鉄道模型のある生活ブログ

鉄道模型にかぎらす、なんでも書いてしまいます。

F1レースで

2024年08月26日 | 雑談

MLBでは大谷選手が40号ホームラン、それも9回2死満塁でのホームランと格好良すぎる。

野球よりもF1レースが好きな私は、角田裕樹選手と言っても、そんな名前は知らんと言われてしまうので大谷選手が羨ましいのですが、世界での知名度は大谷選手よりも角田選手の方が上なんです。 F1は世界20カ国以上で開かれていて、TV放送はネットを含めると世界数十カ国で行われている。 だから角田選手の人気はともかく、ツノダ・ユーキという名前を知ってい人は多い、とでも思っていよう。

 

オランダF1グランプリ 練習走行(Practice)中の角田選手です。

車のレースというと、ただ車が走っているだけだと思う人が多いでしょうが、実際には車という道具を使った人と人との戦いです。それもドライバー同士の戦いだけだと思ったら大間違い、チーム同士の戦いなので、バックには各チーム200名ぐらいのスタッフがいます。 ドライバーは後ろの人たちの重責を背負ってドライブしているのです。

この練習走行も角田くんが練習しているだけだと思ったら大間違い、車をコースに合わせるセッティングやタイヤの減り方のチェック、燃費の計算、風の影響、その他、いろいろなデータを取るので、チームから指示された事をやり遂げながらの走行です。 各チームがそれぞれの思惑を持って練習走行でそのコースに合ったように車を煮詰めて決勝レースに挑むのです。

練習走行は2日にわけて3回あり(P1,P2,P3)、それぞれ目的が違います。

とはいえ、やはり速く走れることがそのチームの車とドラーバーの腕になるので、練習走行でもタイムは気になります。

左にこの時点での順位が表示されていますが、TSU角田くんは7位です。上出来です。まあ、すぐに順位は変わりますけれど。

そして1位から、14位までのタイム差が0.942秒です。 一周のタイムです。 1秒遅ければもう15位になってしまうほど、0.何秒かの差を競っているのです。 だから、練習走行での車のセッティングやレースに向けてのデータ取得はとても大事なことなのです。

さて、オランダグランプリ P3での出来事

サージェント選手、この人は今年のF1の新人です。 新人と言ってもこの下のカテゴリーから、ここまで上がって来られる人は、世界中でたったの20人で、それもシートが空いていないと雇ってもらえない。 角田くんも難関を乗り越えて何年かぶりの日本人の選手です。

 

この人の乗る車はウイリアムズ。 今年はブルトーザーの KOMATSU(小松)がスポンサーになっているチームです。

 

オランダのコースです。 曲がりくねっていますが、サーキットは当然曲がりくねっていてそれをどうやって速く走るかという競技ですから。

P3のこの日は雨でした。 さほど強い雨ではないので開催されたのですが、コースや芝は濡れています。

 

サージェント選手のドライバー目線の画像です。 コーナーの端は色付けされている部分があり、ここはコンクリートなので、ドライバーはこの部分まで使って目一杯走ります。 なんと言っても0.何秒の世界ですから、できる限り速く走る。

 

はみ出しの端に近づいて、コースに向かってハンドルを切るのですが、

 

前輪が芝生にかかってしまいました。

 

別のカメラです。 芝生に乗っています。 こんなことは晴れた日なら当たり前のことですが、この日は雨で芝生が濡れている。 タイヤが滑った!

 

あっという間に車は滑って、道路を横切る形に。 サージェント選手、すぐにカウンターを当てていますが。

 

そのまま滑って、道を横切ってバリアに衝突。

 

速度が出ているので、車はバラバラ。

 

形がないほど壊れているようです。

 

勢いがあるのでまだ止まりません。

 

後ろの車もタイヤを避けながらの走行です。 もちろん速度は落としています。

 

すぐに赤旗が振られて、練習走行中断。

 

チームクルーはこの映像を見て頭を抱えています。 こういう時って本当に頭を抱えるんだ。

 

止まった時の映像です。 サージェント大丈夫か? の無線に大丈夫と答えています。 前の方はあまり壊れていなかったようです。 でも、火が出たからすぐに逃げろ!

 

自力で脱出。

 

火はじきに消し止められたのですが、サージェント選手は座り込んでいます。 体の痛みもあるかもしれません。

 

がっかりして、落ち込むサージェント選手。 あ〜 こわしちゃった^^

 

さて、今日の話はこれからです。

まずは、高速で競技する車のレースでは一瞬の判断、操作ミスでこれほど大きなことが起きるのです。 野球で三振するのとは桁違いの事が起きます。 レースではこれを1時間半ほど、休憩なしで、タイムで休憩などあり得ない

と言ってゆっくり走るわけにはゆかない。 サージェント選手は結構車を壊す事が多い、これほど大きな壊し方はなかったが、成績も良くないし、来年はクビになる事が決まっている。 それどころか、このレースの後ですぐにクビになるんじゃないかと落ち込んでいるようです。 サージェントがクビになれば次は自分がF1に出ると思っている選手がたくさんいる。 たった20人の世界ですから、世界中に何万人もいるレーサーにとって憧れの的ですから。 日本人でも角田くんに続けと今既にF2で頑張っている選手もいるし。

さて、車が壊れてしまった、では済まないのです。 この3時間後には予選が始まるので、メカニックたちはそれまでに車を修理しなければならない。 だから頭を抱えていたのです。

あのバラバラに近い車を3時間で直す? それも走れば良いのではなく、レーシング速度で走れるようにしなければならない。 何かにつけmmオーダー以下での調整がいるほどシビアなので、簡単ではない。

チームオーナーはこの修理に何千万円かかるかで頭を悩ましている事だろうし、かと言って壊さないように走れと言うことはできても実際には無理だ。 勝てなけばスポンサーがつかずに資金がなくなる。 給料も払えない。

 

結果として予選にはぎりぎり間に合いませんでした。

でも翌日の決勝にはサージェント選手が乗って走りました。 決して速い車ではないので後ろの方ですが、なんと角田くんのピットインのどさくさに、角田くんの前になって、角田くんは抜こうと頑張るのですが、抜けない。 なんだかんだ、ゴールまでサージェントを抜けないまま、サージェント16位、角田くんは17位という淋しい結果になってしまいました。

 

 

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2002年 ドイツの旅 30  ゴスラー その5  小川

2024年08月25日 | 海外旅行

ゴスラーに朝が来ました。

 

気持ちが良い朝です。 散歩に出かけます。

 

なんとかstraße とか、このstraßeという言葉は大好きです。 Die straßenbahnなんて、市電というよりも格好良いと思うので。

 

小川のある小道に出ました。 花も飾ってあるしとても綺麗。

 

ドイツ人は花が好きなようです。 綺麗に手入れがしてあります。

 

川の中にはモニュメントもあって、ここは観光スポットなんだろう。

 

女性が来た。 様になる。 

 

ランプもとってつけたような感じではなくて、いかにも自然です。 

 

この橋を渡らずに先にゆくと

 

良い感じでしょう? これなんかレイアウトにさりげなく作りたい小川です。

 

さらに先にゆくと、水の音がする。

 

水が流れ落ちている。 これは良い。

 

水車小屋です。 もう最高でしょう。

 

水車小屋を上流側から見る。 屋根も良い感じ。

 

そのすぐ横には、こういう喫茶がありました。  右に見える木組の家がこの店です。 

ここで休憩したい! でも時間がない、と思っていると、

思い続けていると、数年後にこの店に入ることになったのでした。

 

つづく

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ナロー ガソリンカーの製作 その13  最終回

2024年08月24日 | 模型車両

ナローのガソリンカーの製作、一気に最終回になりました。

というのも、データを保存していたSSDが突然に壊れて、工作中の画像がなくなったため先ほど撮影した完成後の姿しか見せられなくなりました。

 

塗装後、このような色になりました。 青とクリームのツートンカラーです。

 

レイアウト上を走っています。 

窓の下には黒い線も入っています。 飛び出したヘッドライト付近での色の塗り分けは、スカッと塗り分けられませんでしたが、まあまあだと思っています。

 

窓にはカーテンも掛かっています。

 

石橋を渡って、

 

運転士は前にも後ろにも乗せています。

 

こちら側の窓にはワイパーがついていますが、反対側はありません。 パーツが足りなかったもので。

ということで、営業運転についています。

まだ、車体は新品のままで汚れていませんが、そのうちに汚れがついてくるかも(ウエザリング)。

 

ナロー、気動車の製作 おわりです。

 

左に見える、USB型のSSD 1Tが壊れて、中のデータが全て読み出せなくなりました。 他のSSDにバックアップしてあったデータはありますが、今年になってからバックアップしていなかったので、最近のデータが全部消えました。 幸い、旅行などの画像は他のストレージに入れていたので、無事でしたが、鉄道模型関係の最近ものは全滅です。

右は、バックアップ用に今日買ってきたHDDです。 なんとなくHDDの方が安心のような気がしましたが、何よりもこまめにバックアップすることですね。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

若桜鉄道  わかさ てつどう

2024年08月23日 | 実物の鉄道

 

夏の旅

若桜鉄道に行きました。 若桜でわかさと読みます。 鳥取の近くです。

大昔、車で鳥取に行った時に、戸倉峠を越えて若桜という街に入り、若桜駅が見えた。 当時は国鉄だったのかも知れないけれど、その時名前と場所だけは覚えました。

若狭鉄道は

JR因美線の郡家という駅から若桜までの19.2kmの鉄道です。

郡家はこおげと読みます。 鳥取から来たのですが数駅で郡家です。 乗り換え時間が1分とは短い。

 

郡家駅です。 鳥取から来た列車が同じホームの反対側(左側)に停まって乗り換えるだけなので、ものの10秒もあれば乗り換えられました。

これが若狭鉄道の車両。 このデザインは、よく見る雰囲気だ。 八頭と書いてあるのは行き先ではなく車両の名前。

 

座席にテーブルがある。 このつかみ手の形も見たことがある。

 

こういう所もおしゃれなデザインだ。 

 

と言うことで、どう考えても水戸岡さんのデザインだろう。

出発。

 

しばらく行くと「はやぶさ」駅に到着。 かの有名な「はやぶさ」駅だ。 駅舎は昔の感じのままで、秤などが置いてあるが、有名なのはスズキのバイクの隼と同じ名前なので、隼のライダーの聖地になっているからだ。

 

パンフレットの隼駅の説明。 ライダーの聖地なんだろうけれど、バイクに乗ってきたのでは若桜鉄道には収入がないだろうと思うのだけれど、まあ町にはなんらかの収益があるかも知れない。

 

はやぶさ駅出発。 あれ、バイクが来た。 隼だろう。 かろうじて写せたのは奇跡だ!!

つぎに「阿部」駅に到着。 この駅は昔、寅さんの映画の撮影地になったとか、

 

しばらくして、列車交換ができる「八東駅」に到着、対向列車が見える。

このデザインは!

 

隼のラッピング車両でした。 SUZUKIの文字が見えるけれど、この車両をSUZUKIが作ったんじゃないよ。

 

「丹比」駅です。 この駅にも秤が置いてありますが、その横は開かずの金庫です。

 

車窓にはこんな崖が、くわしくはタモリさんにでも教えてもらわなければ。

 

終点 若桜駅到着。 緑の気動車が置いてあります。

 

駅舎です。 大昔、車で来て見た覚えがある。でもその時よりもおしゃれになっている。

 

街に食事に出かけましたが、この日はみんな定休日。 食べるものがない。このおもちゃの博物館?も休み。

 

駅に戻って、この立派な待合の喫茶室でハンバーガを頼んだら売り切れでなし。

 

駅前のこの建物はスーパーマーケットでした。 ここで昼食をゲットして、駅の待合室でいただきました。

 

窓からは、蒸気機関車やターンテーブルが見えます。

 

では、写しにゆこう。 DE10 DD16かな、とC11 C12です。ここから先に入るのには、別料金が必要。

 

それではと道に出てそちらから撮影。 別料金を払ってもよかったんですが、そこまでして写したいとも思わなかったので。

 

改札も水戸岡さんのデザインのようです。 では帰ります。

 

その前に、ここの喫茶でコーヒーとケーキです。 これで若桜駅は満足です。

 

帰りはこの色です。

 

車内の絵です。 小さくMitooka+Don Design と書かれていて水戸岡さんとわかる。

 

列車の撮影に良さそうな鉄橋を渡って、

 

またまた、隼と離合して、

 

こんな車両や

 

こんな車両も見つけて

 

列車は郡家に向かいます。

 

この駅には牛の秤があった。 大きい。

 

郡家到着。

 

郡家駅です。 プラットホームはささやかなものだけれど、駅舎は立派です。

 

駅舎の中は休憩室になっていて、学生が勉強しています。 2階も同様に学生が勉強していました。

あれ、後ろにバイクが

 

隼が展示してありました。

 

郡家駅のホームはこんな感じで、今時珍しい線路を渡る踏切があります。

 

ここから大阪までは乗り換えなしで、直行できます。 このスーパーはくとが物凄く飛ばすんですね。 トンネルだらけの智頭急行線をぶっ飛ばして、快適に若狭鉄道の旅の終わりを締め括ってくれました。

 

若桜鉄道、小さい鉄道ですが、見応えがあります。

鉄印です。

 

これだけ貯まりました。 残りは遠いのでこれで限界かも。

 

若桜鉄道 終わりです。

 

コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

行った模型店、などなど  その8  天賞堂

2024年08月22日 | 鉄道模型全般

行った模型店、などなど  その8  天賞堂

 

学会などで東京や横浜に出かけてた時には、必ずと言って良いほど銀座の天賞堂に行きました。

 

1980年頃、Nゲージで作り始めた私鉄のレイアウトです。 白い建物があります。 これが天賞堂です。

一番初めに天賞堂の建物を作った。

 

他の建物ができてきました。 オメガのマークがある白い建物が天賞堂の建物です。 本物の写真も撮った覚えがあるのですが、紛失したので模型の写真です。 銀座4丁目にあるこの建物を目指して有楽町から歩いて行った覚えは数知れずです。

でも、この模型は大阪梅田付近をイメージしています。左の丸いビルが、最近無くなった丸ビル、第一ホテルです。

大阪にも天賞堂が欲しかった!

 

こちらは本物 右は宝飾の売り場で、左の狭い入り口が模型売り場入り口です。

 

この階段を上がって、2階3階が模型売り場で4階が中古のエバーグリーンでした。

 

中2階の通路で撮ったと思うのですが、なんとなく違う気もします。 でも天賞堂には違いない。

天賞堂では、自社製品の真鍮製の蒸気機関車や客車なども売っていましたが、オーストリアのROCO社の総輸入元でもあったので、ROCOの製品もたくさん置いてありました。

 

この編成は天賞堂で買いました。

何度も行っているので色々買ってはいるのですが、目の保養が一番だったかな?

そして、必ずというほど買ったのが洋書です。 Eisenbahn JOURNALは私のお気に入りの雑誌で、ドイツの本ですが、本物の鉄道と模型が載っていました。 ドイツの本は大判でカラーでレイアウトもたくさん載っているので気に入っていたのですが、売っている店が他にはモデルバーンしかなかったので、東京では天賞堂で買ったのでした。

 

こういうものを買って

 

帰りの新幹線に乗るのです。 天賞堂の袋はいっぱいに膨らんでいます。 何を買ったのか?

ビールと弁当を買って新幹線が出発すると、Eisenbahn JOURNALを見ながらの旅が始まります。 毎回これが楽しみでした。

その銀座の天賞堂も数年前に移転したとか。 それから行っていません。

一方

 

こちらは、横浜店。 原博物館の建物にあり、ここも数回訪れました。 でも最近行った人から店がなくなったと聞きました。 残念です。

さて、天賞堂製品は真鍮製からプラ製、Zゲージもあり色々販売されています。

 

初めて買ったのが

これは古いです。 まだ真鍮プレス製が主流だった頃、合成樹脂なのですが、今時のプラスティクと違ういかにも硬い感じのプラスティックでできた、貨車でした。 足回りは金属です。

 

ZゲージのC62も買いました。

 

真鍮製は買えないのでプラ製の蒸気機関車が出たのには大歓迎。9600です。

でもね、ギヤ比が高速すぎて、スローが気に入らない。

 

そこで、ギヤボックスを分解して、減速比が高いギヤに交換。 失敗すれば、元も子もなくなる大改造を施して、スローでじっくり走るように改造しました。 他には2、3動輪のフランジを削って、急カーブ対応(R360)対応にしたり、サウンドDCCに改造など、他の天賞堂製品もほとんど何かしらの改造をして、自分のレイアウトでスムーズに走るように改造しました。

これも、プラスティック製品なので気楽にできた(本当は気楽じゃないけれど)、のでしょう。

なんにせよ国鉄型のプラ製品を出してくれたのは大感謝です。

 

そして、

ダイキャストのカンタムD51も購入。 私は真鍮はあまり好きではないのですが同じ金属でもダイキャストは好きです。

カンタムなのでDCCコントローラーで走らせられます。 これは今のところウエザリングしていません。 プラなら平気で汚したのですが、なんとなく気後れしています。

天賞堂 おわり

 

行った模型店、などなど は続きます。

 

 

 

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする