世界中から熱苦しく・・・「ふじもん世界放学ブログ」

元「変な学校先生」私ふじもんが、ただ今世界を駆け巡っています!世界の今と僕の魂をお届けしますので、ぜひお読み下さ~い!

ふじもん世界放浪「放学記」第7章アジア編 「こんな夫婦になりたい!」最高の旅人夫婦inグルジア!

2014-05-10 22:42:22 | 日記
2014年5月10日。

《旅をしていると、「夫婦で世界一周」という方に度々お会いする。そしてこのグルジアで、僕は本当に「楽しく仲良く気持ちよく」旅をされているご夫婦にお会いした。もう見ている方が微笑ましくなるようなお2人なんですよね~!》

ということで今回は前置きなく、グルジアの首都トビリシの安宿で出会った「楽しく仲良く気持ちよく」旅をされているご夫婦、ルイさんとサホさんのインタビューレポートでございます!

「夫婦で世界一周をしてみたい」「新婚旅行を思い切って何か月も何年も・・・」などと考えたことがある方は少なくないと思うんですよね。でもそれを実行に移すとなると、相当のエネルギーと行動力が必要になります。

しかしそれを実行されているパワフルで温かいご夫婦、それがこのお2人です。ある意味で「みんなの夢を代表して」旅をされているお2人と、ワイン片手に色々とお話をお伺い致しました~!


Q1:ルイさんサホさん、どうぞよろしくお願い致します!まずはじめに、どうしてお2人で旅をしようと思ったんですか?

A2ルイ:僕は世界一周をしたいという夢がずっとあったんです。そして彼女は海外ボランティアをしてみたいという想いがあったんですね。

彼女へは僕の方から告白をしたんですが、その時「付き合って一緒に世界一周をしよう」とアプローチをしたんです。そしてやがてOKをもらい、結婚をし、今こうして旅をしているんですね。


Q2:なるほど、ルイさんの方から告白をしたんですね(笑)。旅人は基本的に1人の方がほとんどですが、2人旅のいところにはどんなことがありますか?

A2ルイ:そうですね、事務的な話になってしまいますが、例えばトイレに行く時やバスの中にいる時などに、お互いに荷物の管理が出来るとということなどは助かりますよね。地味な話かもしれませんが、海外の旅ではこれはとても重要なことなんです。

あと、情報収集力が2倍になりますね。バスの時間であったり観光場所の情報であったり、それを2人で集められることは大きいです。

サホ:私は思ったことや感じたことを話せる相手がすぐ傍にいることがとても大きいです。そしてその反応が、自分の考えていることと違ったりすることも刺激ですね。

例えば物乞いの子どもをミャンマーで初めて見たとき、私は何も出来なかったんです。そしてその時の想いをすぐに彼に話すことが出来て、彼には彼の意見があって・・・。そういう意見交換が出来ることはすごく大切だと思うんです。

ルイ:僕は昔一人旅をしたことがあるのですが、綺麗な景色を1人で見てもちょっと寂しいんですよね(笑)。でも2人で見ると、それを共有できる。小さな話に聞こえるかもしれませんが、すごく重要ですよね。


Q3:すごく分かります。僕も綺麗な景色を見て1人でいると、「おお~いいねぇ!」と1人で言っちゃいますが寂しいですよね・・・(笑)。でも2人だと、やっぱりもめることもりますよね・・・?

A3ルイ:アホみたいに一緒にいるので、やっぱりもめますよ(笑)。一緒に長くいる分、求めることが繊細になってくるんですよね。「こんなに一緒にいるのになんで分からないの?」みたいに思ってしまうんですよ・・・。

旅って宿のチェックや観光の情報収集など、けっこうルーティンワークなんですよね。だからお互いやることは分かっているんです。すると、お互いに「相手がやっていくれているだろう」とか思ってしまうんですよ。でもやっていなかったりして、そこでイライラしたり・・・。まぁ言ってしまえば相手への甘えなんですよね・・・。

サホ:私たちはけっこう節約旅をしているので、水1つ買うのにも気を使います。そこで私が「水を買いたい」となった時に、彼は「宿はすぐそこなのに、今買わなくてもよくない?」となったり・・・。本当に小さな話なんですが、ずっと一緒にいるともめたりすることはありますよ。


Q4:そうなりますよね、やっぱり。でも「もめられる」っていうこと自体が僕には羨ましいですよね・・・。ルートについては大丈夫なんですか?

A4:それは大丈夫なんですよ。ほとんど僕が決めて、それに彼女が合わせてくれる感じですね。


Q5:なるほど、それは大事なところですね(笑)。では2人で旅をしていて、一番よかったところは何ですか?

A5ルイ:マレーシアにプルフンティアン島というところがあるのですが、僕たちはけっこう綺麗な海は見てきたんですね。しかもマレー半島から船で30分ということだったので、全然期待していなかったんです。

ところが!行ってみてビックリしましたね!本当に綺麗で、しかも物価も安いし・・・。2人のテンションが一番上がった時かもしれません(笑)。

サホ:私はミャンマーのバガン遺跡で一緒に朝日を見られたことが最高でした。私は遺跡を見ながら音楽を聴くのですが、その音楽を彼と一緒に聴きたいと心から思いましたね。2人で来ることが出来て本当によかったな~と・・・。


Q6:いや~なんて言い話や!羨ましい!他の夫婦がもし一緒に旅をしたいと言っていたら、やはり勧めますか?

A6:サホ:そうですね、やはり勧めますね。

ルイ:僕も勧めますね。でも、その他の問題も指摘するかなぁ・・・。

実は僕らが知っている旅人夫婦にも、旅の途中や旅の後に分かれてしまった夫婦がいるんです。下らないことで喧嘩もたくさんするし・・・。一緒に長くいるが故に起こる問題もあるわけですよね・・・。


Q7:なるほど、それは口にはしたくないですけど、重要な話ですね・・・。そんな現実があることも知っておくべきですよね。では最後の質問なのですが、最近内向き内向きと言われている日本の若者に、ぜひお2人からメッセージをお願い致します!

Q7サホ:最初は世界一周に出るなんてことは、まるで宇宙旅行をするような気持ちだったんです。でも最初の一歩を踏み出すことで、それは出来ることだと分かりました。

まずは「最初の一歩」ですよね。その一歩を踏み出せば、必ず同じ気持ちの人がいます。実際に経験している人がいます。それに触れることで、私たちにも出来るんだなって分かりました。「興味があるなら一歩踏み出せ!」ですね。

ルイ:僕は昔から地図を見るのが好きで、トイレの便座の前に世界地図を張っておいたんです。

それをよく見たら、首都は赤い丸で囲まれているんですよね。そして自分の住んでいるところが赤丸で囲まれていることにふと気付いたんです。

僕は考えたんですね、この点の中にいることがもったいないと!メッセージというわけではないのですが、僕の考えを1つ参考にしてもらえたらと思います。



この旅の中で何組もの長旅ご夫婦にお会いして来たが、これほどまでに仲良く温かく旅をされているお2人もなかなかいなかった。たまたま共有スペースで一緒になったので話し掛けたのだが、本当に僕は素晴らしい時間を過ごすことが出来た。

そんな穏やかなお2人であるが、大きな力強さも感じた。そして僕は羨ましくて仕方なくも感じた。こんなに「楽しく仲良く気持ちよく」旅をされている夫婦なんてなかなか出会えるものではないからだ。

ご夫婦、あるいはカップルで旅をすることを夢見ている日本の方も少なくないのではないかと思う。しかし「最初の一歩」が踏み出せればそれは出来る。

旅をしていると「それは大変だよなぁ」ということをなされている人がたくさんいる。でも世界には、それを実行している人が実際にいる。そんな行動力がありつつも、こんなに温かいお2人に出会えたこと・・・。これは僕にとって、この旅の中の大きな財産である。

お2人の旅はまだまだ続くという。これからの更なる「楽しく仲良く気持ちのいい」旅を心から願わずにはいられない。

ルイさん、サホさん、お忙しい中ありがとうございました!カズベキの旅も最高に楽しかったです!これからもお気を付けて旅を続けて下さい~!

2014年5月10日。相変わらずの飲み放題のワインが止まらない、トビリシの安宿にて。



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ふじもん世界放浪「放学記」第7章アジア編 ハンガリーの悪夢再び?グルジア・ハマムの恐怖事件簿!

2014-05-08 19:04:13 | 日記
2014年5月8日。

※これが今回の事件現場となったハマム。温泉自体は気持ちよかったのだが・・・。

《ちょーしこいてもよかですか?僕ね、モテるんですよ。頼んでもいないのにどんどん近寄ってくるんですよ。ホントにもうモテる男はつらいですよ・・・!》

僕はハンガリーの温泉を忘れない。

僕の目の前でとんでもない所業を始めやがったあのおっさん。

そう、あれはまさに悪夢だった・・・。


※詳しくは、ぜひこちら↓のブログをお読み下さい~!
http://blog.goo.ne.jp/team-nondakure/e/dc77eaa0f255a123154276a479badd02


でも僕は日本人だし、温泉が大好きだ。その国のその街に温泉があれば、やっぱり行きたくなる。

そしてこのグルジアの首都トビリシにも、ハマム(公衆浴場)がある。

となればやっぱり行きたくなる!よし、んじゃ行ってみっか!となる。

ということで、市内にある温泉に行ったのだが・・・はい、そうなんですよ。僕ね、やっぱりモテモテなんですよ・・・。


ここの温泉はトルコ式の浴場のように腰巻をすることもなく、全裸で入る。まぁ日本の温泉とまったく同じような環境だ。

ザバ~ンとお湯に浸かり、プハ~と一息つき、そして次に行く場所と言えば・・・そう、やはりサウナ!

ということでサウナに向かったのだが、そうなんですよ、またこのサウナで悲劇が起きてしまったんですよ・・・。


サウナには誰もいなかった。

僕は適当に空いているところに腰掛け、1人サウナを楽しんでいた。

2~3分後だったろうか、1人の男性が入ってきた。大きくて毛深いその身体、いかにも「グルジア人」という感じの男性だ。

そして僕の顔を見ると「チャイナ?ジャパン?」と聞いてきた。当然僕は「ジャパン」と返す。

するとそのおっちゃんは嬉しそうに「オー、ジャパングッド!」と握手を求めてきた。それだけだったら良いのだが・・・。

なんとそのおっちゃん、僕のすぐ横に座り、肩まで組んできたのだ。もちろん僕らは真っ裸!これはさすがに気持ち悪い!


頭にあるシーンが甦った、それはあのハンガリーでの温泉の悪夢。

「なんということか、このおっちゃんもその類なのか?どうして俺はこんなにモテるんだ?」

英語はまったく通じなかったので、こちらの言いたいことは伝えられない。でもとにかく「近付き過ぎだよ、ちょっと離れてくれ!」と力強く伝え、僕は席を移動した。

しかしだ・・・。

そのおっちゃん、僕に立て続けに質問を続けてきては隣に座ってくるのだ。

「ジャパン、トーキョー?」「トヨタ、グッド!」などと僕に話し掛けながら、またこれでもかというくらい近い位置に座ってくる。

そしてそのたくましい腕で、僕の肩に手を回してきた!

汗だくになったその腕が、その大きなお腹をした身体が、僕の身体に密着する。これはもう最高に気持ち悪い!

でもおっちゃんは最高の笑顔だ。もう何だか分からないけど、嬉しくてしょうがないらしい・・・。

も~あかん、これはある意味ハンガリーの時よりもヤバイ!こんなガタイのおっちゃんに本気出されたらマジでやられてしまう。マジで男として大事なものを失ってしまう・・・!

さすがに僕も叫んだ。「Don't touch!」と!

マジで身の危険を感じたので、速攻でサウナを出た。そして再び湯船に浸かり、僕は早々にハマムを後にした・・・。

※このハマムを上から見るとこんな感じ。いいですよね!



そして考えた。

「何故俺にたくさん寄ってくるんだ?」と。

それは僕個人の見た目の魅力なのか?それとも日本人だからこそなのか?だとしたら、日本人にはそうやって大胆に迫ってもいいと思われているってことなのか?でも全ての日本人が迫られるわけじゃあもちろんないし、となるとやっぱり僕個人の問題なのか・・・?

その答えは分からない。でもいずれにせよ、やっぱり僕はモテるようだ。

水を飲もうとバッグの中からペットボトルを取り出す。そしてふと思い出した、このバッグの奥にはアフリカの国境で配られていたコンドームが入っていることを・・・!

ハンガリーの時と同じだ、急にまたコンドームの存在感が増してきた。

そして僕は願った。「ああ神よ仏よ、どうか『そんな形で』このコンドームのお世話になんてなりませんように・・・!」


2014年5月8日。昨日のワインの飲み過ぎで久し振りの二日酔いに苦しんでいる、トビリシの安宿にて。



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ふじもん世界放浪「放学記」第7章アジア編 シリア難民の今を知る。トルコ~シリア国境レポートvol,2

2014-05-07 00:52:18 | 日記
2014年5月6日。

《ということで・・・「シリア難民キャンプレポート」前回の続編でございます。どうぞよろしくお願い致します!》

とても優しそうな目をしたおっちゃんが僕に力強く言った。

「コンテナキャンプ?大丈夫、ノープロブレムだよ!」

でも実は、僕はネットで調べていた。トルコのシリア難民のキャンプは管理が非常に厳しく、ジャーナリストさえも敷地内に入ることは出来ないと。

それだけは知っていたので、僕はちょっとだけ恐れていた。が、キリスの街のあまりの穏やかさと人々の優しを感じていた僕は「あわよくば中に入れたりしちゃうんじゃないかな~」などと、楽観的に考えていた。


そんな複雑な気持ちを抱えながら、僕はバスに乗り込んだ。おっちゃん曰く、キャンプまでの所要時間はたったの10分。キリスの市内からは見えないが、きっとすぐそこにテントが建ち並ぶキャンプがあるのだろうと僕は思っていた。

そう、それはトルコ国内に・・・。


キリス市内を抜けるとその道は、ただひたすらに一直線だった。そして路肩には何故か大量のトラック停まっている。その理由は後で分かるのだが・・・。

※停車しているトラックと、シリアから逃れてきた難民たち。


バスに乗ること約10分、大きなゲートが見えてきた。英語表記がないのでそれが何を意味しているのかは分からない。「何のゲートだろうな~」と考えていると、運転手が僕に言った。

※これがそのゲート。トルコとシリアの国境である。


「シリア、シリア!」

なにぃ、シリアだと?それはアカン、それはいくらなんでも危険や!なんだよおい、コンテナキャンプってトルコ国内じゃないのか?まさかシリア側のキャンプのことだったのか!てことはあのゲートはシリアとの国境か・・・こりゃヤバイところに来ちまったぜ・・・!

その時初めて分かったのだが、そのバスはシリアとの国境とキリス市内を往復するバスだったのだ。そして路肩に停まっている大量のトラックは、シリア国内への入国を待つトラックなのである。

「なんてこった、いくらなんでも国境に来る気はなかったぞ・・・。さすがにそれは危ないんじゃないのか・・・?」

更なる複雑な心境を抱えながらも、もうここまで来てしまったからには仕方ない。行くしかねぇ!僕は腹をくくって国境の手前でバスを降りた。

のだが・・・そこはキリス市内と同じく、意外なまでに穏やかだった。確かにひっきりなしにシリア人は往来しているし、キリス市内に向かうバスも大混雑だ。だけど不思議なことに、戦火を逃れて絶望に伏すような人々など1人もおらず、みんなまるでいつもの通りの日常を過ごしているかのような様相だった。

※驚いたことに、国境にはチャーイ屋やケバブ屋などお店がいくつか開かれていた。


そんな不思議な光景を眺めながら僕が立ちすくんでいると、1人のシリア人の青年が話し掛けてくれた。


「コンテナキャンプ?この向こうだよ、白い家が見えるでしょ?でもポリスがいるから、ポリスの許可を取らないと中には入れないと思うよ。」

※あの壁の向こう側はシリア。難民キャンプは壁の向こう側にあるという。


そりゃそうだ、「ご自由にどうぞ」のわけがない。しかもそこはシリア側。ダメで元々、負けて当然、僕は思い切ってゲート前にいるポリスに話し掛けてみた。

「僕は日本からやって来ました。シリア難民の現状をこの目でぜひ見て勉強したいんです。中に入ることはできないでしょうか?」

みたいなことを言ってみたが、答えは当然「ノー!!!」ほとんど聞く耳を持ってもらえず、追い払われてしまった。まぁ当然だ。

でもこれは想定内のことなので問題ない。僕は国境付近に集まっているシリア人の取材をしようと決めた。そして屯しているシリア人たちの輪に近付いて行ったのだが・・・。

※国境に集まっているシリア人たち。



ここでもシリア人の明るさと人懐っこさに僕は驚かされた。

「なんでこんなところに東洋人がいるんだ?」とばかりに、次から次へと僕に話し掛けてくる。そしてチャーイ(お茶)はくれるわビスケットはくれるわ、彼らは皆「難民」で本当に苦しい立場のはずなのに、突然現れた日本人の僕にとても優しく接してくれるのだ。

ヨルダンで訪れたザータリ難民キャンプでも同じだった。一体シリア人とはどういう人たちなのだろう。僕はその温かさに本当に心を打たれていた。

そして仲良くなると、彼らは色々な現実を話してくれた。

「俺の弟は撃たれて死んだ。家族はまだシリア国内にいるんだ。。」

「アサドはクソッタレだ。彼らは道端で処刑をしている。」

「彼の足を見てみな。彼は2発足に銃弾を受けたんだ。」


その話を、僕はどういう心境で、そしてどういう目をして聞くべきなのかが分からなかった。シリア人の人柄なのだろう、みんな淡々と話をしてくれる。しかしその内容はあまりにも重く、そして悲しみに満ちている。でも彼らは誰1人として涙を流すこともなく、淡々と僕に伝えてくれた。

「僕は日本から、あなたたちの現状を知るために来ました。日本では毎日のようにシリアのことが報道されています。僕はあなたたちと話したことを日本に伝え、そして1日でも早くシリアに平和が戻ってくることを祈り続けています。」

僕に色々な話をしてくれた初老の男性の手を握りながら、僕が遊びでここに来たのではないこと、そして日本の人々にシリアの現状を少しでも伝えることを約束した。彼はその堀の深い顔で大きくうなずき,、「サンキュー、サンキュー」と何度も言ってくれた。

その顔には、その笑顔の奥には、今そこにある悲しい現実が滲み出ているような気がした。

※バスを待つシリア人の夫婦。


そう、ここはシリアとの国境。数キロ先では激しい銃撃戦が行われているのだ。僕はそのことに改めて思いを馳せ、キリスへと戻ろうとした・・・のだが!


そう、そうなんです。ここで終われば良い話で終わりですよね?違うんですよ、ここからが大変だったんですよ・・・!


恐れていたことが起きてしまった。

それはまさに、キリスに戻るバスに乗ろうと思っていた矢先のことだった。

恐れていたこと、それはある人たちの登場である。誰かと言えば、それはトルコの軍警察!けっこうな長時間に渡って東洋人が国境付近をウロウロしていたのだ、そりゃ怪しい。どう見ても怪しい。そりゃ当然声を掛けてくるわな・・・。

「Where are you from?」から始まり、

「オマエ何しているんだ?目的は何だ?パスポートを見せろ。」となり・・・。

「ちょっと中に来いや。」となってしまった。

そう、僕は軍警察に拘束されてしまったのだ。シリア側にある事務所みたいなところに連れていかれた僕は、次から次へと色々と質問された。

でも、それは当然の結末だ。観光客が絶対に近付いてはならない今のシリアとトルコの国境付近で、怪しさ満点の東洋人がうろついていたのだから。拘束されるなんて然るべき結果なのだ。むしろ質問攻めだけで終わったのだから、ラッキーだったのかもしれない。

しかも最後はちょっと仲良くなってしまい、チャーイまでいただいてしまった(笑)。ということで結果オーライではあるのだが、さすがにマジで焦りました・・・。

約1時間くらいだっただろうか、僕への尋問は終わり、無事に釈放された。事がこうなってしまった以上、これ以上国境にいるのはちょっとヤバイ。僕は急いでバスに乗り、キリスへと戻ったのだった・・・。

※シリア人はIDカードを提示すれば、このゲートを自由に行き来できる。


シリアでの戦闘は今なお続いている。

世界のどこかで、今でも戦争は起き続けている。

その現実を、日本という国に住む僕たちはどう受け止めたらいいのだろう。

ちっぽけな僕なんかには全然分からない難問を1人考えながら、僕はキリスでシリア人のおっちゃんにボーズにしてもらった・・・(笑)。

2014年5月6日。夕食付&ワインが常時飲み放題という神のようなグルジアの首都トビリシの安宿にて。



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ふじもん世界放浪「放学記」第7章アジア編 シリア難民の「今」を知る。トルコ~シリア・国境レポート!

2014-05-05 17:42:56 | 日記
2014年5月5日。

※ガディアンテップからキリスに向かうバスの中で出会ったシリア人青年が見せてくれたシリアの紙幣。彼は紙幣に描かれたアサド大統領に向かって、その恨みを口にしていた。

《僕がトルコに来た一番の目的。それはカッパドキアでもパムッカレでもなく、トルコに逃れてきたシリア難民の現状を少しでもこの目で見ることだった。そして僕はシリアとの国境に程近い街、キリスへと向かった。》

情報は全然なかった。

色々なトルコ人に聞いてみたが、「このあたりにたくさん逃げてきているよ」というようなアバウトな情報しか手に入らず、具体的には情報は何もなかった。

ネットでも色々調べてみたところ、トルコ南部の街ガディアンテップから南にさらに下ったところにあるキリスという街に、たくさんのシリア人が逃れてきているというような話があった。

具体的な情報は何もない。キリスという街がどのくらい危険なのかも分からない。ただ1つ確かな情報は、日本の外務省の海外安全ホームページによれば、キリスのある地域は「渡航延期勧告」が発令されているということは間違いなかった。

※キリス行きのバスの中でメッチャ僕に話し掛けてきたシリア人青年。



とにかく僕はガディアンテップまで行き、そこで情報を得て動きを決めようと思った。

カッパドキアを後にし、僕は一路バスに乗りガディアンテップに向かった。

早朝ガディアンテップに到着した僕は、とにかくバスターミナルにいるおっちゃん達に「キリスには行けるの?」と聞いてみた。

すると、どの人からもあっけない返事が・・・。

「キリス?そんなの15分おきにバスが出てるから、それに乗っていけばいいよ。」とのこと。

もちろん僕は「キリスは危なくないの?シリア人がたくさん逃れてきている場所ですよね?」と聞いてみたのだが、みんな揃って、

「ノープロブレム!」

キリスに向かうバスには、どこからどうみても普通の人々がたくさん乗っている。確かに危険な雰囲気ではない。

それを見て、僕は決めた。キリスまで行ってみようと。

※キリスのバスターミナルにて。一緒にバスに乗っていたシリア人のおっちゃん達と。



バスに乗ることおよそ1時間半。バスはキリスにあるバスターミナルに到着した。しかしそのバスがターミナルに到着する前から、僕のシリア人への取材は始まっていた。いや、正確に言うと、始めさせられていたのだ。

どういうことかと言うと、そのバスに乗っていたのはほとんどがシリア人だったのだ。そして東洋の顔をした僕のことをみんなが凝視し、次から次へと質問をしてくるのだ。

しかしそれはアラビア語のみの質問で、英語を話せる人も誰一人としていなかった。も~何言っているのかサッパリ分からん!でもそんなのお構いなし、みんな寄ってたかって僕に話し掛けてくる。

僕はヨルダンでもシリア人の難民キャンプを訪れて来たが、シリア人というのは本当に温かくて人懐っこい。彼らは戦火を逃れて遠く離れた場所まで逃げてきているというのに、まるでそんなことを感じさせない。僕はそんな「シリア人」という人々に、とても関心を抱いていた。

※大きな荷物を抱えて移動するシリア人たち。



彼らと色々話した末に、バスを降りる。

そこで僕は初めて、このキリスという街が「シリア人が逃れてきている街」だということが分かった。

バスターミナルに群がる大きな荷物を抱えた人々。ほとんどが、シリアからの難民だという。トルコよりも遥かに厳格なイスラム教徒が多い国シリア。女性の多くは真っ黒なアバヤで全身を包んでいる。ついさっきまでいたガディアンテップには真っ黒なアバヤなどほとんど見なかったのに、キリスに着いた途端、その様相は一変したのである。

バスターミナルに着いても、みんなが僕のことを凝視してくる。そりゃそうだ、今ここは観光客が来るようなところではない、「退避勧告」が発令されているような場所なのだ。外国人と思しき人間は、どこをどう見ても僕しかいなかった。

だからと言って身の危険を感じたかと言うと、それは全くなかった。そこがアラブ世界の不思議なところで、イスラムの教えを厳格に守る彼らは、外国人には基本的にとても優しい。ちょっとだまくらかしてやろうか・・・というような輩はいるが、強奪をされるような危機感はまず感じない。

※バスターミナルの前では、いくつものリヤカーが往来していた。



キリスの街を歩く。

そして人々を見る。

イスタンブールや大観光地のカッパドキアなどとは、全く異なる街並みがそこには広がっていた。

そう、まるで突然ヨルダンに戻ってきたかのような、そんな雰囲気だった。

僕は色々な人に話し掛けてみた。もちろん英語はほとんど通じないが、たまに少し話せる人がいるので、何とか少しずつ情報を得てみる。すると・・・。

街中の半分くらいの人は、シリア人だったと思う。

よく誤解されているのだが、日本人は「難民」と聞くと、全員がテントやバラックの小屋に住んでいると思っている人が多い。しかし現実はそうではなく、普通の街中に住んでいる人の方が多いのである。このキリスも、もはや「シリア難民の街」になりつつあるようなのだ。

※まるでヨルダンやエジプトの田舎を思い出させる、キリスの街中。



不自然なほどに穏やかだった。

数キロ先はシリアとの国境であり、その先では今も激しい戦闘が行われている。そんな危険地帯の最前線なのに、キリスの街は驚くほど静かで穏やかだった。確かに慌ただしく大きな荷物を抱えたリヤカーが行き来はしているものの、人々が危機感に包まれている雰囲気はない。そんな不思議な場所だった。

※難民が集まっているとは思えない、穏やかな市場。



そして、僕は密かに考えていた。

「出来ることなら、キリス周辺にあるという難民キャンプにも訪れてみたい」と。

僕は優しそうなおっちゃんを選んで、何人かの人に聞いてみた。もちろん英語は通じないのでテントやコンテナの絵を書いて、ここに行けるかどうか聞いてみたのだ。

すると・・・。

「ああ、コンテナキャンプか。あのバスで行けるよ。10分くらいかな?」というのだ。

もちろん僕は一応「危険じゃないの?大丈夫?」と確認する。するとみんな、

「ノープロブレム!」


僕は決めた。「よし、コンテナキャンプまで行ってやる。そこでもっとリアルな現状をこの目で見よう。」と。

僕は言われた通りのバスに乗った。そしてそのバスが向かった先は・・・そこからが、この取材の本当のドラマだった・・・!

※「ここエジプトだよ」と言ったら間違えてしまいそうな、キリスの街中。


※珍しく2部編で。続きは次回です、よろしくお願い致します!

2014年5月5日。日本のゴールデンウィークのような爽やかな気候が心地よい、トラブゾンの安宿にて。



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ふじもん世界放浪「放学記」第7章アジア編 Friends of 中国 in Kappadokya!俺らはきっと仲良くできる!

2014-05-05 02:40:18 | 日記
2014年5月4日。

《トルコ一の大観光地、カッパドキア。素晴らしい景色や遺跡など、もちろんカッパドキアそのものも楽しかったのだが、それ以上に僕は「人」を楽しむことが出来た。それも最近話題の中国の人たちと・・・!》

「国家と人々は違う。」僕は常々そう言ってきたし、もちろんそう思っている。

そう思ってはいるが、実際の僕はそうではなかったことを改めて気付かされた。やはり心のどこかで、最近のニュースに魂は引っ張られていたのだ。

僕はカッパドキアであるツアーに参加したのだが、そこには数人の中国人がいた。その中の1人の中国人に、今までにない中国人がいた。

彼は僕が日本人だと分かると、ずっと僕に色々な話をしてくれたのだ。それは反日的なものでは一切なく、逆に日本人を称賛する話ばかりをしてくれたのだ。

彼の名前はジェンくん(仮名)。現在はロンドンに住んでいるという青年だ。その彼は、僕にとても興味深い話をしてくれた。その話を聞いていて「お、これはぜひブログで色んな方々と共有したい!」と思い、僕は今回の記事を書くことに決めたのだ。

ちなみに日本人である僕に対して、この写真に写っている全員が温かい接し方をしてくれた。たった4人ではあるけれども、誰一人として嫌な態度を取る人はいなかったのだ。そのことは客観的に見ても興味深いし、僕という個人的な見方としてもとても気持ちの良いものだった。

では、その中でも一番僕に色々話をしてくれたジェンくんの話の一部を紹介したいと思います!以下の話は、ジェンくんが言ったことをそのまま紹介しています。

※カッパドキアの岩窟教会の前で一枚~!


衝撃的だったジェン君の話:NO,1「ロンドンでたくさんの日本人と出会って初めて分かったんだけど、日本人は素晴らしいね。」

彼は中国本土の出身だが、ロンドンに行くまで日本人と接したことはほとんどなかったという。そしてロンドンで初めて多くの日本人と接してみて、日本人の振る舞いや態度に感心したという。

彼が特に強調していたのは、日本人の「清潔さ」と「礼儀正しさ」だった。彼はこう言っていた。

「日本人は必ず自分の食べたお皿などは片付けるし、身の回りのものはいつも清潔に整理整頓している。とても丁寧だし、礼儀正しい。中国人とは全然違うよ!(笑)とてもビックリしたんだ。」

さらに、こうも言っていた。

「知ってる?イギリス人は日本人のことがとても大好きなんだよ。日本食のお店や日本人向けのデパートなどもたくさんあるし。最初はその意味が分からなかったけど、後になって僕も分かってきたよ。」

嬉しいですよね、単純に。そしてそのときジェンくんと接してくれた日本人も、きっと素晴らしい日本人だったのだろう。僕が何かをしたわけではないのに、なんだかすごく嬉しくなってしまった。


衝撃的だったジェン君の話:NO,2「僕は中国の教育で、特に先の戦争のことにおいて日本人は悪いとばかり教わっていた。でも実際に日本人と会ってみて、それは違うと分かったんだ。」

これには色々な衝撃が僕にはあった。

日本の報道でも中国や韓国は反日教育を続けているとよく言われているが、日本に住んでいる僕たちにはそれがどこまで本当で、またどの程度の反日教育なのかを知る術はなかなかない。僕自身も「一体どこまでが真実なのだろう?」という想いはずっとあった。

だから、ジェンくんの一言は僕には大きかった。そして僕は彼に「実際にはどんなことを教わってきたの?」と聞いてみた。すると・・・、

「あの戦争で、とにかく日本人は悪いことをしたんだとばかり教わった。そしてだから日本人はダメな民族なんだと。でも会ってみたら全然違ったんだ。」

これには悲しさと嬉しさが同居する。やはり行われている反日教育への悲しさと、実際の日本人は違うんだと分かってくれた嬉しさ。この話を聞いたとき、僕のここには複雑な感情が生まれたのを覚えている。


衝撃的だったジェンくんの話:NO,3「反日のデモに参加しているのなんて、ごく一部の人だよ。日本の自動車を叩き壊したって何の意味もない。」

多くの日本人が、反日デモに参加しているような中国人は一部の人であると願っていたのではないだろうか。そして実際にそうであると中国人の青年の口から聞けたことは、僕としてもなんだかすごくホッとしたような気持ちになった。

そしてジェンくんはこうも話していた。

「日本製品を壊したって、その品質の高さは疑いようがない。そして僕たち中国人の選択肢には、たとえばカメラなら、キャノンかソニーかニコンしかないのだから(笑)。トヨタの自動車を壊しながらキャノンのカメラで写真を撮っているんだから、どうしようもないよね。」

僕はこの話に衝撃を受けた。何故なら、キャノンのカメラを片手に日本の自動車を壊す人の写真が日本のニュースで報じられていたのをハッキリ覚えているからだ。だからそれと同じ話が中国人の口から聞けるとは思っていなかったので、非常にビックリしたのだ。

※5人一緒にカッパドキアの地下都市を巡ったのですが、とにかく観光客が多くて死にそうでした~・・・。


この日のツアーが始まってすぐジェンくんとは仲良くなり、色々な話をした。もちろんカッパドキアの景色や地下都市なども大いに楽しかったが、僕にとってはジェンくんとの「リアルトーク」の方が何倍も楽しかった。

そして僕はハッと気付かされたのだ。

僕はそういう気持ちを持たないように努めてきたつもりだ。だけどやっぱり、僕の心は「報道ごときに左右されていたのだ」と。

反日の報道がたくさんあり、それに乗じて「反中・反韓」の報道も多くなる。それを見ていると、やっぱり心のどこかに「反中・反韓」の感情が芽生えてしまう。

するとどうしても、そういう目で中国人や観光人の旅人や観光客を見てしまう。そういう気持ちを持たないように・・・と思っていても、そういう気持ちを大いに持ってしまっていた自分に気付かされた。


「国家と国民は違う。」でも「国家が国民に与える影響は、多分に大きいのだ。」それを改めて感じた。


ジェンくんは本当に大切なことを僕に気付かせてくれた。そして本人も語ってくれた。

「対立しているのは国家。人々は対立なんて望んていない。だから僕らが良い友達になるのは難しくないよ!」


ちなみにこの4人の中国人のうち、なんと3人が日本に旅行に言ったことがあるという。そして3人とも、日本のことをとても良く思ってくれていた。もちろん実は悪く思っていたとしても僕の前だから言えなかったのかもしれない、という詮索も出来てしまうが、彼らの話し方から僕が感じたところでは、本当に好意的に思ってくれているような気がした。

さらに、これはまぁ微妙な話なのだが・・・。1人のイギリス人がおばあちゃんが僕たち5人を見て、誰がどこの国の人かを当て始めたのだ(もちろんただの遊びで)。すると女性ふたりは日本人だと予想したのだが、その時の2人の反応が僕には意外だった。

2人とも、笑顔で「thank you!」と言ったんですよね・・・。

日本人と言われて、全然嫌な様子ではなかった。つまりここで考えてみたいのは、若い中国人の中には本当はどういった日本への感情があるのかということだと思う。

※このツアーでは、とっても愉快なトルコ人も一緒でした。トルコ人とも「民間交流」たくさんしてきましたよ~!(笑)

いずれにしても、僕は改めて悟った。

「国家と国民は違う。」

もちろん国民が国家の運営者を選んでいるのだから(現実的には中国は違うわけですが)違うわけはないのだが、でもやっぱり違う面はある。

よく「国家の対立はあっても、民間の交流は大切にしましょう」と言われるが、きっとそれは間違いない。いや、民間の交流こそが、国家の関係までをも変えられる力がるのではないだろうか。

「民間の交流。」それはたとえば、大きなNGOなどでなければで出来ないというものではない。

今の僕で言えば、各地で出会う全ての国の方々と誠実に接すること。それが何より大切な、今の僕に出来る「民間の交流」だと思っている。


僕は本当にジェンくんとの、そして他の3人との中国人とのご縁に感謝をしている。そしてこのご縁は、僕に何かのメッセージがあるのだと思っている。

そのメッセージをしっかりと心で受け止め、そしてどう振る舞うかは、そう。僕次第なのだ。


2014年5月4日。久しぶりのシングルルームでちょっとノンビリしている、トルコ北東部のトラブゾンの安宿にて。



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