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現代ドイツのことは、あまり人々の話題にはのぼらない。せいぜいのイメージはメルケル前首相かベンツ、BMWくらいだ、少なくとも私は。少し詳しい人は「経済で独り勝ちのドイツ」とか「財政再建を果たした国」とかのイメージがあるのかもしれない。
「独り勝ちのドイツ」と日本はどこが違うか:RIETI(独立行政法人経済産業研究所)
ドイツの財政収支構造分析~日本との比較~2021年 9月30日公益財団法人 国際通貨研究所
リンク先を読んでもらう必要はない。筆者は一応読んだが膝から力が抜けて崩れ落ちそうになった。
ということで、(どういうことで?これらの人々には任せておけないから)ドイツの財政事情について日本と比較しながら分析する。データの出典は全てIMFである。
名目GDP
2022年はコロナ禍からの脱却・経済復興を見込んで日106:独192となっている。
G7諸国を1997年からのGDPの成長率で下から順に並べると日・伊・独・仏・英・加・米となっている。決してドイツの独り勝ちということはなく、日本がとどかない目標というわけでもない。だから日独比較は役に立つのだ。
日本とドイツの財政収支:自国通貨建
ドイツ:単位10億ユーロ、日本:単位10億円。ドイツは途中でマルクからユーロに代わっているが固定レートであるため単純に遡及できる。ただ名称が変わっただけである。このEU内固定レートというのがドイツに有利に働いたことは間違いないが、GDPに占める輸出の割合は日本とそう変わらない。
ただしこれでは比較もあいまいなものとなる。そこで比較可能なように財政収支のGDP比率を算出した。
ドイツの名目GDPはこの間で二倍近くになっているため、ドイツの1997年の5%と2022年の5%では絶対額で2倍近くの開きがある。日本は分母の名目GDPが変わらないから、ほとんど変わらない。ドイツはコロナ禍がなければ2020年以降も黒字になっていたと思われる。
ドイツの「財政再建」の鍵はどこにあるのだろうか?
次は、財政収支ではなく政府の財政支出の対GDP比をグラフにしてみた。
GDP比率でみると財政規模はドイツのほうが日本より大きいことが分かる。
リーマン危機やコロナ禍で財政規模が拡大しているのは同じ傾向だが、そもそも財政規模はドイツの方が相当大きい。財政収支は「改善」しているが、そもそもの財政規模はドイツの方がはるかに大きい。ここがポイントである。
財政支出/GDP
独 日
1997~2022年 46.6% 37.2%
直近10年 46.3% 39.1%
ドイツの財政支出は46%台を維持し続けているのに対し、危機が起きればいやいや財政規模を拡大せざるを得ず、すぐに縮小しようとしている日本は40%に満たない。
次のグラフは、政府支出のGDP比がドイツと同じであったら、日本の政府の支出がどのくらい増えたかを試算したものである。
1997~2022年の総額は1312兆円、年平均では50兆円という膨大なものなる。
ただしそこまでの額は必要はない。日独にはそれぞれの社会制度・文化・人々の意識というものがありドイツ並みに政府の支出を増やすことは容易ではない。しかし、大きな政府と経済成長は両立する。両立するどころか大きな政府こそ経済成長の原動力だというのがケインズ経済理論のかなめである。ドイツはそれを実践している。
前々回、5-04:財政再建は進めるべきなのか?政府債務をどうとらえるのか?
で、政府の負債は家計・企業の資金余剰の裏返しだが、日本の一般政府の余剰資金吸収は不足していてそれが長期停滞の唯一の原因であると主張した。
さらに具体的に
1994年度~2019年度の余剰資金総計は215兆6千億円、年度の平均では8兆3千億円。
2015年度~2019年度の余剰資金総計は91兆円である。年度の平均では18兆2千億円となる。
この余剰を埋める資金吸収が必要だったのである。もちろんすべて埋める必要はない。それこそインフレターゲットを達成するまで吸収していけばいいのである。 と書いた。
ドイツの事例はそれを証明しているのではないか?足りなかったのは1312兆円ではなく215兆6千億円なのである。年平均では10兆円に満たない。
政府の無駄遣いを奨励するのか、と怒り出す人が目に見えるが、使われた金は最終的にはどこかに消えるわけではない。循環の過程で雇用を創り出していけば経済成長を産む。
もちろん成長にとって効率のいい使い方はある。
それを次回から検討していく。それに加えてこのような政策の前に何が立ちはだかっているのかをも検討していく。
とりあえず次回はG7諸国のGDPと財政支出の関係について分析する。
なぜケインズ的政策はうまく行かなくなったのか?それは投資不足を埋める公的支出が「あまりにも」膨大になるからである。人々はその額を前にしてたじろいでしまった。それは人々の「社会主義嫌い」がその根底にあると筆者はにらんでいる。