よみがえるケインズ

ケインズの一般理論を基に日本の現代資本主義を読み解いています。
カテゴリーが多岐に渡りすぎて整理を検討中。

43:第12章 これも誤解がある美人投票のたとえ:株式市場が実体経済を反映しないのは当たり前である

2021年04月12日 | 一般理論を読む
第12章 長期期待の状態

  ここで有名な美人投票の喩えが出てくるが、これも例によって誤解されている。この喩えが有名なのはケインズ自身が投資で成功しているからだろう。    このあまりにも有名な美人投票の喩えには「つづき」がある。

 あるいは喩えを少し換えてみると、玄人筋の投資は新聞紙上の美人コンテスト、参加者は100枚の写真の中から最も美しい顔かたちの六人を選び出すことを要求され参加者全員の平均的な選好に最も近い選択をした人に賞品が与えられるという趣向のコンテストになぞらえてみることもできよう。このようなコンテストでは、それぞれの参加者は自分がいちばん美しいと思う顔を選ぶのではなく、他の参加者の心を最も捉えそうだと思われる顔を選ばなければならない。全員が問題を同じ観点から見ているのである。ここでは、判断のかぎりを尽くして本当に最も美しい顔を選ぶということは問題はないし、平均的な意見が最も美しいと本当に考えている顔を選ぶことさえ問題ではない。われわれは、自分たちの知力を挙げて平均的意見が平均的意見だと見なしているものを予測するという、三次の次元まで到達している。中には、四次、五次、そしてもっと高次の次元を実践している者もいる、と私は信じている。

 この喩えもそのままでは使いにくくなっているが、美人投票がこの世から消えたわけではない。
 自分が美人だと思う写真に投票するのではなくて、一位になるであろう写真を選ぶ。まさに株相場の喩えとして秀逸である。だが、世の中の理解はここまで。

 ケインズの言いたいところは後半の「ここでは、判断のかぎりを尽くして本当に最も美しい顔を選ぶということは問題ではないし、平均的な意見が最も美しいと本当に考えている顔を選ぶことさえ問題ではない。われわれは、自分たちの知力を挙げて平均的意見が平均的意見だと見なしているものを予測するという、三次の次元まで到達している。中には、四次、五次、そしてもっと高次の次元を実践している者もいる、と私は信じている。」ここなのだ。

 投資対象のその耐用期間全体にわたる期待収益に関して、すぐれた長期期待を形成することに意を用いるのではなく、たいていの場合は、評価の慣習的基礎の変化を、一般大衆にわずかばかり先んじて、予測しようとするにすぎない。

 このように固定資産が流動資産化することによって「すぐれた長期期待」より「(気まぐれで専門知識を持たない)大衆の動向によって投資が決定される」ということを問題にしているのだ。投資家は期待が確信に変わった時に投資をする。短期期待は慣習に基づいていた。今や、長期期待に基づく投資は慣習にさえ基づかず

 われわれは、自分たちの知力を挙げて平均的意見が平均的意見だと見なしているものを予測するという、三次の次元まで到達している。中には、四次、五次、そしてもっと高次の次元を実践している者もいる、と私は信じている。

 どのようなことが確信=長期期待を崩壊させるのか分からないほど、投資は不安定な基礎に基づいているのだ。金融工学などと勿体をつける者もいるわけだが・・・
 現代は投資家の時代ではなく投機家の時代になったのである。

 ケインズは、投機を「市場心理を予測する活動」とし、企業を「資産の全耐用期間にわたる期待収益を予測する活動」としている。ここでのケインズの結論は、金融市場の不安定性は克服できないというものである。

 投機がいつも企業より優勢だというのは全く事実に反している。しかし、資本市場の組織化が進むにつれて、投機が優勢となる危険性が高まっている。

 だからこそ

 これからは長期的視野に立ち社会の一般的利益を基礎にして資本財の限界効率を計算することのできる国家こそが、投資を直接組織化するのに、ますます大きな責任を負う、と私は見ている。

 「社会の一般的利益を基礎にして資本財の限界効率を計算する」のはケインズたちのような知的エリートが想定されている。

 それは賢人支配だとツッコミを入れるのは簡単だが、今やその知的エリートの関心が「社会の一般的利益を基礎にして」いないことの方が問題だろう。

 「資本市場の組織化が進むにつれて、投機が優勢となった」 現代において
 
 我々は何をなすべきなのだろうか?

 何をなすべきか

by レーニン

 

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