マクロ経済そして自然環境

経済的諸問題及び自然環境問題に感想、意見を書く事です。基本はどうしたら住みやすくなるかです。皆さんのご意見歓迎です。

大手メデイアの見識は? 消費税政策もはっきりしない”維新の会”になにを求めるか?

2012-03-26 12:26:44 | Weblog

 ここにおいて些か異様に思われる事につき、若干意見を述べさせて頂きたく思います。それは何かと言うなら所謂”維新の会”の政治参加につき、nhkを含む多くのマスコミが世論調査等で維新の会について、影響力を持ってほしいか?等の質疑をしている事であります。これは同会の”塾”に多くの人が集まった現象と似ていますが、要は現在、愁眉の課題である消費税問題についての意見もはっきりしない(2月上旬の新聞報道の”骨格”では引上げとなっていましたが、現在は地方税化等のようですが、引上げ賛成かどうかははっきりしません)”団体”になんらか参加するとか、又世論調査で賛否を問うなどと言うのは些かおかしいのではと思う事であります。それをもし聞くなら維新の政策をご存知ですか?と言うようなものでありましょう。その様なことを聞いているマスコミは殆どなく(と言うよりおそらく全く無く)唯、賛否を聞くなどと言うのはやはり言ってみれば単なる煽り行為の加担でしかないでありましょう。

また、”塾”に参加された方々も、政策もはっきりしないような団体によく参加できるなーというのが投稿者の現在の心境であります。

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景気政策史ー48 19世紀イギリス対外商業政策と不況 その5ナポレオン戦後不況と商業政策

2012-03-24 13:13:08 | 景気政策史

 

次にここでナポレオン戦後不況とそれに対するその当時の商業政策について述べる。ナポレオン戦後不況については周知の部分も多いので概ね1820年のロンドン商人請願までを商業政策を中心に述べる。ナポレオン戦後には終戦とともに戦時需要は消滅し大陸交戦諸国の有効需要の、戦時疲弊、凶作等による減退更にはアメリカ、欧州諸国の保護関税強化によりイギリス貿易は次第に苦境に立たされるようになった。(プロシア1817年、フランス、オーストリア1817年、スウエーデン1817年 アメリカ1812、1816年)

ここにおいてイギリスは、1815-1820年に続く長い不況状態にいたった。ここで当時のイギリスの産業構造、輸出構造に触れておくのは有効であると思われるのでそれについて簡単に述べてる。イギリスの人口統計は1801年から10年おきに行われてたが当初は職業分類が簡単であったため輸出主力の繊維産業がどの位であったかは出てこないわけであるが、1841年の詳細の分類では順位で言うなら、①農林業 ②家事 ③繊維工業であり吉岡昭彦編著 イギリス資本主義の確立御茶ノ水書房 1968年)又輸出においては1814年以降で見るなら常に其の首位は綿製品であり、比率で言うなら、1814年45.1%でその後も粗其の水準で推移し1825年には48.3%を占め19世紀中盤以降まで続きます。ここにおいて綿業の隆盛がイギリス自体の行方に大きく作用した事が理解できると思われる。

 このよううな状態の中で所謂穀物法論争(1815年、3月改正)が行われたわけであるが議会の中でもその後も不況に関し論争が続き穀物法以外にも通貨制度が問題とされたが、商業制度に付き当時のトーリー内閣に対しホイッグのBroughamは最も能力ある有力議員の一人であったが庶民院が”自由貿易論者”によって動揺される中、1817年に議会で演説しこの国の疲弊、船舶業の落込み、製造業の不況につき其の原因は二つであるとしてそれは

イ)戦時から平和時への急速な移行の影響

ロ)保護制度

にあるとし禁止的保護の除去、航海法の陳腐化を述べその解決法は大胆な商業規程の改定であるとした。(因みに当時の”保護勢力”は地主層だけでなく、西インドの地主やまた東インド会社の独占等もあった)(尚、Brougham卿は1816年に”成長しつつあるアメリカ工業を、市場の横溢によって絞め殺すためにまずはじめに輸出で損をするのは意義あることだ”と議会であからさまに述べている。(メンデリソン 恐慌の理論と歴史第2巻 青木書店1960年:)

それにたいし政府を代弁してRobinsonが、率直に保護は有害である旨延べ又それの存在理由はそこから逃げている事だと述べました。結局のところしかし議会での十分な自由貿易への前進の為の証言は1820年の議論によって見つけられた。(A.Brady ;William Huskisson and Liberal Reform)

参照ナポレオン戦争後におけるイギリス貿易構造の特質 池田嘉男 [歴史]第32号

物価史(第1巻~6巻)トーマス・ツウーク藤塚知義訳 東洋経済新報社

 

 

 

以下次回

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景気政策史ー47 19世紀イギリス対外商業政策と不況 その4リカード自由貿易論と不況

2012-03-17 12:00:12 | 景気政策史

 

ここでアダム・スミスにつぐ当時の自由貿易論者であったリカードの自由貿易論と不況との関係について述べたいと思うが、1815-1820年代当時ではマルサスとの穀物法論争が有名ではあるが本稿でそれら全部を述べる事は不可能であり、また必要も無いと思われるのでここではリカードの”経済学および課税の原理”(翻訳は岩波文庫版羽鳥・吉澤訳)にそった形で述べる。この”原理”のなかで貿易論に関しては第7章外国貿易について、また第22章輸出奨励金と輸入禁止 がある。(第25章植民地貿易について は別途述べる)

ここで一般にリカードの貿易論でごく特徴的なのは所謂”比較優位による生産と貿易”と言う事がまず前提問題として掲げられるがリカードの其の立論は

①外国貿易の拡張は商品数量を増大させ、その結果享楽の総量を増大させることには、きわめて強力に貢献するだろうが、しかし直接には一国の”価値額を増大させない”。

②一国内の諸商品の相対価値を規定する同じ法則は、二国またはそれ以上の国々の間で交換される諸商品の相対価値を規定しない。

③経験の示すところでは資本は外国に自由には移動しない。

④上巻p191~では”かりにポルトガルが他国との通商関係を持たないとすれば、この国は其の資本と勤労の大部分をぶどう酒生産に投下しこのぶどう酒でもって他国の毛織物と金属類を自国用に購入する代わりに其の資本の一部分をこれら諸商品との製造に向ける事を余儀なくされ、その結果おそらく質量ともに劣ったものを獲得することになるであろう。

 ポルトガルがイギリスの毛織物と引き換えに与えるであろうぶどう酒の分量はかりに両商品ともにイギリスであるいはポルトガルで製造される場合にそうであるようには各々の生産に投じられるそれぞれの労働量によって決定されるものではない。

イギリスは毛織物を生産するのに一年間で100人の労働を要し、またぶどう酒を醸造しようとすれば同一期間に120人の労働を要するような事情のもとにあるとしよう。したがってイギリスは毛織物の輸出によってぶどう酒を輸入し購入する事が自国の利益であるとみなすであろう。

ポルトガルでぶどう酒を生産するのには一年間で80人の労働しか要せず、また同じ国で毛織物を生産するのには同一期間に90人の労働を要するかもしれない。

 それゆえこの国にとっては毛織物と引き換えにぶどう酒を輸出するのが有利であろう。この交換はポルトガルによって輸入される商品がそこではイギリスにおけるよりも一層少ない労働で生産されうるにも拘わらず、なお行われうるであろう。ポルトガルは毛織物を90人の労働で製造しうるにも拘わらず、其の生産に100人の労働を要する国からそれを輸入するであろう。なぜならポルトガルにとっては其の資本の一部分をぶどう酒から毛織物へと転換することによって生産しうるよりも一層多くの毛織物をイギリスから交換入手するぶどう酒の生産に其の資本を投下する方がむしろ有利だからである。”

と述べているがまた別のところではこう述べている。(p194~)”したがって、毛織物がポルトガルでその輸入先の国で要した費用よりも多額の金に対して売れない限りそれはポルトガルに輸入されるはずはない。またぶどう酒がイギリスで、ポルトガルで要した費用よりも多額の金に対して売れない限りそれはイギリスに輸入されるはずはない。”

 と言う事でこれは上記④の傍線部分と矛盾した表現であるかと思われ、”比較優位”とずれた思考展開となっている。この部分の国際間の価値関係については労働価値説的立場の観点からも論争があるところとされこの部分の立ち入りは当面の問題から外れるためこれ以上は掘り下げないが、19世紀当初と違い現代では③の資本移動もかなり自由であり多国間の価値比較の相違と言うのは少ないのではと言うのが私見である。

 

 さてリカードは上記設例は物々交換的としこれに貨幣制度がある事を述べている。

”金と銀が流通の一般的媒介物に選ばれているので、金銀は商業競争により、かりにこういう金属が存在せず諸国間の貿易が純粋に物々交換である場合に起こるであろう自然的交易に適応するような割合で世界の異なる国々の間に分配されるのである。”(上巻p194)又

 第22章 輸出奨励金のところではこう述べているがこれはリカードとしての貨幣数量説論者であることを示している。下巻p138”貨幣の価値が局地的に下落すると言う事はこの意味で、全商品が高価格だと言う事である。しかし金銀が商品の最も安い市場で購買する自由を持つ限り、金銀は他の国々のより安い財貨と交換に輸出されそこで金銀の数量の減少が国内でのその価値を上昇させるだろう。諸商品がその通常の価格水準に復帰すれば、国外市場に適した諸商品が以前と同様に輸出されることになるだろう。”

ここで又リカードはその”価値論”で”機械の導入は価値規程に修正を与える”とし(第1章)それが貿易にも影響を与えるとし第7章外国貿易p200でこのように書いている。”技術と機械の改良以外にも、つねに貿易の自然の成行きに作用し貨幣の均衡と相対価値を損なうさまざまな原因が有る。輸出奨励金または輸入奨励金、諸商品に対する新税は、ある時は其の直接作用によりまた他の時は其の間接作用によって自然的物々貿易を攪乱し(disturb)その結果、貨幣を輸入または輸出する必要を生じそれによって価格が商業の自然の成行きに適応しうるようになる。そしてこの効果はたんに攪乱要因の生起する国だけでなく程度の大小はあっても商業世界のあらゆる国に生ずるのである。”

 リカードの”経済学および課税の原理”は初版が1817年に出されているが、穀物法は、1815年来、80シリング未満になると輸入禁止でありました(輸出奨励金は無し)。80シリング以上で輸入自由であり、その80シリングが一定その境目であったことはあったと思われ、また1818年にはロシアからの穀物輸入が貨幣市場に圧力を与えたとされる。

つまり簡単的には穀物不作→輸入(80シリング)→急な金属流出→貨幣市場圧迫→恐慌、不況

という流れがあったのではないかとされこれと同様の批判が1830-40年代に産業資本家から穀物法廃止の要求の一理論の根拠となった。

参照:熊谷次郎 イギリス綿業自由貿易論史 ミネルヴア書房1995年 尚、穀物法の改正一覧は“美濃口武雄 マルサス・リカードの穀物法論争“(http://hermes-ir.lib.hit-u.ac.jp/rs/bitstream/10086/16633/1/studys0170000010.pdfのP2に有る。

 

 

 

 

 

以下次回

 

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これじゃ景気が良くなるわけが無いのでは。

2012-03-11 12:53:48 | 経済

  維新の会の政策中間案が発表されました。2月に出されたものと大きな変化は無く、差し詰め消費税が地方税になったくらいでありましょうか。他は”貿易自由化”として具体的にTPPの名が挙がっている位であります(参加の趣旨ととれますが 新聞報道でははっきり解りませんが)。之をみて又通常の橋下市長の言動からして考えるならまずは以前にも投稿しましたが公務員に対してはその処遇、又今回では一歩進んで其の組合に対する規制を強めているようですが、(公務員と言えど国民である以上は当然政治活動の自由はありますのでそこから考えて違憲性をどの様に考えているのか問題としか言いようがありませんが)

 

 ここでやはり民間の非正規の増大にどの様に対処するのかは全然見えて来ない訳でありまして、政府労働力調査によれば正規3355万人に対し非正規はどんどん増え1755万人になっています。(2010年)派遣の製造業への適用も政権は変わりましたが規制されていません。それらが基本的に非正規増大の温床になっているのは間違いないところでありましょう。

 

 近年の日本に於ける雇用者報酬の伸びは他の欧米諸国と違って、1997→2007でー5.2%(イギリス+73.4%  アメリカ+68.4%  フランス+49.5%  ドイツ+16.65)と唯一マイナスになっています(某野党機関紙××2012.3.4)と言う事で、これらはやはりその基底には非正規労働者の増大があるという事は否定できないと思われますが、維新の会の政策はそれらを放置する他方で公務労働者の賃金を削る(最近では勇ましい意見が政党からだされ、2割カットいや3割いや4割りだ、5割だ と賃金カットと公務員削減を競うような状態でありまして 因みに通常の公務員は手品師ではないと思われますが)これらから言うなら当然一国のGDPの多く(日本では約6割)は個人消費からなるわけであり、いくら輸出企業への便益を考えてもそれらは2割に満たず、これでは景気が良くなるはずはないでありましょう。

 

 

 

 

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景気政策史ー46 19世紀イギリス対外商業政策と不況 その3国富論と自由貿易

2012-03-10 11:50:11 | 景気政策史

 

ここまでアダム・スミスの国富論の中での其の時代における不況について述べたが、以下国富論と自由貿易について述べる。18世紀では未だ産業革命が終了せず景気循環は19世紀程には明瞭では無かったもののその先駆け的現象は特に其の後半には観察された。18世紀前半ではイギリス自体の全体の体制は未だ重商主義的体系下にあった訳でスミスはそれについて、

金銀が実質富ではないとし、それに付きロックが金銀が国民的富であると言い又欧州の国民が自国に金銀を蓄積しようとした事を批判し(諸国民の富:岩波文庫版 大内・松川訳 第3分冊p9以下)その金銀の輸出入は制限できないとして、又、”ある商品の価値は、其の商品がその人に購買または支配させうる労働の量に等しい”(第1分冊p150)として支配労働価値説的説明を行っていますが、又別の所では”激しい辛苦に対しては斟酌される”(第1分冊p185)として投下労働価値説的説明を行っているが其の区分は明瞭にはされていないが基本的に労働価値説に立ち、それ以前の国富が金銀にあると言う所からは大きく前進した。

”対外商業政策”と連関するのがその自由貿易に関する叙述である。それにつきまず”第2編第5章 資本のさまざまの用途について”のなかで”資本が活動させる労働の量と、年々の生産物に付加する価値とは、其の用途によって異なる”としその用途として、

イ)小売商人

ロ)卸売商人 

ハ)製造業者 

ニ)農業者

 と分類し、”等額の資本のうちでは,農業者の資本ほど多量の生産的労働を活動させるものは無い”とし(第2分冊p396)、この中で、”全ての卸売り業者(wholesale trade)は三っつの異なる部類に纏める事が出来る”とし(第2分冊p404)、それを国内商業、消費物の外国貿易、仲継貿易に分類し、国内商業は二つの国内資本を回収し、外国貿易は一つの国内資本と一つの外国資本、又仲経貿易は二つの外国資本を回収するとし、その結果、”国内商業は他の貿易より多くの生産的労働を維持する”(p412)として、ここでスミスは”あらゆる国の経済政策(political oeconomy)の大目的は其の国の富と力を増進させる事である。”としつつも、”それは国内商業よりも消費物の外国貿易を、そしてこれら二者よりも仲経貿易を決して優先させるべきでもなければ、とくに奨励すべきでもない”として、”自然ひとりでにそこへ流入するであろうより以上に大きな部分を決して強制的に流入させるべきでない。として”自由放任”を述べる。

 ここでスミスは外国貿易の主要な利益は、重商主義を批判しながら”金銀の輸入ではなく、国内では需要のない剰余生産物を国外に持ち出し国内で需要のあるなにものかを持ち帰る事である”としている。(第3分冊p41)、又p58では”ある外国がわれわれ自身がある商品をつくりうるよりも安くつくり、それを我々に供給してくれることができるなら、我々は、自分たちが多少とも強みを持つようなしかたで自国の産業を活動させ、その生産物の若干部分でそれを外国から買うほうがよい。”としている。

 

 以下順次重商主義的体系に対するスミスの批判と対応をのべると、

 まず輸入に対する保護的政策についてこれにつきスミスは第4編第2章 国内で生産しうる財貨の、諸外国からの輸入に対する諸制限について の中で高率の税または絶対的な禁止のいずれによるにしても国内で生産しうる財貨の諸外国からの輸入を制限すればこういう財貨の生産に従事する国内産業のための国内市場の独占は多かれ少なかれ確保される事になる。(第3分冊p50)としこれが社会一般に有利な方向を与えるか明白ではないとして、”個人が自分自身の利益を考える事により社会にとっての有利な用途を選考するよいうになる”とするが、其の中で”国内市場のこういう独占から最大の利益を引き出す人々は商人及び製造業者である”(p62)とし、商人、製造業者を批判するが又外国製品の自由な輸入が許可されることにでもなれば、国内製造業のいくつかのものは多分損害をこうむり、またそのうちの若干のものはまったく破滅してしまい、現在これらの製造業に使用されている資材や勤労のかなりの部分は、強制的に何かの他の用途をみつけださなけれなならないであろう とする。

ここにおいて高率関税等非難はするが、上記後半に見られるようにその撤廃についてはスミス自体やはり一定慎重である事が読み取れこれにつき、留保を付けつつも、”貿易の自由は、ゆっくり段階を追いながらしかも十分慎重かつ周到に回復さるべきだ(p80)としている。

ここに於いて国内産業を奨励する為に外国産業に若干の負担を課することが一般に有利な場合として上記に例外を出しそれは

①国防上の理由によるものとして”航海条例”の維持

②国内産業の生産物に対してなんらかの租税が国内で課せられている時、としている(等価関税)

奨励金について スミスは”奨励金を必要とするのは、商人が自分の資本を通常の利益とともに回収しないような価格で其の財貨を売らざるを得ない商業か、または彼がそれを市場へ送るのに実際ついやしたより以下の価格で売らざるを得ない商業だけである”(3分冊p154)とし其の効果を”一国の商業をそれが自力で自然的におもむくであろうよりもはるかに利益の少ない方面にしいてむかわせることができるだけのものでしかない”として

 一般論を述べながら輸出奨励金で重要な問題である穀物については他の輸出奨励金と同様、人民に二つの異なる租税を課すものであるとし、”第一は奨励金を支払うために人民が献納せざるを得ない租税であり、第二に国内市場におけるこの商品の価格の騰貴から生じる租税である”とし”奨励金はおそらくは全共同社会をつうじてただ一群の人々だけにしか本質的には役立たなかったし、また役立ちえ得なかったであろう。これらの人々は穀物商人つまり穀物の輸出業者および輸入業者であった。”(第3分冊p171)として穀物の輸出奨励金について否定し、”もし奨励金というものが、わたしが証明しようと努力してきたように不当なものであるならば、それがはやく停止されればされるほど、また其の価格が低ければ低いほど、それだけよいわけである。”(p233)とし,穀物法自体については後段で”それ自体は最善のものでないとはいえ、やがてはより良きもののための道を開くであろう。”としている。

参照:北野大吉 英国自由貿易運動史 日本評論社 1943年

 

 

 

以下次回

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依然として続く国際的法人税引下げ。タイでも法人税引下げ

2012-03-08 11:53:55 | 税、財政

 3月7日付け日本経済新聞夕刊によれば、タイでは来年中法人税を現在の23%から20%に引下げるとタイ首相が表明したと有ります。タイでは今年1月に法人税を30%から23%に引下げたがそれを更に一段下げる事を表明したものです。”企業の負担軽減を図る為”としていますが、国際的な税率競争が何らか作用している事は否定できないように思えます。

 

 又日経2月23日付け夕刊によればオバマ大統領は連邦政府の法人税を現行35%から28%に引下げる等の改革案を発表しました。其の中で製造業については25%以下に抑える方針を出したとされます。

一方日本の法人税は11年度までの30%から4.5%引下げそれに14年度まで付加税を10%つけるとして事実上2%程度の”減税”、15年度からは4.5%の引き下げになる法案が可決されています。

 

 

 日本のこの引下げは”他国とのバランスを考えて”とされますがこの様に他国の引下げが追随すれば何ら殆ど意味をなさず消費税の増税も何らか実質的意味は薄いものとなるのは火を見るより明らかな事でありましょう。つまりはEUもそうですが以前にも述べましたがこれらが消費税の引上げ、”緊縮財政”の強行→内需削減の流れとなりそれは、世界的過剰流動性に一層の拍車がかかり、何れかの”弱い環”で再びクラッシュが起きることは否定できないでありましょう。つまりは何度も言っていますが世界的な過剰流動性(富裕層の資金だけで3200兆円とも言われます:メリルリンチ)を実物投資、消費に誘導することなくして現在の欧州その他の危機を根本解決は出来ないと言うべきでありましょう。

 

 

 

 

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景気政策史ー45 19世紀イギリス対外商業政策と不況 その2 国富論と不況

2012-03-03 11:50:06 | 景気政策史

  アダム・スミス(1723.6.6-1790.7.17)がこの“不況“というものについてどの様に関していたかであるが、スミスの国富論は初版が1776年、生前の最終版(5版)が1789年に出版されている。スミスと言えば自由貿易、見えない手(an invisible hand)等が有名であり、又一般的理解として経済学の最初の体系的叙述とされているが

 背景になった18世紀の経済史的状況から言うなら、Ⅰでも概ね述べたが18世紀半ばには産業革命が始まり又今日見られる景気循環についても、“J.クラパム イングランド銀行その歴史  ダイヤモンド社 1970“ によれば”18世紀半ば以降には1753、1763、と続く景気循環が見られるようになってきた”とされており、其の後半の1788-1789の恐慌についてもポール・マントウーはその”産業革命 東洋経済社 1971年“で製造業者の言葉として”これまで木綿工業においておびただしい破産の事例をみてきた。1788年には、もう回復する事はあるまいと考えた”としてその恐慌が深刻であった事をのべており、スミスも同時代にいた事を考えるなら何らか述べているとも思われるが、其の点につき筆者としては三点について若干其の事を述べる。

 

 ①一点目としてこれは上述クラパムⅠに引用されている部分であるが、1763年恐慌に関して(クラパムⅠp.273、p.275)“アダム・スミスは英銀行がこの時イギリスや外国の商人の援助のために゛1週間のうちに、約160万ポンドをその大部分は地金で゛貸し出したという話しを聞いた。゛しかしながら、私はこの金額の大きさについても、またその期間の短さについても、あえて保障しようなどとは思わない゛と彼は賢明にも付言している。“(参照:諸国民の富(二)p.317  岩波文庫版(大内兵衛他 訳))同ページでスミスは“同行は、商業手形の割引もしたのであって、しかも様々の場合にイングランドばかりでなく、ハンバーグやオランダの主要商館の信用を維持してやったこともあった。“としている。

 

②としては“第4編、第1章商業の体系、すなわち重商主義体系の原理について“ で貨幣が払底しているというありふれた不平は借り入れの困難さを意味するにすぎない”という項目で

”貨幣が不足しているというこの不平は、必ずしもつねに将来の事を考えぬ浪費者たちだけかぎられたものではない。ときとしては、商業的な都会の全部やその近傍地方をつうじて一般的であることもある。”第3分冊p23、としその原因についてスミスは”過剰取引(over-trading)がその共通の原因である”とし、”商業の利潤がたまたま通常の利潤より大きい場合には大小いずれの商人のあいだでも、総じて過剰取引という過誤が犯されるようになる。”として”国内でも海外でも、信用によって平常以上の量の財貨を買いそれに対する支払請求がくる前に代金が回収されるであろう事を期待しつつ、どこか遠方の市場に送る。ところが支払請求は代金回収より以前にやってくるのであって”としてその状況を説明している。

 其のあと続けて”すなわち貨幣の払底についての一般的な不平をひきおこすのは、金銀の払底でもなんでもなくて、このような人々が借りいれたり、またかれらの債権者たちが支払をうけたりする場合に当面する困難性なのである。”としているが具体的にはその対応をどうすべきかは書いていない。

 

③三点目としては同章の項目の”売るよりも買うほうがたやすいのは、単に貨幣が商業の用具であるからにすぎない”の中で 

 ”商人が財貨で貨幣を買うよりも貨幣で財貨を買うほうが一般によりたやすいことを承知しているのは、富が財貨よりもより本質的には貨幣に存しているからではなくて貨幣は、よく知られ、基礎のかたい商業用具で、それと交換にあらゆるものがたやすくあたえられるはするけれども、”とし其の後で”かてて加えて、彼の利潤は買いよりも売りによっていっそう直接的に生じる”と述べておりこれらから読み取れるのは不況時に販売が不振になる現象からの叙述と読み取れるのではと言う事である。(但しその後半では一国民、又は一国がこれと同一の災難に見舞われるということは無い。として一国全部の不況は否定しているが) 

 これについての対応と読み取れるのはその後半で(p26)

 ”たとえ財貨は、必ずしもつねに貨幣が財貨をひきつけるほどたやすく貨幣をひきつけぬにしても、長時間(in the long-run)をとってみれば、貨幣が財貨をひきつけるのにくらべてさえ、いっそう必然的に財貨は貨幣をひきつける。財貨は貨幣を購買する以外の多くの他の目的に役立つけれども、貨幣は、財貨を購買する以外には全然役立ち得ない。それゆえ貨幣は、必然的に財貨のあとを追わざるを得ないが、財貨は必ずしもつねに、または必ずしも必然的に、貨幣のあとを追うとは限らない。”として

 財貨に多くの使用価値があることから論立てしているが其の使用価値は交換されて始めて役立つものでありしたがってそのことにより貨幣が財貨を追うとは言えないと思われる事であるが、”長時間をとってみれば”という前提を置いていることからするなら、”過剰分”は長期的には”均衡する”と言う事を述べる趣旨ともとれる。

 

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派遣労働者の半数は正規社員に変わりたいと思っている。(就業形態調査)

2012-03-01 12:23:29 | Weblog

 相変わらず非正規の問題は現代の労働問題のまさしく主要問題ともいえるものであります。派遣社員制度が我が国に1986年に導入されていらい其の範囲を徐々に拡大し現在では問題になっている製造業にも適用されています。”非正規”といった場合それは”派遣”に限らず”準社員”、”契約社員”、”パートタイム社員”等色々ありますがこれらは企業が勝手に付けた名前であり、パートと言っても正規従業員並に働いている方々も多くいるのは周知の事であります。(厚生年金への加入や職場の健康保険への加入は法で定められており其の名称は問わない”正社員”でなくとも良く

企業等での、年金、保険加入要件は粗同じであり、前投稿でも書きましたが、

①個人事業で5名以上の従業員、法人で1名以上

②名称は社員でなくとも(パート、準社員、契約社員等々)”正規社員”の3/4以上の勤務

③2ヶ月以上の期間働く契約である事(有期でも適用対象であります)

 

 上記①~③を満たしていれば粗適用対象であり雇用者は届け出る必要(義務)があります

 

 

 

ところでこれらの方々が正社員になりたいと思っている割合を厚労省で調べていますがそれによると(厚労省就業形態の多様化に関する総合実体調査:全労連春闘資料)

”派遣社員”の50.9%、”契約社員”の49.2%は正社員に代わりたいと思っており,やはりそこからは身分上の不安定や処遇上の差等が垣間見えると思われます。

 (パート労働者を調査した資料によると (短時間労働者実態調査  定期昇給は47.8%、退職金は79.8%が正社員には実施しているが”パート労働者”には実施していない と言うような実態もあり

 やはり派遣等の法規制を強化する事と名称上正社員でなくとも上記年金や保険には加入できるわけであり、年金機構、(機構にも立ち入り調査権等認められておりますが社保庁から移行したときに現職職員が525名も解雇されておりこういうことではまともな業務は無理とも思われますが)、 更には労働条件については労働基準監督署等の積極的指導が待たれるところでありますが、データによれば基準監督署監督官一人あたりの事業所は1600件以上と言われ(全部臨検で調査するには25年以上掛かると言われています)これでは目が届かないのは当然でありましょう。

 

 

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