マクロ経済そして自然環境

経済的諸問題及び自然環境問題に感想、意見を書く事です。基本はどうしたら住みやすくなるかです。皆さんのご意見歓迎です。

現代”ミクロ経済学”テキストに関する疑問ー2  需要曲線

2011-01-23 09:17:39 | 経済

 前回投稿で、現代の一般的”ミクロ経済学”テキストの疑問と言う事で、供給曲線に関する疑問を書かせて頂きましたが、今回は、その”需要曲線”について書かせて頂きます。

 

 最近の”ミクロ経済学”テキストにおいては、効用を測る図から2財モデルを作り、縦軸に財A、横軸に財Bを仮定しそこに同一の効用を示すとする”無差別曲線”を想定しそこに”予算制約線”を導入する事により、価格の限界を示す中で財Aの価格を固定し財Bが価格が変化する場合の曲線(価格消費曲線)を捉え、それが財Bの需要曲線となるとしているものがほとんどのようです。

 

  ここでやはり考えた場合、些かおかしいのは、本来的に基本になっているこの”図”は効用を測る、示すものであり、縦軸、横軸はそれらの”財の量、及び効用”を示しているということですが、そこに”予算制約線”というような”価格”概念が、定義なしに図に持ち込まれていると言う事です。しかもこの”線”の傾きは最低でも2財の”相対価格比”が分からないと描きようが無いと言う事でありまして、結果的には、”主観的な価値”を示す効用を示すグラフにおいて、価格概念がそれを測っている”ということになり、それは、前回、ジェボンズの所でも述べましたが、価格と価値(効用)について循環論になっているとしか考えられないと言う事であります。つまり、(価格概念→)効用概念→価格概念(需要曲線)→価格ということであります。

 この事は、例えば粗、世界的に金本位制が確立していた19世紀末を考えると一層明らかです。(つまりその当時価格の単位は全て、金××グラムと言う事で、商品価値が基礎であったからです。

 誰かが自転車を買おうとして、[自分としてはこの自転車の”効用”は効用単位一円であるから一円で売ってくれ]と言っても、売主は[この自転車は原価3円だから一円では売れません]と言われてしまえばそこでこの売買は成立しません。要はこの”売買”は効用で規定されているのでは無く、”価格”が基準になっていると言う事です。

 

 

(この事は現在でも同じと思いますが)

これは、経済学を全く知らない誰かに聞いてもおそらく答えは同じでしょう。テキストを暗記するのが経済学ではないとするなら意ある経済学部学生諸君の奮起を期待したい所であります

 

 

 

これは無差別曲線が、”基数的”であっても”序数的”であっても論理展開に変化はありません。(尚、”無差別曲線”自体は20世紀初頭に概念化されたようであります)

 

 

 

 

 

 

 

上記ご意見あればコメントをお願い致します。

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現代”ミクロ経済学”テキストに関する疑問-1 供給曲線

2011-01-16 16:59:10 | 経済
現在市販されている”ミクロ経済学”テキストは、

①無差別曲線→需要曲線
②生産要素、固定費用、可変費用、機会費用等→(短期)供給曲線

等延べ、価格決定、更に長期の、生産、費用の説明というような構成のものが多いように見受けられますが、

(投稿者自体は一般に”ミクロ経済学”の有用性が今一理解し得ないところからあまり関心が有りませんでしたが)”価値論”を考える中で最近、若干、関心を擁いている所でありますが、これらの”無差別曲線”、”機会費用”といった些か分かりにくいと言いますか、婉曲的表現が所謂”限界効用学派”から派生していると思えるのですが、

 (因みにこの”機会費用”と言う用語は、全く”専門用語”でありまして一般的には非常に分かりにくい概念であると思う事です。
簡単に言うなら、財Aの生産に犠牲とされた(生産を断念した)財Bのもつ価値(効用)と言う事だそうですが(経済学史 大野忠雄 岩波書店p181)なにゆえそのような概念の導入が必要なのか不明であります。
(これは”労働価値説”に反駁するあまり論理に無理を強いていると思えるのですが)


 
 財(サービス)の価格は需要供給の一致するところで決まる と言う事はもっともと思われますが、需要曲線は一定、主観的なところと言いますか、好みで決まると言うのも事実と思いますが、(これについても見解がありますが、それは又の機会にしまして)
”供給曲線”について考えるならこれが需給表の何処に位置するかは、例えば自転車の供給曲線よりは、自家用車の供給曲線のほうが上位にあると思うのは、費用の曲線から明らかと思えるのですが、(全て生産物はその”部品”から成り立ちその部品の価格はどの様に決定されたかを考えるならその需給による としか言いようが無いと思われそれは更に遡ると思いますが、一般的”テキスト”でその様な事は殆ど触れず、かなり脈絡不明のまま”機会費用”の概念が説明されているのが一般的のようですが、私見に於いてはその様な些か無理な概念構成が”ミクロ経済学”を一層分かりにくくしており、結果的に果たしてその用途は?と言うような事になると思う事です。


 
 
 




 
 その事がまず第一点で二番目として、”限界効用学派”の始祖としては、一般的に
メンガー、ワルラス、そしてジェボンズの三者と言われていますが、既に他でも言われている事かもしれませんが、ジェボンズの代表的著作としては、経済学の理論”がある訳ですが、その4章交換価値のところの”価値の起源”のところでこう言っています。

生産費は供給を決定する。
供給は最終効用度を決定する。
最終効用度は価値を決定する。

と言う事で、しかしこれは一読して分かるように簡単な三段論法でありまして、究極的には”生産費は価値を決定する”と言う事になってしまい、価値の決定としては全くの循環論であります。(小泉信三他訳p123)

これにつき、マーシャルはその”経済学原理”三巻(馬場敬之助訳p294)でも、”このような連鎖は存在しない”と言っています。



 私の疑問はこのような論理を平気で使っているジェボンズが限界効用派の始祖の一人として一般に言われ、一般的”ミクロ経済学”テキスト等でもなにも言われていない事であります。
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