通常、「長期期待の状態」と訳される。そうなんだがピンとこない。
「長期期待の現状はこんな有様」 というような意味だろう。ケインズは「本質的にこうだ」という言い方をあまりしない。見出しでは「第17章利子と貨幣の本質的特性」のみに使われている。本質的にああだ、こうだ、というより現状こうだよね。現実はこうなってるよね。というのがケインズの思考法である。経済学は人間の営みを対象とする科学である。多分、だからマルクスを認めながら嫌いなんだろう。
前章においてわれわれは、投資規模は利子率と当期の投資規模を変えていったときの資本の限界効率表との関係に依存し、資本の限界効率はといえば資本資産の供給価格とその期待収益との関係に依存することを見てきた。本章では、資産の期待収益を決定する諸要因のいくつかを、もう少し詳しく考えてみることにしたい。
巨額の設備投資には長期の期待が必要だが、その長期期待はどのように形成されるのか?
この章では「資産の期待収益を決定する諸要因」の一つ長期期待が検討される。
ケインズは、期待、期待というが期待って何なのよ。という話である。ところが期待は定義づけることはできても、その実態をモデル化することはできない。ただ状態を記述することができるだけである。分析哲学の徒であるケインズの面目躍如というところだ。
合理的期待形成って寝言言ってんじゃねえ。
期待が確信に変わった時、投資が行われるわけだが、
しかし、確信の状態について先験的に言いうることはあまりない。何か言いうることがあるとすれば、それは市場と事業心理の実際の観察にもとづくものでなければならない。これから本題を離れて論じることが本書の大部分とは異なる抽象水準にあるのはこのためである。
先験的に言いうることはあまりない。忘れがちだが大事な態度である。
ただ状態を記述することができるだけである。
必要なのは〇〇モデルではなく、市場と事業心理の実際の観察である。しかしケインズは長期期待を形成する人間の心理を記述し探求しようとはしない。問題はそこにはない。
期待は「その道に長じた企業者の本来の期待によるよりは、むしろ証券取引所で売買を行う人たちの、株価に表れる平均的な期待に支配されることになる」からである。
あらかじめ言っておくとこの章に「アニマルスピリット」という単語が出てくるが、このwiki解説は絶望を通り越してため息しか出ないほど間違っている。えてしてこういうもので、世の中の「一般理論」理解は、ほぼ全部間違いだと言っていいくらいである。余計な事だった。
かくして、長期期待の状態の分析は、
「組織された資本市場が発達するにつれて、時には投資を促進するが、時には体系の不安定性を著しく高める、きわめて重大な新たな要因」
すなわち金融市場の分析に取って代わるのである。