2018年4月29日(日)
門司の施設で療養中の兄(三男)が昨夜遅く亡くなりました。S10年生れです。
近くにいるその上の兄(次男)87歳がなにかとお世話していました。
1昨日、まだ今だったら、私や姉のことを認知できると思うので 帰ってこれないか
と電話が来たばかり。連休明けぐらいなら何とかなるかと考えていたのですが。
間に合いませんでした。
兄は長年東京で暮らしていて、晩年はいろいろな事情で家族と離散してしまい
とても不運なことが続いていました。
でも門司の兄が親のいない今自分が守ってやりたいと北九州の施設で暮らせるよう
千葉に新居も構えていたのですが 引き上げさせてここ数年お世話していました。
年に1-2回私と次姉も兄の面会によばれて、ホテルに連れ出して1泊して食事を
したり、ドライブしたりもしました。次兄はバイオリンを、私はアコ持参で施設
の慰問も3回しました。
この頃の兄は施設の人気者で、皆さんのお世話もできたし、ハーモニカで
演奏して最後はうるさがられたようですが、楽しい世界を持っていました。
上の兄が自分の体もままならなくなっても本当によく通ってくれたようで
三兄はある意味幸せでした。
最後の別れに出かけてまいります。
明日には初七日も精進おとしも全て済ませます。
兄は5年前岐阜の願了寺でお剃刀の義も済ませ戒名もいただいて、
納骨堂も住職と同じ場所に買い求めております。
その住職から今電話があり、ゴールデンウイークで新幹線も取れない
自分のお寺の法事がいくつか入っているので葬儀に行けない。
自分の親しい行橋のご住職にお願いしたので、49日には自分が出向いて
法事を執り行い、お骨を持って帰ることにしたとのことでした。
私より5歳下の譲さん〈ゆたか)私が高校のときいつも叔母の家にとめてもらい
一緒にかまの飯を食った間柄です。
兄はすべて自分の年金で あまり不自由せずに晩年を過ごしたのでは
ないかと思います。
身内のことをこうして綴るのは辛いものがありますが、日記ですので
書き残しておきたいと思います。
兄の安らかな旅立ちを願って・・・ 5つ違いの妹 チトセ
追記
この続きに書くのはためらいがありますが。川柳まだの方
コメント欄によろしくお待ちしています。火曜の夜には帰ります。