鉄道模型のある生活ブログ

鉄道模型にかぎらす、なんでも書いてしまいます。

2002年 ドイツの旅 35 最終回   帰国日

2024年10月07日 | 海外旅行

2002ドイツの旅 最終回です。

ハンブルグ空港から帰国します。

ハンブルグ中央駅前から空港行きリムジンバスの乗りました。 さらば、ハンブルグ

 

高架があると電車が通らないかと思って写すんですね。 電車らしきものが写っている。

 

空港には必ずと言って良いほど回転ドアがあります。 日本ではたった一件の事故でみんな無くしてしまった後です。

とかく、一件のことだけで、全てやめてしまうのは日本の癖だろう。 他にも同様なことはたくさんあって、どんどん不便になっている。

回転ドアは、風や温度の対策にとても良いのです。 使い方です。

 

これはレンタカーの宣伝だろうか。 小型のオープンスポーツカー、いいね。

 

何じゃこれは? 本物の人かと思ったが違った。 ユニークなプレゼンです。

 

この雰囲気を見ると海外旅行に行きたいと思ってしまいます。 

 

帰途は、ハンブルグ空港からフランクフルト空港で乗り換えて関西空港に帰っています。

これはフランクフルト空港です。 上の写真たちは、どちらの空港かよく分からないものがあります。

KIXには朝の7:50に着きました。 おわり

 

さて、長く書いたこの旅行記事ですが

1日目 関空からフランクフルト空港で乗り換えてドレスデン空港に。

そこからDBの気動車でドレスデンに向かって終点の駅で降りずに留置線まで行ってしまった。

 

2日目  ドレスデンからプラハにゆく

カペル橋

 

3日目

ドレスデン近郊の軽便鉄道

ウアイセリッツタール鉄道

 

レスニッツ・グルント鉄道

 

4日目

マイセンとドレスデン観光

マイセン

 

ドレスデン 旧宮廷協会

 

5日目

ベルニゲローデからゴスラーへ

ベルニゲローデ  ハルツ軽便鉄道

 

ゴスラー

 

6日目

ゴスラーからハンブルグ

乗ったICEーT  

 

ミニチュアワンダーランドも見学

 

7日目

帰国

空港で最後のヴァイスビール

 

1週間で色々なところにゆきました。

やはり海外旅行は値打ちがある。 もう22年前のことだけれど、鮮明に覚えているのですから。

 

おまけ、土産

マイセンの壁掛け

 

ゴスラーの魔女

他、鉄道模型数点

 

おわり

 

次の海外旅行はイギリスになります。

 

 

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生成AI 某学会で

2024年10月06日 | 雑談

昔から入っていた放射線技術系の学会の60周年とかで、懇親会の案内が来て、長年出ていないので同窓会のつもりで出席しました。

大阪で開かれたので大阪城の絵と思ったら。かなりデフォルメした架空の城を表紙にしたようです。

KKRホテルですが、ここは私が退職の時にここで祝ってもらった覚えがあるし、今行っている高齢者の学校の道を挟んで反対側なので、気軽に行ける場所です。

学会の前日の夜が懇親会。 

もう退職して19年、それからほとんど出席していないので、知っている人が来ていれば良いのにと思いながら出かけました。

すると、知っている仲間がたくさん来ていて、それこそ同窓会状態でした。

 

私が一番年上だったので、皆さんはまだ現役で仕事をしています。

年上ということで紹介されましたが、その方が、私を80歳と紹介されたので、まだ79歳ですと応答、笑いの渦になっていました。

この方達とは長年の付き合いだったので久しぶりに会っても、昨日会っていたような打ち解けた感じ。 でもその間に、みなさん偉くなっていて、ほとんどの人が大学関係なので教授とかそんな肩書きがついています。

 

全体の雰囲気です。 画像処理ソフトがないものですからカメラでパソコンの画面をぼかして撮影。 

 

今回の大会長はこの方、私の旧職場の後輩で、旧職場が今回の担当だったこともあり出席したのでした。

彼は、この懇親会も、翌日の、本番である学会を仕切ってくれます。 ただ、昔から話が長い。

 

この日はこのホテルのに泊まりました、

部屋の窓から見た大阪城です。 

 

朝で〜す。

大会長の彼が良い部屋を確保しておいてくれました。 良い後輩だ。

ちなみに廊下を挟んだ反対側の部屋からは当然、大阪城は見えません。 その代わり高速道路と私が行っている高齢者の学校(貸ビルですが)が見えるはずです。

 

さて、本番は今からです、学会です。

受付です。 私の旧職場の若者ですが、私が退職した後から入っているのでまったく顔は知りませんが、親切にしてくれます。

 

学会では

特別講演は「生成AI時代の医用画像」ということで、理化学研究所の先生です。 すごい経歴です。筑波大学、東京大学、スタンフォード大学、理化学研究所などなどたくさんの施設名が出てきますが、この方一人で色々なところで勉強をしてきて、今でも複数の施設で色々な研究を指導している先生です。 50歳になったぐらいでしょうか、まだまだ若い。

AIが進んできている、最近、それが急激に進んで、さらにこの数年で驚くほど速度で進むということです。 難しいことは分かりませんが、放射線画像でいうと。

ここからは私の私見

1972年にCTができた。当然ディジタル画像だったが、普通のレントゲン写真はまだフィルムだった。

1980年頃になって富士フィルムが世界初のレントゲン写真のディジタル画像化に成功して、FCRという名前で世界に売り出した。

1990年頃、レントゲン写真を機械で読み取って、コンピュータで病変を見つけるコンピュータ支援診断の研究がシカゴ大学を中心として始まった。

実際にはレントゲンフィルムに写っている画像をスキャナーでディジタル化して、ノイズや歪み、ボケなどを修正して、病変と思われる部位を特定するのでするが、病変の形はどんなもの?という研究から始められた。 これはとても大変な研究で50年から100年ぐらいかかるだろうと言うことでした。

もちろん私はそんな研究にはとても手が出なかったので、人の発表を聞くだけでした。

2001年頃 FCRはエネルギー蓄積型の蛍光体に蓄えられているX線像を特殊なスキャナで読み取ってディジタル化していたので、それなりの時間がかかったが、この頃に現在のディジタルカメラのCCDのような半導体検出機が出現。レントゲンは人体を撮影するのでカメラのような小さな撮像素子ではなくて、胸の大きさをカバーする43cm×43cmもの大きな撮像素子がいるのであるが、それが開発されて、リアルタイムでレントゲン写真を得られるようになった。 もちろんディジタルである。

ちなみに、その装置を日本で最初に導入したのが私の職場で、その設置をしたのが今ブログに載せているハンブルクのKさんです。 その装置の性能を放射線技師が研究して、その画像による診断能を医師が研究して、一緒にウイーンでの国際学会で発表したというわけで、ブログにウイーンも書きました。

こういう装置ができて、大学や研究機関ではディジタルのX線画像から病変を見つけるという研究が進み、初めはパターン認識程度だったのが、ニューラルネットワークにすすみ、さらにディープラーニングへと進んできました。

そして、最近はAIという言葉になったのですが、私はAIは分かりません。 多分ニューラルネットワークとディープラーニングをまとめてさらに莫大なデータを記憶してそれを解析する手段だと思っています。

さて、講演では、すでにAIの技術はかなりのレベルまで来ているので、今必要なものは大量のデータではなくて、質の良いデータを入力することだということで、これで一気にAIのレベルが上がるということです。

ChatGTPの登場以来、AI技術は大規模言語モデルを中心とした生成AIによる第4世代に突入した。 ここで大事なのは言葉ですから、正しい言葉を入力しなさいと言うことです。

この辺りは全然理解できませんでしたが、先ほどのレントゲン写真の病変の検出に関してはすでにかなりのレベルになっており、最終判断は医師がするのですが、近い将来、AIの判断が医師を上回るので、法律改正も必要だろうということでした。

 

車で言えば、近い将来、人よりもAIによる自動運転の方が安全ということになるということです。 それほどAIの技術は急激に進んでいるというお話でした。  まあ、運転する楽しみは残しておいてほしいけれど。

 

 

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行った模型店、などなど  その12  きりん  つばめ屋

2024年10月05日 | 鉄道模型全般

行った模型店。

きりん模型店

きりんは大阪の千林にあった模型店。

京阪電車、森小路駅から千林駅に歩く真ん中あたりにあった小さな模型店。写真も撮ったけれど紛失して無いので文章のみ。

私が行った頃は、女性一人(奥さんと呼ぼう)で経営していて、基本は鉄道模型で、ショウウインドーにはエコーや色々のメーカーのパーツが整然と並んでいて、それこそマッハ模型の雑然さとは正反対のものでした。

店を覗いてもHOの完成品は真鍮製なのでとても買えないし、パーツはそれを作っている時にしか必要ない。 何も買わないのは申し訳ないので、カトーの貨車でも探して買ったぐらいです。

この奥さん、話すきで、私なんぞ、ほとんど通りかかりの客なのに、近くの喫茶店にコーヒーを注文して出前で持って来てもらった。 それを飲みながら話をいろいろ聞くのであるが、うちの客はというと、それは鉄道模型クラブの校友会のことを指しているので、ここは校友会の人がよく来る店なんだなとわかった。 

そして、話の的はほとんど問屋の話になり、どこどこの問屋はこうでとか、まあ、愚痴です。 愚痴を聞いているのではありますが、メーカーから問屋、小売店の流れなど全然知らないので、案外面白い。

それから、模型店では商品は買取りで、売れなければ店の負担になる。 先日の合運で校友会の人に聞いたら、きりんさんに何何が欲しいと言うと、誰と誰が買いそう? と聞かれるので名前を言うと、その人数分だけ仕入れていたとか。

奥さんが怒っていたのは、あるメーカーで蒸気機関車を発売ということで、当時でも50万円ほどする品物だが、客が欲しいというのでメーカーに注文した。 メーカーは作るのに時間がかかり、発売予告をしてから商品が入るまでにかなり日数がかかった。 すると、客はいらないと、注文したものを断ったそうです。 でも、店としてはその機関車代をメーカーに支払わなけらばならないので、他に買ってくれる人がいないと大損害だと、長〜く愚痴られた。 模型店って厳しいんだ。 ちなみにそのメーカー、発売予告から2年経ってやっと製品ができたので、奥さんもメーカーも悪いと怒っていました。

こういう事が、何度かあって、コーヒーも何度か頂いているうちに、奥さんはかなりの歳なので、商品の値段もわからなくなり、関東の身内のところに引っ越すことになり店は廃業した。 その前に、商品と店が勿体無いので、校友会の誰かが店を継いだらという話もあったそうだが、実現しなくて、きりんは無くなった。

 

次は つばめ屋

大阪駅からさほど遠く無い中津の近くにあって、昔は古い日本家屋風の店だったが、道の移転で建て替えて綺麗になったと思います。

ここも、パーツがメインなのでほとんど買った事がない。 店を入ると2人の店員が交代で、「なにか買って」、「なにか買って」というので、居ずらいのでさっさと出た覚えがあるのだけれど、これも校友会の人の話では、兄弟二人で店をやっていて、その仲が悪くていつも喧嘩していると。 マッハも何時も喧嘩していたけれど、そんな感じの店だったようです。

ここも閉店して今はありません。

行った模型店 つづく

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2002年 ドイツの旅 34  ハンブルグの港めぐり

2024年10月04日 | 海外旅行

ハンブルグ、ミニチュアワンダーランを見た後、Kさんがハンブルグを案内してあげるとの事で、ハンブルグの港の遊覧船に案内してくれました。

 

ハンブルグの港はエルベ川そのものが港です。 本流の横が入江のように小さな運河がたくさんあって、小舟はこういうところに係留してあります。 飛行機もごく普通に係留されているのでびっくり。

 

並んでいるのが観光船。 こういう船に乗って観光です。

 

初めは運河を進んでミニチュアワンダーランドの近くで折り返して、港に戻り、そこから本格的な港観光に向かいます。

 

塔がある建物が港の中心でしょう。 それにしても、空は真っ暗になるし、波は高いし、小舟では恐ろしい感じになって来ました。

 

大雨で窓の外も見えない。 この時点で中止かと思ったのだけれど、船は進んでいる。

 

ここから、エルベの本流を横切って、船のドックがある方に向かうのだが、川の流れもあって、船は大揺れ。

 

向かいに座っていた親子も不安そう。 乗客はこの親子と私たちの合計四人だ。

 

一方、Kさんは不安そうだが、それを隠そうとやせ我慢している。

この時私はさりげなく、救命服の場所を確認して「我、エルベに死す」も覚悟していた。

それほど大雨と船の揺れで、素晴らしいエルベの洗礼を受けていたのでした。

 

そんなことはお構いなしに船は観光ルートを進んでいる。 川を横切ると揺れはましになった。 そして、後ろに他の観光船がいるのを見て、みんなで渡れば怖くない、という気持ちになり、不安は解消されてきたのでした。 でもまだ不安は残っているよ。

放送では、ハンブルグには大きな船のドッグがあり、何じゃらかんじゃら説明している。 英語です。 だから雰囲気だけで理解している。

 

確かに大きな船がドックに入っているのだが、まだまだ、不安が残っているので見たような気がしない。

 

船のスクリューだ。 大きな船がこんなに小さなスクリューで動くのだ。 と言っても実はスクリューもどでかい。

 

と言う事で雨も止んできて、ハンブルグの恐怖体験ツアー?も 終わり。 多分、夕立だったんだろう。

すごい経験をしました。

この後、Kさんが、夕食を奢ってあげるとのことでレストランに行きました。

 

レストランはこの運河の並びの明かりが点いている所だったろうか。

 

この料理です。 何だと思いますか?  実はこれは「うなぎ料理」なんです。

ナイフのそばの切り身が鰻ですね。

 

Kさんが、ドイツでは夕食には冷たいものを食べるのです、と説明してくれる。

そうか、日本に来て数日間機械の設置をしている間に、日本での夕食はほとんど温かいものを食べるのを覚えたので、わざわざ冷たいものと説明してくれているんだ。 

なんにせよ、一人ではこんな店は見つけられないし、めったに一人でレストランには入らない。 毎日飲み屋かファーストフードに近いものをばかり食べていたので、最後のドイツの夜に有難い。

 

食事後、ホテルまで彼の車で送ってもらったが、アウディーだった。

いよいよ明日は帰国です。

 

つづく

 

 

 

 

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盾が来た

2024年10月03日 | レイアウト

レイアウトコンペで準佳作のナローレイアウト「桃山鉄道 MALER線」の盾が届きました。

 

盾と賞状と、レイアウトに貼る真鍮のプレートがありました。 

 

レイアウト上に盾を置いて撮影。

 

場所と車両を変えて撮影。

 

青い気動車も撮影

 

プレートを入れて撮影。

 

先日、ナローの日本のレイアウト川尻線が佳作になっているので、その盾と並べました。

準佳作は小さい。

同時には送って来ませんでした。2週間ぐらい空けて準佳作を送って来ましたが、2つも受賞できたのは嬉しい。

 

それぞれのレイアウト上に盾を置いて撮影。

 

 

この二つのナローのレイアウトは、自分でも気に入っています。 多分、解体して違うレイアウトにすることはないと思いますが、レイアウト作りが好きな性格なので、何が起こるかわかりません。

 

 

 

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