雇用関数の非対称性というと分かりにくく、とっつきにくいが・・・要は労働者はX円以下の仕事に就かないことはありうるが、X円以下で働こうとしても仕事があるとは限らない、という立場に置かれている。ということだ。これが最低賃金規制の重要性である。
賃金・物価・利潤 の関係は、あくまで需要⇒賃金・物価・利潤である
ケインズの所論をまとめると
完全雇用下では労働の追加に対する労働の報酬は高くなり、他の生産要素の枯渇からも生産物の数量は減る。厳密な均衡条件のもとでは賃金・物価したがって利潤も需要と同じ割合で変化し、生産量と雇用量を含む「実物」ポジションは元のままであるなら、産出量は変わらないのでP=MVという貨幣数量説の世界となる。逆にいうと完全雇用下で貨幣量を減らしても(減らすことができたとして)効果はない。
雇用弾力性→産出量弾力性は物価のパラメーターとなる。という主張である。
(P:価格総額、M:貨幣量、V:貨幣流通速度)
インフレとデフレ
上記から、完全雇用に必要とされる水準以下への有効需要の収縮は物価とともに雇用を低下させるのに対し、この水準を超える有効需要の拡大は物価に影響を及ぼすだけということになる。
なぜか?この章の結語部分に出てくる
だがこの非対称性はただ次のような事実を反映しているにすぎない。すなわち、労働者は実質賃金が雇用量の限界不効用を下回っているときにはいつでもその〔雇用〕規模で働くことを拒否することができるが、実質賃金が雇用量の限界不効用より大きくないときには、その規模〔で働きたくても、その規模〕での雇用を〔企業に〕強要することはできないということ、それである。
なぜか?上記の訳が分かりにくい。誤訳と言っていいレべルである。さらに、このパラグラフの訳注は間違っている。訳注は「以下(大きくない)ではなく以上だろう」としている。間宮先生痛恨の誤読である。とはいえ、誤読とまで言えるのは全体でこの箇所だけである。間宮先生は大した先生である。
原文では
This asymmetry is, however, merely are flection of the fact that, whilst labour is always in a position to refuse to work on a scale involving a real wage which is less than the marginal disutility of that amount of employment, it is not in a position to insist on being offered work on a scale involving a real wage which is not greater than the marginal disutility of that amount of employment.
- the marginal disutility of that amount ofe mployment:古典派の第二公準:その雇用量での限界不効用
- in a position to:~しうる立場にある
- a scale involving a real wage:実質賃金をその内容とする賃金表(可算名詞)
- less than,not greater than:ここで「未満」「以下」に大した意味はなく同一表現の繰り返しを避けただけ、と見る。
普通に訳すと
「この非対称性は、しかし、次のような事実を反映しているに過ぎない。労働者はいつも実質賃金を内容とする賃金表がその雇用量での限界不効用未満のときに働くことを拒否できうるのに対して、実質賃金を内容とする賃金表がその雇用量での限界不効用以下のときに(ときでも雇用者に)雇用を強制できない立場にあることである。」()内筆者補注
つまり、実質賃金がその雇用量の限界不効用とイコールになる額をX円とすると
「労働者はX円以下の仕事に就かないことはありうるが、X円以下で働こうとしても仕事があるとは限らない、という立場に置かれている。」ということである。これが雇用関数の非対称性だ。
あらためて賃金と物価の関係
ケインズは雇用関数の非対称性を主張しているのであって、訳注では、古典派の第二公準を認めることになる。需要に対する雇用弾力性は物価のパラメーターとなる一方、雇用関数には非対称性が存在する。
- 労働者はX円以下の仕事に就かないことはありうるが、X円以下で働こうとしても仕事があるとは限らない、という立場に置かれている。だから
- 完全雇用に必要とされる水準以下への有効需要の収縮は物価とともに雇用を低下させるのに対し、この水準を超える有効需要の拡大は、雇用の拡大をもたらさず、物価に影響を及ぼすだけということになる。
若干話を戻して、ケインズが賃金と物価の関係をどうとらえているか見てみよう。
有効需要が不足している時には、実質賃金が現行水準より低くても働く意思をもつ失業者がいるという意味で、労働の過少雇用が存在することをわれわれは示した。このような過少雇用が存在するために、有効需要が増加するにつれて、たとえ実質賃金が現行水準に等しいかあるいはそれ以下であっても、雇用は増加し、そして最後にはそのときの現行賃金の下では利用可能な余剰労働が全く存在しなくなるような地点に立ち至る。すなわち、(この地点から先は)貨幣賃金が物価よりも速やかに上昇するのでないかぎり、これ以上の労働者(あるいは労働時間)はもはや利用可能ではない。この地点に立ち至ったとき、支出がなお増加し続けるとしたら何が起こるのか、次の問題はこの点について考えることである。
この地点に至るまでは、所定の資本装備により多くの労働をあてがうことによる収穫逓減は労働者が実質賃金の減少を甘受することによって埋め合わされてきた。しかしこの地点より以後は、〔追加された〕一単位の労働は以前よりも多量の生産物に相当する報酬を要求するだろう。一方、もう一単位をあてがうことから生み出される生産物の数量は前よりも減っている。それゆえ、厳密な均衡条件の要求するのは、賃金と物価は、したがって利潤もまた、支出と同じ割合で上昇し、生産量と雇用量を含む「実物」ポジションはあらゆる点においてもとのままだ、ということである。つまりわれわれは素朴な貨幣数量説(「速度」は「所得速度」の意に解する)が全面的に妥当する状態に到達したことになる。というのも、産出量は変わらず、物価はMVに正確に比例して上昇するからである。
またこの時は真性インフレーションの到来である。物価上昇=完全雇用なのだよ。またこのとき完全雇用は成立しており、古典派の第一公準が成立している、とも言える。成立しているから何なんだ、だが。完全雇用下でしか素朴な貨幣数量説は通用しない。これを常に通用すると考えるのが新古典派・現代正統派である。
この章で主張していることは、
完全雇用の達成のためには、有効需要を完全雇用水準に近づけるように創造する必要があり、それができれば賃金も物価も長期にわたって上昇するであろう。ということである。
これが世界中の労働組合が「緊縮財政」や「財政再建」に反対している理由であり、ケインズ一般理論は労働組合の指導理論となっている理由なのだ。またこれがケインズ反革命が不断に生じる理由でもある。