鉄道模型のある生活ブログ

鉄道模型にかぎらす、なんでも書いてしまいます。

津山まなびの鉄道館 岡山森の芸術祭

2024年11月28日 | 旅行、散歩

昨日、津山まなびの鉄道館を載せたら、岡山の友人Tさんが素晴らしい写真を送ってくれました。

 

こんな写真です。 窓ガラスからの光が、機関庫の床に虹模様を作っています。

きれいでしょう?  夕方だと光がこのようになって、まるで芸術作品です。

実はこれ、「岡山森の芸術祭」の一環で、ガラスに虹色のフィルムを貼っていたそうです。

 

これは私が撮った写真ですが、この時には、ガラスが古いので、水焼けで色が変わっているのかと思ったのでした。 昔の工場の窓ガラスが、こんな色になっているのを見たことがあるかと思いますが、水がついて陽が当るとガラスが焼けて(という言い方をする)こんな色がつく。 これを応用したのがカメラのレンズのコーティングだと思っているのです。

それにしても、この色はきれいすぎると不思議に思っていたら、「岡山森の芸術祭」の作品でわざわざこういうフィルムを貼っていたのでした。

 

Tさんの作品です。 床とキハ81に映った色がきれいです。

 

虹が、従台車や動輪にまで届いていて幻想的です。

 

私が行った日が、このイベントの最後の日だったようで、まだ、虹色のフィルムがガラスに貼ってあったので、何でだろう? と思いながらガラスを見ていたのでした。  「岡山森の芸術祭」の事が何処かに掲示されていたのかもしれませんが気がつかなかった。

 

Tさん美しい写真を有難うございました。 💓

 

おまけ

津山駅前には、こんなものも展示されていました。

 

 

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津山まなびの鉄道館

2024年11月27日 | 旅行、散歩

鉄道ファンが津山といえば行くところは決まっています。

 

駅からずーと離れたこの踏切を通ってゆきます。 バスもあるようですが都合の良い時間にあるかどうか。

 

扇形車庫の横が入り口です。 ガラスの色が面白い。

 

取り敢えず目に入ったのがターンテーブルの上のDD13です。 日によって機関車が違うのでしょうね。

 

車庫にはいろいろな車両が置いてあります。 ディーゼルが多いので、梅小路の扇形車庫より華やかだ・

見に来ている人が沢山います。

 

ターンテーブルの向こうはヤードで現役の車両が沢山待機しています。

 

鉄道模型館に入る。 Nゲージのレイアウトで、ここ、津山を作ってある。 

 

駅からターンテーブルへの線路配置がよくわかります。 扇形車庫の上に見えるコンクリートの建物が、あゆみルームとか、しくみルームがある建物です。

 

桜の津山城です。 何年か前に行ったけれど、ちょうどこのように桜が咲いていました。

 

すみで担当の人が運転していたので列車は動いていました。

 

こちらは実物。 やくもはキハ181、隣はキハ52  きれいに保存されています。

この扇形車庫の窓ガラスはこの方向から見ても虹色に輝いています。 ただ写真に撮ると色が写らない、微かに色づいているのがわかりますが、肉眼ではまだまだはっきりと虹の色が見えます。

 

ということで、露出を落として撮ると、虹色が写りました。 カメラと目のダイナミックレンジの違いですね。

 

D51さんもあります。 なめくじドームですね。 ロッドは錆が浮いて来ているけれどメンテナンスは大変なのでしょう。

 

子供は機関車なんか関係ない。 線路を跨ぐ方が面白い。 それにしても扇形車庫、沢山線路があります。

 

DF50 これもきれいです。 懐かしい機関車であちこちで何度か撮影しています。

 

別棟にに行くと、こういうものが飾ってありました。 客車の窓下にぶら下がっていた、懐かしいです。

 

こういうほうろうの駅名板も懐かしい。

最近は電子掲示板に変わってきていて、それらが古くなっても保存されないというか、文字は電気がなければ映らないので、壊れたらただのガラクタになるんだろうけれど、昔のものは残しておける。

 

タブレット交換。 駅で運転士と駅員が受け渡ししていた。 止まらない列車は螺旋状のところにタブレットを投げ入れていた。 でも今は駅員すらいないから受け渡しなんかできません。 いや、そんなことをしなくても良いシステムにはなっているんですけれど。 でも、昔は正面衝突をしないように、こういう機械はとても大事だったのです。 だからしっかり作られています。

 

扇形車庫の裏側を写して帰ります。 裏は寂しい。

 

駅に近づくと列車が来ました。 扇形車庫を入れて撮影しました。

 

さて、帰ってから昔の写真を引っ張り出しました。

やくもです。 確かにこの形のディーゼルカーが走っていました。

 

餘部です。 こんなに長い特急が走る路線だったのです。

 

同じく、餘部鉄橋の上を歩いていた時に走ってきたDF50です。

保存してあったものと同じ車番かと思ったら全然違いました。 津山と山陰線では機関区がまったく違うので当然です。

 

津山に展示されている車両を見て昔を思い出しました。

 

そうだ

駅からこういうふうに跨線橋を作ってくれたら簡単に行けるんだけれど、今はぐるっと1kmほど歩かなければならないんです。 遠いこともあるし時間もかかるんです。

津山 おわり

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津山

2024年11月26日 | 旅行、散歩

岡山でございます。

こういう電車が止まっている横に

 

こんな列車が入ってきました。 SAKU美SAKU楽(さくびさくら)です。

ここに旗を持った団体が来てこの車両に乗り込みました。

私は、発売日に指定を取りに行ったのでしたが、1分以内に売り切れていたのは、このJRのツアーが取っていたからだ、たった一両で座席数も少ないので、一般客はとても買えないと思ったのであります。

 

こっそり中を撮影。車内販売もある。 通路でつながっているのですが、こちらから買いに行っても売ってくれないとのこと。 まあ、そうでしょうけれど。

 

この前に臨時快速の一両を繋いでいるので、私はこちらに乗ったのであります。

 

今時流行りの、キハ40です。

 

扇風機もあって風情があります。これはこれで良いか。

 

岡山出発、オレンジがいっぱい 

岡山から津山までノンストップなのですが、途中何駅か止まります。 観光用にでしょう、5分以上止まります。

 

そこではシャボン玉を飛ばしたりして、キハ40の客のためではありませんよ、さくらの客向けです。

 

車窓はのどかです。

 

亀なんとか駅です。 ここにも停車、 しばらくすると発車1分前と添乗員が呼びに来る。 右手の奥さんも親亀子亀を写しながら、列車に戻ってゆきます。

 

津山到着。

 

つづく

 

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京都 清閑寺の不思議

2024年11月16日 | 旅行、散歩

京都、東山に清閑寺(せいかんじ)という小さなお寺があります。 その横には高倉天皇の御陵があります。

年寄り仲間と行ってきました。

 

五条通、国道1号線を山科に向かってトンネルの手前にあるバス停で降りて坂をあがると、清閑寺という石碑と左には高倉天皇陵の石碑がありました。 この道を少し行くと

 

六条天皇と高倉天皇の御陵がありました。

その横の道を上がると

 

清閑寺がありました。 小さな寺で、拝観の人は箱に100円入れてくださいとあります。

 

小さな庭ですがとてもきれいです。 小督局(こごうのつぼね)供養塔と書いてあります。

 

お寺の建物はこれだけです。 お堂です。

 

横には鐘楼がありました。 この近くには郭公亭という茶室があったそうで、そこで西郷隆盛たちが密談をしたと言う話はあります。

でも、この清閑寺を知るには、高倉天皇と小督局の話を知らないとわかりません。

高倉天皇は平清盛の時代です。 高倉天皇の中宮(正室)は清盛の娘の徳子でした。 小督局は徳子に仕える女官でしたが、美人で有名で高倉天皇に寵愛されて、それに対して清盛は怒ったわけです。 実はこれ以外にも小督局は清盛を怒らせることをしていたわけですが、小督局に子供が生まれると次の天皇に関係するわけで、徳子の子供が天皇になって貰わないと清盛には都合が悪い。 しかも徳子が中宮だし。

なにか、今のNHK大河の一条天皇と定子、彰子と藤原道長の話に似ています。

そして、清盛は怒って宮中から追い出そうとしましたが、小督局は自ら嵯峨野に隠れたそうですが、その後も高倉天皇と会い、子供を産んだ。 そこで清盛はさらに怒って、小督局をここ清閑寺で尼にしたそうです。

 

小督剃髪の本堂

高倉天皇は21歳のときに亡くなったのですが、「小督のもとで葬ってほしい」との遺言で、高倉天皇陵は清閑寺のすぐ横に建てられたそうです。  

この話を聞いてピンとこないかもしれませんが、高倉天皇の中宮は徳子です。 徳子の子は安徳天皇です。 壇ノ浦の戦いで、源氏に敗れて海に沈んだのですが、徳子は助けられて、そのあと京都の大原に隠蔽されて、建礼門院という名前で余生を過ごした。 後白河法皇が見舞いに行ったとかの話もあり、今も建礼門院のいたお寺は観光客で賑わっています。

というような歴史があるのですが、小督局のことはほとんどの日本人が知らないと思います。

ところが、この小さな寺には外国人が次々にやってくるのです。

 

要石という言われがある石ですが、説明は英語です。 後ろには海外の人がいます。

 

ここからは京都の街が見えるというのが売りですが、海外の人がこれだけでくるとは思えないし、まして小督局の話を知っている人はいないと思います。

この寺は、清水寺から小道が続いていて、10分ほどで来られます。

 

清閑寺から高倉天皇陵を見たところですが、この寺から清水寺に帰る外国人が見えます。

清水寺から続く道は清閑寺で突き当たりになり、どこかに抜けられることはありません。 それなのに、日本人は来ないのに外国人が次々にこの寺に来る、何でだろう? 

 

人が写らない様に写真を撮ったのですが、ほんとうに次々に外国人が来るのです、清閑寺の不思議です。

 

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伊根の船屋

2024年11月10日 | 旅行、散歩

間人から伊根に着きました。

伊根は丹後半島の先の方で天橋立の北になります。 船屋で有名です。

ここの撮影旅行です。

 

ここは船乗り場です。 バイクで来ている人が多いです。

 

今からこの船に乗ります。

 

船からは船屋が見えます。 波が静かなところなので、家に船を入れるところがあるのです。

 

良い感じの船旅です。 というのは嘘。 旅ではなくて撮影会です。 カメラを構えて必死に写します。

 

ちょっとホワイトバランスを変えて撮ると夕景の様になります。 実際にかなり夕方だったのですけれど。

 

ジャーン、 かもめ登場

 

かもめが何かくわえています。 カッパえびせんです。 船から撒いているのです。

かもめが寄ってきて、えびせんをくわえた瞬間です。 このタイミングで写すのは至難の技。 私の腕の凄さに我ながら感心、なんて言っちゃって、下手な鉄砲も数打ちゃ当たるという所でしょうか。

私は28mmのレンズ一本しか持ってゆきませんでした(ライカのレンズはこれしかないので)。

ですから、この写真は思いっきりトリミングしてあります。 こういうところは望遠で狙う方が難しいかもしれません。

 

こんな感じで、かもめが寄ってきています。

 

逆光でこんな写真はいかが、 ダンスをしているみたいです。

 

この写真の方が良いかな?

 

逆光で暗く撮ると光の道が写りました。 

 

順光で反対側を写すとまったく感じが変わります。 少し色を濃いめにして空の雲を強調しました。

 

伊根の船屋は? と言われそうなので、船屋も撮っています。 最近は船屋をカフェにしたり、船屋風のカフェを作ったり観光客に喜ばれるようにしているそうです。

 

横を他の観光船が通りました。 船の後ろにかもめ群れがついて行っています。 実際にこの光景を見たら驚きますよ。 動いている船とかもめが一塊になって進んでいるのはとても迫力がある。

すると、うちの船頭が、この船も餌を撒いているとこはこうなっていたと思いますよと言っていました。

ちなみに、餌のカッパえびせんですが、色々の食品を試したのですが、カッパえびせんが一番と言っていました。

 

漁船の横を通って

 

船頭さんの船屋で下船しました。 この船屋は床を作って船が入れなくしてあります。 ここでは店をやっていませんが、喫茶店にしているところがあるわけです。

 

隣の船屋は船が入れる様になっていました。

 

あらためて船屋から海を見ると、月が出ていました。

 

船屋を出て家並みです。 昔の雰囲気はあるのですが海から見ないと船屋とはわからない。

 

家の隙間から海が見えます。

 

雰囲気のある店を写して

 

昔ながらの電灯も写して

 

伊根にさよならをしたのであります。

これで、刀作りから間人での食事、伊根と、この旅は終わり。 暗くなった天橋立を横目に見ながら、京都駅前まで渋滞の道路をとおって、強行軍でした。

おわり

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