前回投稿で、現代の一般的”ミクロ経済学”テキストの疑問と言う事で、供給曲線に関する疑問を書かせて頂きましたが、今回は、その”需要曲線”について書かせて頂きます。
最近の”ミクロ経済学”テキストにおいては、効用を測る図から2財モデルを作り、縦軸に財A、横軸に財Bを仮定しそこに同一の効用を示すとする”無差別曲線”を想定しそこに”予算制約線”を導入する事により、価格の限界を示す中で財Aの価格を固定し財Bが価格が変化する場合の曲線(価格消費曲線)を捉え、それが財Bの需要曲線となるとしているものがほとんどのようです。
ここでやはり考えた場合、些かおかしいのは、本来的に基本になっているこの”図”は効用を測る、示すものであり、縦軸、横軸はそれらの”財の量、及び効用”を示しているということですが、そこに”予算制約線”というような”価格”概念が、定義なしに図に持ち込まれていると言う事です。しかもこの”線”の傾きは最低でも2財の”相対価格比”が分からないと描きようが無いと言う事でありまして、結果的には、”主観的な価値”を示す効用を示すグラフにおいて、価格概念がそれを測っている”ということになり、それは、前回、ジェボンズの所でも述べましたが、価格と価値(効用)について循環論になっているとしか考えられないと言う事であります。つまり、(価格概念→)効用概念→価格概念(需要曲線)→価格ということであります。
この事は、例えば粗、世界的に金本位制が確立していた19世紀末を考えると一層明らかです。(つまりその当時価格の単位は全て、金××グラムと言う事で、商品価値が基礎であったからです。)
誰かが自転車を買おうとして、[自分としてはこの自転車の”効用”は効用単位一円であるから一円で売ってくれ]と言っても、売主は[この自転車は原価3円だから一円では売れません]と言われてしまえばそこでこの売買は成立しません。要はこの”売買”は効用で規定されているのでは無く、”価格”が基準になっていると言う事です。
(この事は現在でも同じと思いますが)
これは、経済学を全く知らない誰かに聞いてもおそらく答えは同じでしょう。テキストを暗記するのが経済学ではないとするなら意ある経済学部学生諸君の奮起を期待したい所であります。
これは無差別曲線が、”基数的”であっても”序数的”であっても論理展開に変化はありません。(尚、”無差別曲線”自体は20世紀初頭に概念化されたようであります)
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