よみがえるケインズ

ケインズの一般理論を基に日本の現代資本主義を読み解いています。
カテゴリーが多岐に渡りすぎて整理を検討中。

3-01:家計部門が抱える問題:所得は減少、可処分所得はさらに減少

2021年09月27日 | 日本経済分析
 GDPの内訳を検討すると、総消費は漸増だが、大半は政府消費。その財源を家計に求めているため家計消費は振るわない。その状況下では、消費が伸びないのだから、企業の設備投資にも期待は持てない。・・・というのが前回までの全体を見渡した話だった。

 で、今回から各部門の分析である。家計⇒企業⇒政府の順に分析を進めていく。今回は家計部門である。

 消費のためには、まず所得だ。所得がなければ消費も貯蓄もできない。
 家計の所得を分析していこう。

 国民経済計算では所得と可処分所得、消費と貯蓄は次のような関係になっている。

   所得=個人事業主の所得+雇用者報酬+財産所得
可処分所得=所得
      ー税負担
      ー社会保障の負担(以降、社会負担)
      +社会保障の給付のうち現金(ほぼ年金)
      ーその他経常移転(保険料等)
   貯蓄=可処分所得―家計消費

 年金受給者の年金は「+社会保障の給付のうち現金」という扱いとなっている。年金は、所得には入らないが可処分所得には入っていることに注意が必要だ。
 個人事業主の所得は国民経済計算では営業余剰・混合所得と呼ばれる。
 

 国民経済計算は参考系列として家計可処分所得・家計貯蓄率四半期別速報を公表している。以下それに沿って分析していく。
2021年4-6月期速報値(2015年(平成27年)基準:2008SNA)(2021年10月15日公表)


家計の所得は減少している

 

 1997⇒2020年で家計の所得は減少している。雇用者報酬こそ総額で1.1%増えているが、24年間で1.1%では増加というのもためらわれる。横ばいと言っていいだろう。財産所得と個人事業主の所得は壊滅的だ。結果家計の所得全体ではマイナス5%、16.64兆円の減少である。

 財産所得は、東京にいると分からないが、家賃・地代の壊滅であろう。個人事業主もその数自体が減少している。個人事業主が廃業して雇用者となっても以前の所得は維持できまい。雇用されていたり、東京にいると分からないことが見えてくる。

 次々と現れる「新党」が、おしなべて小さな政府志向なのも社会保障の恩恵を受けていないと思っているこれらの人々の意志を体現しているのかもしれない。売上の伸びない個人事業主にとって可処分所得の向上は税・社会負担の軽減以外にないからである。

 それはさておき、この24年間見事なまでにケインズの悪魔の恒等式(投資をしなければ貧乏になる)を実証しているのが日本経済だ。今日の所得は昨日の消費+投資である。1997年からの投資不足が今日の状態、今日の貧困を招いているのだ。
*26:第7章 貯蓄と投資の意味―続論  ケインズの悪魔の恒等式


家計の可処分所得はさらに減少している
所得は4.7%減少、可処分所得は13.45%減少 

 国民経済計算では、所得と可処分所得について通常とは違う考え方をしている。

   所得=個人事業主の所得+雇用者報酬+財産所得
可処分所得=所得
      ー税負担
      ー社会負担
      +社会保障の給付のうち現金(ほぼ年金)
      ーその他経常移転(保険料等)

 所得には含まれていない社会保障の給付のうち現金(ほぼ年金)が可処分所得には含まれている。これは年金が資金の移転だから所得(稼得所得)には含まれないが、家計消費の源泉にはなるという意味である。(と思う)

 但し、年金からも税や社会負担は発生するので、細かいところでは合わなくなる。概して国民経済計算はそういうもので時々の絶対額を問題にしても始まらない。

 ここではまず、国民経済計算の定義から離れて、年金等を除いた所得(稼得所得)中の可処分所得はどう推移したのか分析してみる。

 所得中の可処分所得=所得―税負担―社会負担とし、所得中の「税負担+社会負担」の割合を棒グラフで示している。



 家計所得計が4.7%減少しているのに対し、所得中の可処分所得は13.45%減少している。これは税と社会負担の割合が増大(26.8%⇒33.5%)したためだ。

 高齢化の進展に伴う国家支出の増大をそのまま国民負担に求めたからこうなっている。税と社会保障の改革は叫ばれ続けているが妙案は出てこない。それは当然で、まずなぜ所得が増えないのかというところから問題を立てないで、所得が一定または漸減という前提で政策を考えるから事態をより悪化させている。

 一例をあげると、医療・福祉産業はこれからの日本経済の牽引車となる成長産業だと、筆者は考えているが、当局、企業経営者にはコストとしか映っていない。社会保障費の増大は経済の足かせだと考えられており、そのため圧縮策がとり続けられている。それではいつまでたっても成長=所得の向上はやってこないのだ。

社会保障はコストか?成長の牽引車か?

 高齢化社会に伴う支出の増大は成長=所得の向上の巨大なチャンスだと考えられないのは、ここでも供給側でしか物事を見ることができないからだ。供給側にとってはコストでしかないが、国民経済では需要なのだということが分かっていないのである。

 ちなみに余計なことを言うと、社会保障はどの国にとっても一次的にはコストである。では国際競争力強化論者は、そのコストの削減を叫ぶのだろうか?

 もう一度、経済全体をよく見て、何が成長(需要の増大)にとって、大多数の国民にとって必要なのか考え直していただきたい。

 なお、再分配と社会保障の拡充で成長が可能なのは、日本が高度に発達した資本主義経済の下にあり、かつ巨額の「使う当てのない」金融資産を眠らせているからである。

最新の画像もっと見る