よみがえるケインズ

ケインズの一般理論を基に日本の現代資本主義を読み解いています。
カテゴリーが多岐に渡りすぎて整理を検討中。

48:第14章:古典派の利子率理論が異次元の金融緩和の指導理論(続き)―人はなぜ価格によって資金の需給すら均衡すると考えてしまうのか 

2021年03月27日 | 一般理論を読む
第14章 古典派の利子率理論

  うっかり騙されないように前回の引用テキストの批判を行ってみよう。ケインズの手になる古典派の利子率理論の要約であり、現代正統派の標準理論である。

 文章ごとに番号を振る。

①人が貯蓄という行為を行うときには、彼はいつも自動的に利子率を引き下げる行為をなしており、自動的に利子率を引き下げる行為をなせば、自動的に資本の生産を刺激する、と考えている。②そのさい利子率がどの程度低下するかといえば、利子率は、資本の生産を刺激し、その増加分が貯蓄の増加分にちょうど等しくなるところまで低下するのである。③しかるこのプロセスは自己調整的なプロセスであり、それが実行されるためには、通貨当局による特別の介入や余計なお節介はなんら必要とされない。同様に、そしてこれは今日においてもなおいっそう広範に抱かれている信念であるが、投資を増やすと、それが貯蓄性向の変化によって埋め合わされるのでないかぎり、利子率は必ず上昇する。


①:人が貯蓄という行為を行うときには、彼はいつも自動的に利子率を引き下げる行為をなしており、自動的に利子率を引き下げる行為をなせば、自動的に資本の生産を刺激する。

 貯蓄の第二段階、流動性選好表によって貯蓄のいくらが資金供給に回るかが決定される。金保有という選択肢もある。貯蓄がいつも自動的に利子率を引き下げるわけではない。貯蓄増⇒貨幣量増⇒利子率低下⇒投資増大とはならない。なるかもしれない。問題は需要だから。


②:そのさい利子率がどの程度低下するかといえば、利子率は、資本の生産を刺激し、その増加分が貯蓄の増加分にちょうど等しくなるところまで低下するのである。

 投資が拡大するかどうかは、資本の限界効率にかかっている。そもそも貯蓄が増えても流動性選好が高まれば資金供給は起きない。利子率が低下して資本の限界効率が高まることもあれば高まらないこともある。さらに投資は必ず貯蓄を生む。一単位の投資増がどの程度の貯蓄を生むか考えてみよう。

③:しかるこのプロセスは自己調整的なプロセスであり、それが実行されるためには、通貨当局による特別の介入や余計なお節介はなんら必要とされない。同様に、そしてこれは今日においてもなおいっそう広範に抱かれている信念であるが、投資を増やすと、それが貯蓄性向の変化によって埋め合わされるのでないかぎり、利子率は必ず上昇する。

 貯蓄性向一定の前提があるが、投資を増やせば所得の増大と限界消費性向の低下から、貯蓄性向は増大する。利子率の上昇・下降は直ちには言えない。ケインズは自己調整的プロセスはありえないと考えているが、ここまで読まれた方はその理由を直ちに理解されるだろう。お馴染みのその他一定条件を付せば、投資は同量の貯蓄を生むが、貯蓄は同量の投資を生むとは言えないからである。

 以下、古典派、新古典派との理論上の決定的分岐点をケインズ自らまとめている。

要するに、伝統的分析の欠陥は、体系の独立変数を正しく分離することができなかったところにある。貯蓄と投資は体系の被決定因であって、決定因ではない。貯蓄と投資は体系の決定因である消費性向、資本の限界効率表そして利子率が生んだ双子である。 なるほどこれらの決定因は互いに絡み合っていて、各々は他の変化が予想されると、その影響を被りかねない。しかしそれらはその値を互いに他から推測することができないという意味で、やはり独立している。伝統的分析は貯蓄が所得に依存していることには気づいていたが、所得が投資に依存している事実には目が向かなかった。投資が変化したとき、所得は必然的に、投資の変化と同額の貯蓄の変化を生むよう変化しなければならない。 このようなふうにして、所得は投資に依存するのである。

利子率を「資本の限界効率」に従属させようとする理論がうまくいったかというと、こちらもはかばかしくない。なるほど均衡状態では利子率は資本の限界効率と等しくなるであろう。なぜなら当期の投資規模を〔資本の限界効率と利子率の〕均等が達成されるまで増やす(あるいは減らす)のが有利だから。しかし、これを利子率理論としたり、ここから利子率を導出したりするのは、マーシャルがこの線に沿つて利子率を説明しようとして途中で気づいたように、循環論法である。というのは、「資本の限界効率」は部分的には当期の投資規模に依存しており、この規模の大きさを算出しうるためには、それに先立って利子率があらかじめ知られていなければならないからであ。新たな投資〔財〕の生産は資本の限界効率が利子率に等しくなるところまで推し進められるというのは重要な結論である。ただし、資本の限界効率表が教えるのは利子率がどうなるかということではない、それは、利子率が与えられたとき、新規投資〔財〕の生産がそこまで推し進められる、その限界点を教えるのである。

 体系の決定因である消費性向、資本の限界効率表そして利子率は、互いに絡み合っていて、各々は他の変化が予想されると、その影響を被りかねない。しかしそれらはその値を互いに他から推測することができないという意味で、やはり独立している。重要な指摘である。重要だが経済というものがいかに複雑かということでもある。タフな思考を持っていないと放り出してしまうくらい複雑である。

では完全雇用達成のためにはどうすればいいのか?

 ここで、異次元の金融緩和と緊縮財政の組み合わせは何をもたらすか考えてみよう。
 緊縮財政は有効需要の創造を妨げる。その結果デフレの脱却は難しい。資本の限界効率が上昇しないときに貨幣量が増大すると、貨幣は希少性へと向かう。土地や金の価格が上がる。物価が上昇しないのに希少性を持つ(おいそれとは生産できない)資産の価格だけが上昇するのはこういう経路が存在するからである。先き取りだが、公定歩合を引き下げれば貨幣量は増えるのだろうか?

 このあたりは、以後ケインズがみっちり解説してくれる。

 冒頭の問い≪なぜ価格によって資金の需給すら均衡すると考えてしまうのか≫に先回りして答えを与えると、

 つまらない、本当につまらないことだが、

 素朴な常識に合致しているからである。

 

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