ケインズがここで言っていることは次の命題である。
- 総投資の増加があると、所得は投資の増加分をk倍した額だけ増加する
- kを投資乗数と呼ぶ
なぜならば、均衡条件下では
式A:所得の増加分=消費の増加分+投資の増加分
所得の増加分>投資の増加分 だから
所得の増加分=k×投資の増加分 と書くことができる。k:投資乗数、1より大きい。
上の式からkを求めると
k=所得の増加分÷投資の増加分
式A両辺を所得の増加分で割り式Bを得る。
1=消費の増加分÷所得の増加分+投資の増加分÷所得の増加分
式B:消費の増加分÷所得の増加分(これは限界消費性向)=1―投資の増加分÷所得の増加分(これはkの逆数)
ゆえに
式C: 限界消費性向=1―1/k
これが一般理論本編に出てくる式である。
この式Cからさらにk:投資乗数を求めると式Dを得る。
式D: k:投資乗数=1/(1―限界消費性向)
となり、以下の議論が飛躍的に分かりやすくなる。
一般理論から引用する。斜体が引用である。
こうして、もし限界消費性向が一をさほど下回ることがなければ、投資のわずかな変動でも雇用に大幅な変動をもたらす。反面、投資の増加が比較的わずかであっても完全雇用が達成されることになろう。
この場合、式Dから投資乗数は非常に大きい。わずかな投資で所得は大幅に増える。限界性向が大きいほど、分母ははゼロに近づき投資乗数は非常に大きい数字となる。この場合当然所得も飛躍的に増大する。干天の慈雨という。所得が大幅に増えるということは雇用量が大幅に増えているということである。所得=産出量=雇用量だから。
これに対し、限界消費性向がゼロをさほど上回ってない場合には、投資の変動が小さいと雇用の変動もそれに応じて小さくなる反面で完全雇用を達成するためには投資の大幅な増加を必要とするだろう。
逆に投資乗数が非常に小さくなる。完全雇用が達成されていなければ、完全雇用達成に必要な投資は巨額のものとなるのである。
前者の場合であれば、非自発的失業という慢性的疾患を治癒するにはそれほど手がかからないであろう。もっともそれをなすがままに放置しておくと、厄介なことになりかねないけれども。後者の場合には雇用の変動幅は小さいが、雇用はともすれば低位の水準に落ち着きかねず、大胆な荒療治を施すのでないかぎり、どんな救済策も焼け石に水となろう。現実には、限界消費性向は両極端のどこか中間あたり、それもゼロよりはもっと一に近いところにあるように見える。そのため、われわれはある意味で、二つの世界の最悪のものを併せもつことになる。すなわち雇用の変動は並大抵ではなく、同時に完全雇用を達成するために必要な投資の増加量はおいそれとはいかぬほど大きなるのである。あいにくなことに、この変動の激しさたるや疾患の本性を見えなくさせるほどのものであり、疾患の苛烈さはというと、その本性を知らなければ治癒すること能わずといった底のものなのである。
完全雇用が達成されると、投資をさらに増やそうとする試みは、限界消費性向の如何にかかわりなく、名目物価を果てしなく上昇させる傾向を引き起こすだろう。つまりわれわれは真性インフレーションの事態に立ち至る。しかしここに至るまでは、物価上昇は実質総所得の増加をともなうであろう。
この文章は、完全雇用達成の一つの指標を示している。
完全雇用の達成=名目物価の上昇 である。
この指標からすると日本は完全雇用状態ではないだろう。見た目の失業率との関係は、不安定雇用という概念ですでに触れた。
所得は投資のk倍増える。ということが言いたいわけではないことがお分かりいただけと思う。限界消費性向が低いほど完全雇用達成のための投資額は大きくなるということを証明しているのだ。
その意味で今世間で言われているような投資の乗数効果という概念とはずいぶん違うのである。
ケインズがここで言いたいことは、「所得は投資のk倍増える」ということより限界消費性向低下の分だけ投資を行わないと雇用量が減るということである。完全雇用達成のためには巨額の投資が必要となるということを言っているのだ。