三角兵舎明日なき鳩を語り継ぐ・こわいをしってへいわがわかった

2022-08-01 | 日記

2022年8月1日(月)本日2度目です

明日はてんがら川柳 2日10:30-11:30

今日はてんがら川柳

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この後に紹介する詩を詠んだ7歳の徳元穂菜さんが 鶴瓶さんの
家族に乾杯に登場しました。素晴らしいご一家でした。
 
今日私が伝えたいぴったりのメッセージ、急いでネットで見つけました。

 沖縄全戦没者追悼式では、沖縄市立山内小学校2年の徳元穂菜(ほのな)さん(7)が自作の平和の詩「こわいをしって、へいわがわかった」を朗読した。

 宜野湾市の佐喜真美術館を家族と訪れ、丸木位里(いり)、俊(とし)夫妻が1984年に制作した「沖縄戦の図」を目にした徳元さん。集団自決や戦場を逃げ惑う人などが描かれている絵を見たときの思いを詩にした。

 追悼式の会場近くにある「平和の礎(いしじ)」には、徳元さんの曽祖父の名前がある。「天国にいる大きいおじいちゃんにも届きますように」との願いも込めた詩に、会場は拍手に包まれた。全文は次の通り。

 

こわいをしって、へいわがわかった

 

びじゅつか

んへお出かけ

おじいちゃんや

おばあちゃんも

いっしょに

みんなでお出かけ

うれしいな

 

こわくてかなしい絵だった

たくさんの人がしんでいた

小さな赤ちゃんや、おかあさん

 

風ぐるまや

チョウチョの絵もあったけど

とてもかなしい絵だった

 

おかあさんが、

七十七年前のおきなわの絵だと言った

ほんとうにあったことなのだ

 

たくさんの人たちがしんでいて

ガイコツもあった

わたしとおなじ年の子どもが

かなしそうに見ている

 

こわいよ

かなしいよ

かわいそうだよ

せんそうのはんたいはなに?

へいわ?

へいわってなに?

 

きゅうにこわくなって

おかあさんにくっついた

あたたかくてほっとした

これがへいわなのかな

 

おねえちゃんとけんかした

おかあさんは、二人の話を聞いてくれた

そして仲なおり

これがへいわなのかな

 

せんそうがこわいから

へいわをつかみたい

ずっとポケットにいれてもっておく

ぜったいおとさないように

なくさないように

わすれないように

こわいをしって、へいわがわかった

 

村中好穂曲 阿部静穂詩 18才のころ覚えた歌

プーチンさんへ ☝

 

朝ドラも、沖縄戦の悲惨さを伝えています。

今夜10時に ちむどんどんの関連番組です。

8月は一緒に平和について考えませんか?

 

あすはてんがらもん川柳の放送日です。

もう一つのブログです

うたごえ喫茶「ともしび」鹿児島に。腹いっぱい歌って食べて。城山観光ホテルにて

 

 


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あの日の青い空を・命ほど重たいものは他になし

2022-08-01 | 日記

8月1日(月)

8月は平和を考える月、皆さんとともに、核のない戦争のない

世界を。黙っていては申しわけない。せめて思いを伝え

会いましょう。

あの日の青い空を、まついのりこさんを偲びながら

2017-08-04 | 日記

8月5日(金)5865歩 5年前のブログです。

今年2月亡くなられたまついのり子さん(絵本・紙芝居作家)

その著書「あの日の空の青を」の最後の章に書かれた一文を

ここに転載させていただきます。生前私がこの本をプレゼントされて

深い感動を伝え、10冊ほしいが書店にない事を手紙で伝えたとき、すぐに

10冊送ってくださいました。

そして私がその一文を紹介することも許していただきました。

 

 

 

あの日、空は限りなく青かった。美しかった。

1945年8月15日、敗戦したことを知った正午過ぎ、11歳の

私は縁側で空を見つめていた。

あの日までの日々、私には色がなかった。ただ一つ、こび

りついているのは焼夷弾の火に囲まれた時の炎の赤、それ

は色ではなく凍り付く恐怖そのものだった。

60年前の8月15日、私の中で色がよみがえった。

 10月9日、雨が降っていた。この日は戦争に反対したため

捕らえられた

父が政治犯釈放で帰ってくる日だった。父が1年7ケ月ぶり

に戻ってくる。

その時間が一刻一刻近づいていた。私は玄関の横の小屋

から外の格子戸を息をつめるようにして見つめ続けた。

植込みのヤツデの葉から雫が一滴一滴落ちた。

一滴一滴が時間を刻んだ。一滴一滴が命あるようにきら

めいて私の心に落ち続けた。美しかった。

その雫は今も私の心の中にあって透明にきらめいている。

 

 誰もが持つ人生の「あの日」

 生きて居ることが凝縮し、

 生きることの意味を示してくれる「あの日」。

 私は「あの日」を勇気づけ、次の一歩としてくれるために

 なんと多くの人々、子どもたちがいてくれたことでしょう。

 だからこそ、私はあの戦争が終わった日

 — 命と平和への希望が芽生えたあの日の空を

 心の空として歩くことができたのです。

 あの青い空を、さらに深く美しく輝かせることを

 求めることができたのです。

 今、そのたくさんの人たち、子どもたちに

 言い尽くせぬ感謝をささげます。

 そして私は信じます。

 次の世代に、あの青い空が引き継がれていることを。

                    まついのりこ

 8月は平和についての私の思いを伝えたいと思います。

『青い空は』(混声合唱) 2012 - YouTube

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