産経電子版報道によれば公明党は28日地方代表を集めて“集団的自衛権問題の理解を得た“としているそうであるが、一部反対意見もあったようであるも、賛成の方向で押し切るようである。又その中で公明山口代表は6月中旬周囲に“私が辞めれば・・“と言ったそうである。
しかしここでよく考えてほしいが、この“集団的自衛権“是認の中では下記にあるように例えばPKO派遣自衛隊が他国軍が戦闘等になった場合、“駆けつけて警護“するようなケースも想定されている。ここには首相がしきりに口にする“限定的“とか言う概念はどこかに行ってしまい、想定されるのは他国軍等と自衛隊が戦闘になるであろうという事である。本日付け○産党 機関紙 あ○○た によれば
▼閣議決定最終案の骨子
1、個別的自衛権の緩和
平時における自衛隊出動要件の緩和
平時における米軍部隊の防護
2、国際社会への軍事貢献
[戦闘地域]での他国軍支援
PKOでの他国部隊の[駆けつけ警護]
3、海外での武力行使の全面解除
集団的自衛権の行使容認
(武力行使を伴う集団的安全保障への参加を想定)
4、今後の国内法整備の進め方
当然そうなれば自衛隊からも“戦死者“がうまれ、又相手国軍を殺傷することになるであろう。ドイツも日本同様敗戦国でありかつてのフアシスト(安倍氏は恐らくこの言葉は嫌いであろう)であったが戦後NATO域内内のみとして他国に進出していなかったがカンボジアPKO派遣から始まり徐々に拡大し現在アフガニスタンにも派兵しその中で既に55人もの戦死者が出ているということである(29日付け あ○○た 日曜版)
このまま行けばドイツと同様の経過を辿るであろうことは火をみるより明らかだ。前回も書いたが安倍氏は戦死者が出る事、今回の決定で人命が失われるであろうことになんの責任、痛痒も感じていない。彼には独自の“軍国世界観“といったものが頭を占めており、軍事強国でないものには価値感を持たないからだ。早く言えば一般国民の常識では計り知れないその暗黒を頭脳に持っているということである。
したがって山口公明代表は仮に彼が辞めてもこの人命が掛った決定には何の意味もない たかが政党の代表を辞めたぐらいで責任の取りようなどあるはずかないからである。
憲法の基本理念は太古から続いてきた戦争が国家間の争いを決定するという方法について数百、数千万人の命が失われた大戦という事実から、戦争を非合法化し、それ以外の平和的手段で“争い“を止めさせようとする全くもって現代の世界史的任務を我が国に課したものである。そうした歴史的経過、又一人の命は地球より重いと言うその格言を実践するというそのことが全く理解できないのが首相や山口代表であろう。もう一度、高校の世界史の教科書を広げ1p目から読んでみるがいいであろう。彼らの頭脳程度はせいぜいその程度のものである。
又 あ○○た 新聞の引用でやや恐縮であるが本日付けで、1992年のカンボジアPKO派遣で施設大隊長を務めた渡辺隆さん(元陸将)の言葉が載っており、その中で[現場には必要最小限度などない。戦闘の現場では、現場の部隊は、もてるあらゆる手段を使う]と言っています。これを読んでも政府、与党等でいわれている“限定的“とか“最低限“というのが単なる言葉の遊びでしかないのはよく分るでありましょう。
これを読んだ方は是非何らかの形で反対の意思表明をして頂きたい。後世にまともな社会を残す為に。(抗議行動の日程等は本ブログ26日付けに載っています)