よみがえるケインズ

ケインズの一般理論を基に日本の現代資本主義を読み解いています。
カテゴリーが多岐に渡りすぎて整理を検討中。

75:第23章:問題は過少消費なのか?:今回は閑話休題

2021年01月05日 | 一般理論を読む
 古典派理論、現代正統派理論に汚染されていると最も陥りやすい罠がこの過少消費理論である。現代では需要喚起、消費刺激などという。
 消費が少なすぎるという裏には、公共の投資計画のことなど思いもよらない立場が存在している。この汚染は政治的、思想的立場を超えて大きく広がっている。個人の政治的思想的立場によって、汚染のタネが咲かせる花は違うはずだが基本的には同じように見えるところが恐ろしい。土壌に汚染物質が広がってしまうと同じような花しか咲かなくなるのだろうか?

「公共投資=無駄=悪」という図式こそ現代の荒野に咲き誇るアダバナ

 現代正統派は消費刺激策としては減税か給付金、投資刺激策としては企業減税しか提案しない。公共投資は「悪」だからであるが、この「公共投資=無駄=悪」という図式こそ現代の荒野に咲き誇るアダバナなのである。

 ホブソンとマムマリーも魅力的な人達である。少なくともケインズはそう評している。ホブソンはケインズと同時代人であって古典派批判において偉大な業績を残した経済学者である。「帝国主義論(1904)」を著しており、レーニンの「帝国主義論」よりかなり先行している。調べたわけではないがレーニンも読んでいるはずだ。
 ホブソンは、一般理論の一歩手前まで行っているが、一般理論に行き着かなかったのは利子率理論がなかったからだ、とケインズは言っている。というのは、ホブソンは、過剰投資=過少消費としているが、利子率理論がないから過剰貯蓄=過少投資が見えなくなっているのだ、というのがケインズの見立てである。多分そうなのだろう。逆に言えばケインズの利子率理論にこそ一般理論の精髄があるということである。

 すでにケインズの利子率理論は
45:第13章 利子率の一般理論 流動性選好炸裂! 古典派と常識を撃破 
56:第17章 利子と貨幣の本質的特性:ケインズの貨幣論-諸商品のなかで貨幣を貨幣たらしめる条件は?
で論じたので参照されたい。

 最後にダグラス少佐のA+B理論についての言及が出てくるが、これは原文に当たっていただくことにして、一言付言すれば使用費用の話である。

 ケインズは、経済学説史のなかで孤立しているわけではない。先行者がいたからこそケインズが存在する。この章の終わりでケインズは次のように記している。尊敬の念がにじみ出ているではないか。

 これらの人々は、
明快で首尾一貫し論理は平易なるも現実離れした仮定にもとづいて導出された謬説を奉ずることを潔しとせず、
みずからの直観の命じるまま、たとえ暖昧で不完全ではあっても真理を究める途を選んだのである。

写真はママリーと娘のヒルダ

 

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