほしいと思います。

そして必ず「生きて日本に帰る」という使命を、心に刻んでほしいと思います。

なんか上から目線の書き方になってしまって申し訳ありません。でも本当にそう思います。


日本の方へ。

僕は必ず生きて日本に帰ります。

そして逆に、僕が日本に帰った時に、必ず元気でいて下さい。

交通事故などはどんなに気を付けていても起きてしまうものですが、可能性を減らすことは出来ます。

僕のお知り合いの全ての日本の皆さん、どうか無事でいて下さい。


自分自身へ。

あの事故を忘れるな。

被害者の方への想いを忘れるな。

あの事故を目撃したという経験には、きっと意味がある。

今一度、俺に気を付けろと言っているんだと思う。

絶対に油断するな。

絶対に生きて帰れ。

オマエには、日本で待ってくれている人がいる。

そのことを忘れるな。


どんなことがあっても、絶対に生きて帰れ、俺。


2014年5月12日。ようやく辿り着いてやっと一息つけている、アゼルバイジャンの首都バクーの安宿にて。



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