表題を見て???となった人は立派に古典派・現代正統派です。
なぜなら古典派・現代正統派は、人が消費するか貯蓄するかを決めるのは
利子率だ、と考えてしまうからです。
そう、「利子率の上昇は貯蓄を減少させる」のです。
章が変わる。消費性向の二番目の要因:主観的要因である。
ケインズは、消費性向の主観的要因は長期にわたり緩慢にしか変化しない。とみなしている。
ケインズは個人消費にマイナスの影響を及ぼす主観的要因を8項目挙げて
これら八つの動機はそれぞれ、予備、先慮、計算向上、独立心、冒険心、自尊心、吝嗇と呼んでいいだろう。これに対応して、享楽、短慮、気前よさ、誤算、見栄、浪費といった消費動機の目録を作ることもあるいは可能であろう。
などと言っている。が、これはお遊びである。さらに一般政府(ケインズの時代にこの言葉はないが)、企業の動機として4つ挙げているが、ここで重要なのは次の一節である。
これらすべての動機の強度はわれわれの考えている経済社会の制度や組織が違えば大きく異なるし、人種、教育、慣習、宗教、当節の道徳などによって形成される〔個人的〕習慣、現在の希望と過去の経験、資本装備の規模と技術、そして富の分配状態や打ち立てられた生活標準によってもまた千差万別であろう。とはいえ本書の議論では、時折本題を離れる場合を除くと、遠い将来に及ぶ社会変化の帰結、あるいは幾世紀も続く進歩の緩慢な影響には立ち入らないことにする。つまり貯蓄と消費その各々の主観的動機の主要な背景は、これを所与とする。
このように主観的・社会的誘因の主要な背景は緩やかにしか変化せず、利子率その他の客観的要因が及ぼす短期的影響も往々にして二次的重要性しかもたないとしたら、残された結論はただ一つ、消費の短期的変化は主として(賃金単位表示の)所得稼得率の変化に依存し、所定の所得から支出される消費性向の変化には依存しないということになる。
所得のうち消費に回る割合は安定しているのだから、消費総額は所得(賃金)総額の関数だ、ということである。
ここで、利子率と貯蓄(所得―消費)について重要な指摘があるが、詳しくは次章で述べられる。ここでは次の文章を引用しておく。
利子率の上昇が実際の貯蓄額を減少させる効果をもつことは間違いない。
総貯蓄は総投資に支配される。利子率の上昇は(投資の需要表がそのぶん変化することによって相殺されないかぎり)投資を減少させる。よって、利子率の上昇は貯蓄が投資と同額減少する水準まで所得を引き下げることになる。所得は投資よりも絶対額ではいっそう減少するから、利子率が上昇するときにはたしかに消費率は減少するであろう。しかしだからといって、貯蓄のための余地がそれだけ拡大するということにはならない。むしろ反対に、貯蓄と支出はともに減少するのである。
当時は(今も?)利子率は資金の需給バランスで決まると考えられていたので利子率が上がれば貯蓄は増えるという理屈になる。しかし一般理論では貯蓄と支出(=所得も)はともに減少すると言っている。
これだけでは分からない、というのが正解である。第四編が終わるまで待たねばならないからである。
ここでは一般理論は「景気回復を消費に頼るわけにはいかない」と主張している、と理解しておいて間違いない。
何にせよ、社会的背景で消費性向はずいぶん違うし、個人に消費性向を上げさせる手段は存在しない。仮にあったとしても、勤倹貯蓄の美徳を忘れろ、というわけにもいくまい。
次回、「第10章 限界消費性向と乗数」となるが、この一般理論の言う乗数を分かっている人はほとんどいないだろう。しばらく難しい話が続く。辛抱強くお付き合いただきたい。
ケインズとケインジアン、特にアメリカンケインジアンが大きく分かれるのはここなのだ。